第8話 戦支度
それは、全高約五~六メートルの鉄塊。
それは、鋼鉄の甲冑で武装した巨像。
それは、機士を乗せて戦う
機士はその鎧馬を巧みに操り、丸太のような約八メートルの突撃槍を手に、コロシアムを疾駆する。 交差するその刹那、立ちはだかる強敵に向かって、全霊をこめて突撃槍を叩き込む。
それが、ジョスト・エクス・マキナ。 機械による槍試合。
今、その鎧馬の中でも名のある名馬、ギルバート・グレイドハイドが駆る“ヴァルムガルド”を整備しているケビン。 彼のファンが知ったら、羨望の眼差しか、あるいは捌ききれない妬みを買うかもしれないと苦笑する。
ガレージ内で直立した姿勢のその四肢は、人間の比率と比べると二倍ほどのサイズで構成され、全体的にずんぐりとした印象を受ける。 それがまた逞しさ、雄雄しさ、そして畏怖を感じさせた。
ここ数年表舞台に立ってはいないといっても、なにせ“あの”ヴァルムガルドだ。 あらゆる試合で数々の優勝を勝ち取り、その武勇伝は海を越えた先にも伝わっているという。 そんな機体を間近で見られるだけじゃなく、手を入れることが出来るなど、なかなか体験できることではない。
……だが、本当なら熱を入れているはずのそれに、ケビン集中しきれていなかった。
「よく耐えられましたね」
ケビンは左腕部の接続箇所を確認しながら、反対側の右腕部にレンチを差し込んでいたギルバートに脈絡なく言葉を投げかけた。
「ん? ああ。 ベルカの事か」
ただそれだけのことで、ケビンが何を言いたいかギルバートには伝わった。
「はい。 流石は貴族ともなれば、気の静め方も心得ているんですね。 正直、僕はもう二人の話を聞きながら足がすくみそうでしたよ」
そこで初めて、ギルバートは顔を上げてケビンを見た。
「あの娘が? 落ち着いてたって? はは、まったく、お前も女を見る目が無いな」
再び作業に戻ったギルバートだったが、ケビンはいまいち要領を得なかった。
「え、違うんですか?」
「まぁ、ケビンはここ最近顔を出さ無かったからな。 それも無理は無い。 いや、ベルカが出させなかったのかもしれんが……。 ともかく、ヘムロックは時間さえあれば、当家に頻繁に顔を出していたんだ。 私の予想では、今日辺りで爆発するかとも思ったが……。 ま、ケビンの前じゃ、それも出来なかったんだろう。 食事中静かだったのは、天辺まで上った感情の反動だな」
「なるほど、だからベルカは終始無言で昼食を食べていたのか。 なら、僕も少しは役に立ったんですね」
「ああ。 領民から謙譲された見事な調度品は惜しいからな。 ベルカの投擲物となる前に話がまとまってよかった」
それではまるで花瓶やスツールの為に決闘を受け入れたかのようだ。 だが、実際はそんな無機物のためではなく、領地と愛する肉親の為だということくらい、ケビンにだって分かる。
「はは……」
だが、ケビン気になっていたのはそのことだけではない。
「……あの、ギルバートさん、この決闘は必要なものだったのでしょうか? 事実関係がはっきりするまで待っても良かったのでは?」
ただ会話を聞いていただけに過ぎなかったが、明らかにヘムロックは事を急いていた。 それは言動だけではなく、ここに何度も足を運んでいたという点からも明らかだ。 ならば、わざわざ今回のような提案に乗らずともよかったんじゃないか、と。
「ケビン、キルベガン子爵……ヘムロック・グルーバーのことは?」
「まぁ、酒場で噂されている程度の話なら。 グルーバー家の三男坊で、遠征中の父親に代わって、かなり精力的に動いているって話だとか。 ただ、精力的に動きすぎるヘムロックの行いはわりと摩擦が起きやすいみたいで、兄弟や家臣達が気を揉んだり、振り回されているってのも聞きますね。 それで、少しでもじっとしてもらうために隣国の娼館にまで招待の文を夜なべして書いるなんて眉唾な話まで、まぁ、色々と……」
ケビンは最初、それがベルカの言っていた後宮の噂に繋がるのかとも思ったが、火の無いところに煙は立たないし、あたらずとも遠からずなのかもしれないと考えた。
「ほう、民達の情報網も馬鹿には出来んな。 ケビンの言うとおり、あの三男坊はあんな振る舞いだが、政務に関しては中々どうして、目を見張るものがあるようだ。 だが、それも自分の領地に関しての話であればだ。 当領地のことにまで及ぶとなれば、私も機械いじりに興じ続けるわけにもいかなくなる。 しかも、奴があせっている内容にまで気を配らねばならん」
「……こういったことは初めてなんですか? その、他所の貴族から干渉されるようなことって……」
「ん? そうだな、まったく無いということはないが……。 このバーンウッドの領地は、シップの大規模調査を終了する際、当時調査団の代表だった私がその功績から、寛大な恩赦によって当家が拝領したものだ。 当時としては話題性が高く、各諸侯の間でも周知の事実だった。 バーンウッドは軍ではなく、王政による威光で守られた稀有な領地であるとな」
バーンウッドは、軍を持っていない。 外敵より街を護るものは町の四方を囲う外壁だけで、内側には行政機関の代わりに自警団が護っている。
よって、この国を外敵より護っているものは物理的な力ではなく、眼には見えない力。 即ち、威光だ。 事実、その抑止力は現在において問題なく機能している。
王政という専制政治を敷いているこの国において、王より賜った領地に仇名す行為は、玉座に唾を吐くことと同義だ。
それに、もし仮にバーンウッドが外敵からの脅威にさらされたとしても、外壁を閉じ、篭城している間に近隣の町や各拠点に居る治安駐留軍が動く仕組みが、バーンウッドを守るための社会システムとして組まれている。 そのような後ろ盾があるからこそ、バーンウッドは軍事的戦闘力を持たず、また領地の経緯が周知されているからこそ、手を出そうなどと考える者は出てこなかった。
当然、海峡を挟むとはいえ遠方に位置するキルベガン領のグルーバー家だって把握していてもおかしくは無い。 というより、多くの者にとって周知の事実であるはずのそれを、政に手を出しているというヘムロックが知らないはずが無いのだ。
――何らかの意図をもってして、それらの常識を当人に知られないようにする以外には……。
「そのことを知らないなんてことは……やっぱりありえないですよね?」
「私としては、ヘムロックのあの様子だと分かっていてやってると見ているがね。 ただまぁ、いずれかにしろ奴が父君に伺いを立てず独断でやっているのは間違いないだろう」
そんな問題発言を、別段なんでもないことのように話すギルバート。
「え、でしたらなおさら事を急がずとも、時間さえ掛けて話し合えば、決闘の必要もなくなるのでは?」
この領地を所有するに至った成り行きからして、グルーバー家の当主が息子の蛮行を治めるなり諌めるなりすれば、流石のヘムロックも無茶な行動は慎むんじゃないだろうか?
「間違いない。 それは道理だな。 ……だが、おそらくそうはならん」
「え?」
「今回の件、既に電信をグルーバー家と王都の執政官に出しんだ。 流石に手紙では時間が掛かるからな。 まったく、電報代が高くついた」
「……」
金銭の話を聞くと、先ほどの件も含めてこちらまで切なくなってくる。
「内容はもちろん、ヘムロックが持ち込んだ問題の経緯や、領有権の事だ。 ……その返事が、先刻返ってきた」
ケビンは手を止め、それを黙って聞いていた。
「……まず、ヘムロックの言う王都からもたらされた我が領地に関するあれこれの書状は、公式のものだった」
「えぇ!?」
「だが一方で、その勅命をいぶかしんだのはグルーバー家の当主、つまりヘムロックの父上であるキルベガン伯爵、ガイナン・グルーバー……彼も同じだったようでな。 あまり交遊はなかったが、政界で顔が利く男らしく、詳細を探ろうとしたんだそうだ……。 これに関しては別口の情報源だが、信頼できる筋からもたらされたものだ」
「その、キルベガン伯爵はヘムロックを止められなかったんですか?」
「ああ、伯爵がそれに気づいたのは、領地を離れた後だったからな」
「……遠征は、仕組まれたものだったということですか?」
確か、ヘムロック曰く、父であるガイナンは王都の勅命で遠征に行ってるって言ってたけど――。
「ああ。 今の時代、わざわざ当主が突発的に土地を離れなければならない事態など早々起こり得るものではない。 となると、やはり手が回ったとみるべきだろう。 キルベガン伯爵は意図的に遠方へ送られ、ヘムロックが自由に動ける土壌が出来たわけだ」
「……」
これは、自分が思っていた以上に大きな力が働いているようだとケビンは言葉を無くす。
しかも、明確なグレイドハイド家に対する悪意のもとで……
「そして、いいように動いてくれる駒を手に入れた誰かは、公式の書面を工面し、私の領地にグルーバー家の三男坊をけしかけて来たのだ。 ちょうどその気にさせるうってつけの餌があったから、そう難しいことでもなかっただろう」
餌というのが何なのかは家文にでさえ直ぐに分かった。 あれだけの寸劇を見せられたあとでは、考えるまでもないことだが……。
「ヘムロックとベルカは、過去に面識があったんですね」
「面識と呼べるほどのものかは分からんが、社交的な付き合いで王都に行くことが幾度かある。 その時はたまたまベルカも同席していてな。 ヘムロックも父君の付き添いという形で側にいたのを見たから、恐らくその際に接点があったんだろう。 いやはや、公式の場であの娘を連れて行ったことがこう巡ってくるとはな」
「それを目ざとく観察した人間がいて、今回の絵を描いた人間がいた、と」
「うむ。 ヘムロックがベルカを見る目に、その絵描きが一計を案じたのだろう。 それで、当主が家を開けている間に息子を動かし、うまく転がれば上々。 躓けば……関知せぬで押し通し、当主の監督不行き届きで済ます算段なのだろうな。 ヘムロックがそこまで愚かに踊っているとは思わないが、あの独善的な傲慢さは良くも悪くも私欲に傾きやすい」
つまり、ヘムロックは自分の意思で動いているように見えたがその実、得たいの知れない国の中枢が絡んだ暗部の傀儡となっているということになる。
「……なんてはた迷惑なんだ」
「うむ、厄介なことにヘムロックが王都より賜ったという書簡、先も言ったが公式なものだ。 これは謀略なんだよケビン。 キルベガン子爵は都合のいい駒にされたに過ぎん。 でなければ、ここまで厄介なことにはなっていない。 まったく、王都でどんなパワーゲームが起こったのやら……」
「それが巡り巡って今回の騒動ですか。 ちなみに、勝算は?」
話の道筋はどうあれ、戦うことになった以上は勝たなければならない。 この問題はとっくに次の段階に進んだのだ。
「まともに戦うならば、恐るるに足らん。 だが、あちらから持ちかけてきた以上は、何らかの策が講じられていると考えるのが妥当だ。 故に、公式な戦いだが、非公式な場での決闘なのだ」
「……ヘムロックが戦う場所を指定してきたのはそういう意味があったんですね」
だが、ギルバートはその案に乗った。 幾重にも罠が仕掛けられているかもしれない場所での決闘に応じたのだ。 それに、問題はそれだけじゃない。
「だけど、まともな戦いにならないのであれば、例え決着が付いても正当性のある公式なものだとは言えないでしょう」
公式な戦いだと言う書面を作ることは承諾していた。 よって、何らかの明確な反則や非常事態が起こった場合、戦いの公平性は失われるのではないのか?
その疑問は戦うギルバートにも分かっていただろう。
「やつらは言うのさ。 私を戦いの場に引き込んだ時点で、既にこの策は成っている。 そして、ヘムロックがどんな形でも勝利すれば儲けものだ。 まぁ、誰の懐にその儲けが入るのかは分からんがな」
全てを承知の上で戦うと、ギルバート笑った。 承知の上で、問題は無いと言っているのだ。 しかし、当人ではなくとも事情を知ってしまっているケビンとしては、これから起こりうる不安材料を一つでも減らしておきたいところだった。
「なら、十分警戒しなくてはいけませんね。 こうしている今も、いつ誰が何をしてくるかも分かりませんよ」
「しているさ。 だからお前に手伝ってもらっているのだ、ケビン」
「……僕は、計略を見抜くことも、剣を振るうことも出来ませんよ」
「だが、計略を仕掛けてることも、剣を抜くことも無いだろう?」
「それは、もちろんです。 ありえないでしょう」
そんな当たり前のことを言われても、ケビンとしてはいまいちピンと来ない。 こうしてギアの整備を手伝っていることのどこが警戒になっているのか……。
「なら心配ない。 私の目下の懸念は決闘までに横槍が入ることだ。 その点ケビンなら安心できるからな。 余計な心配なく落ち着いてこいつを整備して、戦いに望める」
「そう言ってもらえるのは、ありがたいんですけど……」
頼られることに関しては素直に嬉しいと思うが、もっと他にも気にすべき点があるのではないかとケビンの方がやきもきしてしまう。 当の本人にとっては、それが一番重要なことなのだろうが……。
「なに、あとはやつらが何をしてこようが正面から迎え討つだけだ。 グレイドハイドの数少ない格言のひとつを護るためにもな」
「勇ましいですね。 そういえば、グレイドハイドの格言て聞いたことがないんですが、いくつあるんです?」
「たいしたことは無い。 たった一つだけだ」
ギルバートは手を止めなかった。 だが、その目には溶鉱炉にくべられた鉄よりも熱い何かが灯っていた。
「ヘムロックもその裏にいる者も、此度の件に私の娘を引き合いに出したことが、一体がどれほどの愚考か、どうやら正確に理解していないらしい」
「え?」
「それはつまり、ベルカのことを軽んじたということだ。 そうすれば私がどう動くか――見透かしたかのようなおろかな作戦だ。 だが、当グレイドハイド家の事をよく理解しているとも言える」
「……と、言いますと?」
ギルバートはボルトを締めていたレンチの手を止め、虚空を見据えながら、グレイドハイド家の絶対普遍の格言を口にした。
「家族を侮辱したものは、例外なく報復し、灰燼に返せ」
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