第7話 無謀な折衷案

――「まったく、いつまでも手伝いに戻ってこないから様子を見に来てみれば……。 勝手に娘を政略結婚の道具にしないでもらえるかなキルベガン卿」


 後ろを振り向けば、先ほどまで着ていた作業ツナギから着替え、糊の利いたシャツにポケットチーフを挿し、アイボリーのベストを着た正装のギルバートがそこに居た。


「これはバーンウッド卿。 御執心であるアンティークの調子は如何ですか?」


「キルベガン卿、あれはアンティークではなく、ロマンの鉄塊だ。 調子と聞かれれば、まぁ上々に仕上がりつつあると言っておこう。 そんなことより、君の裏で暗躍している王都の政治家に送る報告書は仕上がったのかい?」


 もはや謀だと断定した口ぶりのギルバートだったが、ヘムロックにいたっても別段うろたえず、むしろ飄々としていた。


「それを早々に仕上げたいが為にこうして海峡を跨いで出向いてきているのは、あなたもお分かりでしょう? グルーバー家も王都に対する返答をこれ以上遅らせるわけにはいかないんです。 だから互いの立場を思い、こうして折衷案を持ってきているのですよ」


「折衷案? どうやらそちらにばかり都合のいい案のように聞こえるが?」


「ですが、事実としてシップの探査状況は、王都に提出した事前計画書で予想されていたスケジュールよりもかなり遅れているでしょう?」


「調査ブロックの探索難易度から、長期に渡る探査が予想されると報告したはずだ。 場合によっては探査日程の大幅な変更もありえるとも。 それが昨日今日で私ですら把握していない進捗状況の監査結果が、私を飛び越えて君のところに話がいったことが、私にはどうにも解せない」


 つまり、王都、もしくはヘムロックが手にする監査報告書の信憑性がかなり疑わしいということだ。


「各々の領主がしっかりとその責務を果たされているのか、王都は独自に査察団を用いて現状を調査しているのです。 その結果が、此度の私に対する裁可に繋がったということなのです。 本来グレイドハイド家の権威、権益はシップ探査という大役あってのもの。 ですが、それをおざなりにして意図的に調査を長引かせているのだとしたら、これは問題だ。 そうでありましょう、バーンウッド卿?」


 ここにきて、ケビンはヘムロックが何をもってしてちょっかいを出してきているのかと思ったが、ようやく分かった。

 つまりヘムロックとその裏で糸を引く者は、グレイドハイド家が利権を持ち続ける為の延命措置として、わざと探査作業を遅らせているということにしたいのだ。

 本来であれば、そのような調査報告など一笑に付すような話だ。

 ケビン自身グレイドハイド家の評判は記憶を失ってからのものしかないが、それでも民から愛され、交易で訪れる人々からの評判もよく、加えてギルバート・グレイドハイドという人柄を考慮しても、逆立ちしたって後ろ暗いことなんてありえない。

 汚職に手を染めているなど、どのような場面を切り取っても似合わない人たちなのだ。

 ――だが、白を黒く染めてこそ政略なのだろう。


「ですが、当グルーバー家の力であれば、これまでの遅れを挽回し、さらに探査範囲を拡大して結果を出して見せましょう」


「結果を出すと仰るが、確かキルベガン領にはシップは確認されていないはず。 故にシップ探査はグルーバー家にとって門外漢では?」


 シップという大型建造物の中身は、各所が鋼鉄の通路で出来ており、迷宮といっても差し支えないほど入り組んだ構造をしている。 中には理解の範疇を超えた仕掛けによって作動する扉や罠とも言える装置が配置されており、シップによっては深部に進むほど仕掛けは増えていく。

 グレイドハイド家、ひいてはバーンウッドはそれらを長い年月と多大なる犠牲の上で調査を進め、シップ内の鋼材や設備、留置物を搬出してきた。 とてもノウハウの持たない人間が調査を行えるようなものではないことくらい、人々の間では一般常識だ。


「ええ、まさしくおっしゃる通り。 だからこそ、両家がさらに力強く結びつく必要があるのです。 決して私的な思いだけで申し出ているわけではないのですよバーンウッド卿」


 確かに、ヘムロックの言う方法であれば膨大なシップに関する調査技術、技能をベルカを妻にすることで手に入れることが出来る。 その為のあの茶番とも思えた求婚が、私的な要素を一切廃しているものだったとするならば、ヘムロックは今すぐにでも一流劇団で主役を務める事が出来るだろう。 少なくとも、ケビンにはあの求婚は本気に見えたのだから。


「――おかしな話だ」


 だがそんなことを考えていたケビンとは違い、ギルバートはその点には触れず、純粋にヘムロックの真意に興味があったようだ。


「もしシップの更なる調査を下すなら、当家に知らせが出されるはず。 それがどういうわけか、専門ではないグルーバー家にグレイドハイド家の内偵も含めた勅命が下った。 しかも、遠方からわざわざ出向いてまで返答を急いだ。 特使を使わず、君自らだキルベガン卿。 本来あるべき手順を踏まず、これほど行動的なのは、何か別の理由があってのことだろう。 ……本当に切羽詰っているのは、君のほうではないのか?」


「……」


「――ヘムロック・グルーバー、何を吹き込まれた? 何を焦っている?」


 ヘムロックは問いに答えずギルバートの目を見据えて微笑を保っている。 だが、明らかにその場の空気がヒリついたのが分かった。


「……おっしゃる通り、こうして話していても互いに解決策を見出せぬまま、期日を迎えてしまう。 こうしてあなたやベルキスカ嬢といつまでも語らっていたいという思いは確かにありますが、あくまでこれは政務ですから、答えは出さなくてはならない」


 声のトーンとテンションは変わっていない。 だがヘムロックのまとう雰囲気が確実に変わったのは分かった。


「――聞けば、貴殿は有名な機士であったとか」


「……確かに。 だがそれも遥か昔の話だ。 機体にすら暫く搭乗していない」


「ふむ。 でしたら、ちょうどいいハンデとなりますか」


「……ハンデだと?」


 何のことか皆目見当がつかないケビン達に一切構わず、ヘムロックは語りだした。


「はるか昔、勇敢な男達は譲れないモノの為に決闘を行った。 時には武力、時には知力。 方法は千差万別。 それが今では、ある戦いにおいては公的な力を持っている」


 それが何のことを言っているかは、この場の誰もが察した。 話の方向性をどこへ持っていきたいのかも……。

 だが、正気とは思えない。 ヘムロックも、目の前の相手がどのような人物か知らないはずがない。


「ジョストか。 しかしこの事、貴殿のお父上は承知なのか?」と、ギルバートが問いかける。


「現在父は王都の命によって領地を離れています。 その間の職務の全権は私へと委任されているのです。 よって、これは正当な政と考えていただいて構いませぬ」


「キルベガン卿、卿の言ったように、今となってはスポーツ競技となっているジョストも、その昔は政治的意味を持つことが度々あった。 だが、昔は昔でも、遥か昔だ。 今となっては廃れて久しい、おとぎ話のごとし伝統と言ってもいい。 その様なものに、卿は王都よりの勅命を賭けようというのか?」


 ギルバートの言う事はもっともだった。 王都からの勅命である政務を対話や議論による交渉ではなく、決闘裁判のごとき力技で決めようなど暴挙にもほどがある。

 それも、勝利の見込みが全く見えない戦いともなれば、正気の沙汰とは思えない。


「廃れたとしても合意のもと行われれば、それは公的な力を発揮いたします。 これは要請ではなく譲歩と考えて頂きたい。 私の将来の妻、ベルキスカ嬢の意を汲み、あなたの意向を正当な形で処理する為の、互いに後腐れなく処理する唯一の手段です」


 これが落とし所だと、ヘムロックは提案する。 平行線を辿る話に、合理的な早期解決策として自身の提示する最大限の譲歩だと。


「……仮にその条件を受けるとして、私の相手は?」


「もちろんこのヘムロック・グルーバーが勤めさせていただきます。 代闘士チャンピオンなど頼みません。 それに私は、つい先日機士として洗礼の儀を終えましたので、ジョストを行うにあたっては些かの問題ありません」


 本来、リーゼ・ギアに搭乗して試合を行うには幾つもの条件をクリアする必要がある。

 ヘムロックの場合、条件の一つである機体を維持するだけの資産力というハードルは既にクリアしているだろう。

 他にも、百時間以上の搭乗訓練や、機体の整備方法、試合に関する知識の修学も必要となる。 すなわち、ライセンスだ。

 しかし、それはあくまでもスタートラインに立つためのプロセスであり、ジョストに望むための本質ではない。


「では、戦闘経験はまだないということか、キルベガン卿?」


 ジョスト・エクス・マキナは、履修科目が終了し、ライセンスを得たとしても直ぐに戦えるほど甘い世界じゃないことくらいは機士じゃないケビンにだって分かる。 巨大な鉄の塊に乗って高速で突進するというだけでも恐ろしいのに、そこからさらに衝突覚悟の距離で突撃槍をぶつけ合うのだから、簡単なはずが無い。


「公式では一度もありません。 しかし、熟練の機士より手ほどきは受けていました。 もちろん、貴殿がこれまでに打ち立ててきた記録や戦果は重々承知しています。 それを踏まえたうえで申し上げているのです。 であれば、あなたにとっては好機でしかありえない申し出ではありませんか?」


 “あなたにとって負ける要素は無い”。 そう自ら申し出るヘムロックの思惑を察することは、ケビンには出来なかった。 当然だ、そんなうまい話をすんなり信じられるわけがない。

 ギルバートとヘムロック。 マッチメイクが成り立たない程の力量差で、まともな試合になるとは誰一人思わないだろうし、そのような条件を持ち出してくる時点で裏があることは誰の目にも明らかだ。

 ――が、落とし所としては文句のない条件だったのは間違いなかった。


「……いいだろう。 その申し出を受けよう」


「そう言って頂けると思っておりましたよ、バーンウッド卿」


「しかし、貴殿の機体はどうする? 今からキルベガン領へと知らせを出したとして、運搬にはそうとう時間がかかるのではないか?」


 キルベガン領からバーンウッド領までは海路と陸路を挟む以上、今日明日で機体が届くという距離ではない。

 王都の勅命を短期で解決するための決闘のはずが、その為の準備に大幅な時間をかけるのでは本末転倒となってしまう。

 しかし、そんなバーンウッドサイドのえは杞憂に終わった。


「ご安心を。 近く行われる新人大会の為に、わが愛機もこちらに輸送済みです。 仔細問題ありません」

「つまり、私との決闘はその前哨戦だと?」


「まさか、とんでもない! 我が勅命を賭けた貴殿との戦いに比べたら、新人大会など児戯にも等しい。 それに、恐らくあなたと戦った後ともなれば、新人大会に出るための余力など残ってはおりますまい」


「大会に出られずともよいと?」


「構いません」


 ジョスト・エクス・マキナの新人大会は自身の知名度に箔を付けるため、殆どの機士にとって重要な通過儀礼だ。

 だが、勅命の完遂というだけではない――歴戦の英雄との一騎打ちというまたとない機会が目の前にあるのなら、優先順位の天秤がどちらに傾くかなど明らかだった。


「……了解した。 では、貴殿との決闘は公的なものとして承ろう」


「ありがとうございます、バーンウッド卿。 では当日までにこちらも必要な書類を用意しましょう」


「ああ、よろしく頼む」


 恐らく、これはヘムロックに誘導されたというのは間違いないだろう。 そしてそれは、ギルバートも承知しているはず。 だが、いつまでも在らぬ疑いでちょっかいを出され続けるのは避けるべきことだということも承知している。 このようなヘムロックの訪問が続けば、気づいた時には望まぬ形の尾ひれがついた風評が人々の間で流れないとも限らない。 例えヘムロックの言う根も葉もない憶測が本当に潔白であったとしても、どこに目や耳があるかも分からないのだから。 故に、早期解決を図るならば、例えそれが罠だったとしても飛び込まないわけにはいかない。  しかもそれが、娘であるベルカにすら関わってくるとなれば、ギルバートにとっては尚更だろう。


「場所と日時は?」


 ヘムロックは雰囲気を若干和らげ、どこかほっとしたかのように肩の力を抜いた。


「こういう事は早い方がいいでしょう。 明日、ここから東にあるパルヴェニー区のコロシアム跡でいかがでしょうか? 正式な試合といえど、喧伝して人々を集めることも無いですし、ジョストの試合を行うだけの施設ということであれば、丁度よいかと」

 まるで舌に油が乗ったように淡々と段取りを話すヘムロック。 腑に落ちないというか、こうもスムーズに事が運ぶことに、やはり若干の違和感……胡散臭さを感じるケビン。 まるで初めからこうなることを予期していたかのように感じるのは、単なる思い過ごしではないだろう。


「興行目的の試合ではないからな、異論は無い。 それにあそこは今でも機士達が訓練目的で使っている。 会場設備自体も問題は無いだろう」


「それでは決まりですね」と、ヘムロックは右手を差し出し、ギルバートはそれをしっかりと握り返した。 


「では、私はこれより機体の整備にかからせていただくので、悪いが失礼するよ、キルベガン卿」


「ええ。 私も戻らせていただきます。 また明日、コロシアムでお会いしましょう。 ベルキスカ嬢、ケビン君、また」


 深々と優雅に一礼し、踵を返したヘムロックは最後に一瞬だけケビンと目を合わせ、ここへ来た時と同じく豪華絢爛な馬車に揺られて帰っていった。


「……はぁ」


 その光景を見送ったケビンは、溜まっていた肩の力をため息と共に弛緩させた。 


「私から頼んだとはいえ、とんでもない所に立ち合せてしまったな。 すまん、ケビン」


 そう言ってギルバートはケビンの肩に手を置いた。


「いえ、大丈夫です。 だけど、よろしかったんですか?」


「ヘムロックとの決闘か? どのみち此度の問題は何らかの形で解決せねばならなかった。 だから、期せずしてこういった運びになったのはむしろ僥倖だ。 なにより、我が娘をあのような男の下に嫁がせるわけにはいかないからな」


 ギルバートは鼻で笑っているが、その後ろにいたベルカは浮かない表情をしている。


「ごめん、父さん」


「謝る必要など無い。 むしろ、よくあの男の前で理性を保ったと褒めてやりたいくらいだ」


「だけど、私がもっと柔軟に対応してれば、こんなことにはならなかった」


「お前がそんな所作を身に着けてしまっては、私の楽しみが一つ減ってしまうではないか」


「……っ」


 ベルカは申し訳なさそうに顔を伏せた。 彼女がここまであからさまに落ち込んだところは、始めて見た。


「ケビン、午後の予定は?」


 その姿に意識を奪われていたところで、ギルバートさんから声がかかる。


「今日は、特に何も……」


 実際今日は急ぎの用もなく、家に戻ったら仮眠でもとってから依頼を受けていた他の時計の修理に取り掛かろうと思っていたケビン。


「であれば、私の機体の調整に手を貸してくれないか?」


 試合が明日ともなれば機体を整備するのにも人手が必要だろう。 ケビンとしては、ギルバートさんを手伝うことには何の問題もない。


「それはもちろん構いませんが、僕はリーゼ・ギアの知識は皆無ですよ?」


 いくらケビンが技師と言っても、扱う規格のサイズが違いすぎる。 加えて整備に関する専門的な知識など、書物での斜め読みか、聞きかじった程度のものでしかない。


「専門的な部分は私がやる。 ケビンには簡単な物しか頼まんよ。 それでも人手は多い方がいい。 それに、信頼できる助手がいれば、作業効率も上がるだろう」


 中々断りにくいことを言ってくれる。 もとより断るつもりなど毛頭無かったが、それでもそう言われると嬉しいものだった。


「でしたら、喜んで。 いつ始めますか?」


「そうだな……いや、まず私達は燃料補給が必要だ。 作業はそれから。 ベルカ、ケビンの好きな香辛料が昨日届いただろ。 それで一品作ってやってくれ」


「……分かった。 ケビン、“香草タイム”の量はいつも通りでいいのか?」


「うん、むせるくらいでよろしく」


 何の因果か、全てを失ったケビンの好みの味付けが、手にした職と同じ名前だった。

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