邂逅 an encounter
第6話 ヘムロック・グルーバー
「御機嫌ようベルキスカ嬢。 先日送った花は受け取ってもらえたかな?」
「御機嫌ようキルベガン子爵、“ヘムロック・グルーバー卿”。 いつも素敵な花をありがとう。 食べ応えがあると家畜達の評判も上々だ」
ケビンが館の裏口から周り、エントランスに通じる扉の前まで来たところで、ベルカとヘムロックと呼ばれた金糸よりも輝いて見える癖のついた髪の青年が玄関口で向かい合っていた。
「二人は知り合いなのか?」
なんとなく両者のやり取りから顔見知りだということが窺えたが、どういうわけかベルカはうんざりという表情を臆面にも隠さずに対応している。
「相変わらず他人行儀ですなベルキスカ嬢。 どうやら、その傲然たる性格も相変わらずのようだ。 いったい何が不満だというのか。 それとも、荷馬車程度の花束じゃ足りなかったかい?」
「わざわざそんな分かりきったことを聞きに来たのか。 我が領地は王都へ税も納めてるし、民からの不満もない。 そんなところに横から“これからは私がこの領地を治める”なんて寝言をほざく輩が現れればこうもなるだろ」
ベルカの口調は淡々としたものだったが、その声色には苛立ちがはっきりと表れていた。
「――って、なにやら穏やかではない内容の会話が聞こえてきたが、これに介入しろというのかギルバートさんは……っ」
そんなベルカの様子を知ってか知らずか、ヘムロックの調子は変わることは無い。
「こちらは善意から申し入れているのだがね、ベルキスカ嬢」
「……先週ここへ着た時、書簡も使者も送らず、正当な手順を経ずに一方的な要求を突きつけてきたな。 貴殿のところではそれを善意と呼ぶのか」
「いや、まさか断られるなんて思っていなかったものでして。 それで、考えてくれましたかな?」
「それこそ即日グルーバー家に書簡を送ってお伝えしたはずだ。 まさか届いていなかったのか?」
「あぁ、書簡は届いてはいたのだが、内容が些か不明瞭な部分があったからね、こうして直接出向いて詳細を聞きに出向いてきたわけさ」
「……不明瞭?」
「その通り。 不服とする旨が書かれた書簡など、不備以外の何物でもない。 このグルーバー家の要請が受諾されないなど、これほど矛盾に満ちたおかしなことはない」
暴論……。
ヘムロックという人となりを初め見たケビンだが、少なくともグレイドハイド家とは対照的な、独善性をコートのように身に纏っているよう人物という印象が強かった。
そして、それを正面で相手にしているベルカのフラストレーションの受け皿は、そんな暴論を受け止められるほど深く作られていないことをケビンは知っている。 恐らく、現在はギリギリ表面張力でなんとか保っているといった所だろう。
「この領地を明け渡さなければならない経緯こそ不明瞭だ。 シップの調査範囲における拡張不備、及び発見物隠匿の組織的横行など、どこをどう斜め読みしたらこんな出鱈目ばかりが連なった書面を承諾できるんだ。 しかも、当家へ直接ではなく、“王都がそちらを経由して”というところもおかしな話だ」
「ベルキスカ嬢、これは王都より発せられた正式な案件。 正確には今あなたが仰った案件に対する真偽を明確にせよというのが、当家に課せられた勅命なのです」
柔らかい口調の中に、硬質な緊張感が含まれている。 世間知らずなケビンにすら分かる、あからさまな謀略の気配が、ヘムロックから感じられる。
話を聞く限り、グレイドハイド家に対して分かりやす過ぎる政略的パワーゲームが仕掛けられたか、もしくは巻き込まれたということなのかもしれない。
やっかいなのは、グレイドハイド家の者であるギルバートもベルカも“まったく関知していないところで起こった”ことであり、また、ケビンの知りうる限りグレイドハイド家と関わりの深くないと思われるヘムロックが出張ってきたことが、これまた分かりやす過ぎる王都からの尖兵であるということなのだろう。
「……つまり、貴殿の報告次第で我が領地の行く末が決まるということか」
「ん~、やはり貴女は聡明な人だ。 みなまで言わずともこちらの思惑を理解してくれる」
「謀略や悪意を感じ取る力は、身分相応に身についてる」
「ならば、あとは言うまでも無く分かるだろう? 手紙にも書いたはずだ。 この後、君が取るべき正しい道が」
そう言ってヘムロックはその場で膝をつき、ベルカを見上げながら左手を自身の胸に、右手をベルカへ差し出した。
「……?」
ベルカはというと、要領を得ないまま頭に疑問符を浮かべ停止していた。 だが、次のヘムロックの台詞は彼女の想像の斜め上を貫いた。
「ベルキスカ嬢、君が私の妻になるのがもっとも合理的だと思うのだがね」
「………………は?」
まさかの求婚に、当人のベルカも二の句を告げずにいる。
かくいう陰から様子を見ていたケビンの口も、気づけばあんぐりと口を開いたまま閉じることを放棄していた。
「ベルキスカ嬢、形式上での統治者は変るが、その配偶者となれば政に発言する許可を与えよう。 民と触れ合うことも咎めはしない。 加えて、グレイドハイド家の家徳も上がる。 いいこと尽くめではないかな。 ……おや、まさか読んでないのかい?」
「もし貴殿の言う事が手紙の後半に書いてあったのなら、その通りだ。 二枚目の私宛の私信という項目からおかしいと思ったが、あまりに理解不能で読むのをやめた」
「ふむ、それは残念だ。 文面を考えるのに二日間も費やしたのに」
「あれで二日か。 吟遊詩人に代筆を頼んだ方がまだ読む価値がありそうだ」
ベルカの声色に隠し切れない苛立ちの片鱗が見える。
「これはもう、あれだ。 ベルカの機嫌からしてあと少しでも癇癪の火花を散らしたら、この不穏な空気と混ざった気化燃料に引火して大爆発を起こしかねない」と呟くケビン。
ならば、引火する前にそれを防ぐのがギルバートより頼まれた役目。 声をかけるタイミングとしては、もはやここしかない。
「べ、ベルカ。 もしかしてお客さんかな?」
ひょっとしたら初めからケビンが居たことが分かっていたのか、ベルカは身じろぎ一つ無くヘムロックを見下ろしたまま首を振る。
「いや、客じゃない。 ゆっくり父の相手でもしていてくれ」
「おや、そちらの彼は?」
突然の闖入者に興味を引かれたヘムロックは腰をあげ、ベルカの後ろにいるケビンに視線を送る。 そこで初めてベルカも溜息を一つ吐き、ケビンの方に振り向いた。
二人の意識がお互いから自分の方に向いたことによって、 軋み始めたロビーの空気が僅かに和らいのはケビンにとって僥倖だった。
「私の……友人だ」
そして、これ以上の火花を散らせないため、まったくもって気は進まないが、出来うる限り自分が前に出なければいけないだろう決心という諦めが入るケビン。 ギルバートが言っていたのは、そういうことだ。
「お初にお目にかかります。 私は時計作りを生業にしています、ケビン・オーティアと申します」
「私はキルベガン子爵、ヘムロック・グルーバーだ。 はじめまして、ケビン・オーティア」
育ちによるものか、それともこれが彼の素なのか。 直接話してみたケビンの第一印象は、その整った顔立ちとあいまって、あらゆる所作がまさに貴族という印象だった。
にしても、キルベガンか……。
確かキルベガン領はここよりかなり西にある、海峡を一つ挟んだ土地だったはずだけど、そんな遠くの貴族が干渉してくるなんて……。
ケビンが表情に出さず刹那の内にそう思考し、しかし、今はそれよりもこの場を何とかしないとと思い直す。
「キルベガンとは、また遠くから良くお越しくださいました。 ですが、恐れながらヘムロック様は自身のお考えをお伝えするのに苦慮されているかと存じます。 彼女も突然の訪問に戸惑っているでしょうし、幾ばくかの時間を置くことで、またヘムロック様に対する対応も変わってくるかと思います」
にっこりと笑うケビン。
だから、今日のところはお引き取りを――と、そこまで言えるほど自分の立場は強くない。 頼むから、これで言わんとしていることを察してくれ……と、笑みの裏に本心を隠して。
「ふむ、なるほど。 ベルキスカ嬢の機嫌が優れないのはそういうことであったと……。 ならば確かに、気持ちの整理をして頂くには此度の訪問は突然すぎたかもしれない。 ありがとうケビン君。 どうやら君は良識ある領民のようだな」
「いえ、とんでもないです……」
付け焼刃の応対ではあるが、ヘムロックはその事に気分を害すことはなかったようだ。
「しかし、私としても王都からの勅命に対して早期の解決を期待されている。 出来れば、これまでに積み重ねてきた逢瀬を無にしないためにも、本日中に誰もが幸せになれる回答をお聞きしたい」
「逢瀬も何も、直接顔を合わせたのはこれが二度目だろう。 私からしたら、ヘムロック殿はもてなすべき客ではなく、謀略をめぐらす卑劣漢といったところだ。 そのような人間に対して首を縦に振る教えも矜持も私は持ち合わせていない」
「謀略とは人聞きの悪いなベルキスカ嬢。 私は善意から、君と君の愛する領地、領民のことを真剣に考えたうえで、はるばる遠方から出向いてきているというのに」
「白々しい。 いや、清々しいほど自分に素直だな貴殿は」
「私はいつだって、あなたに対しては素直ですよベルキスカ嬢」と、恭しく首を垂れるヘムロック。
……これでは、話は平行線のままだ。
確かにヘムロックの言葉は真実でもあるのだろう。 ただ、すべてを語っていないというだけで。
ベルカが言う謀略という気配はただの一領民であるケビンにでも分かる。 その程度にはヘムロックは素直に話しているのは間違いない。
しかし、その表明があまりに一方通行すぎる。 ここまであからさまだと、ワザと相手の感情を逆なでしようとしているのではないかと勘繰りたくなる。
「……」
先ほどからベルカがケビンに視線を送って来ている。 ケビンが察するに、この場に自分が留まっていると居心地が悪いのか、早々に離れてほしいかのようだ。
そしてそれは、ヘムロックも同様のようだ。
ギルバートさんから任された場ではあるが、大した執り成しも出来ないまま早々に退場すべきかもしれない。
「それじゃあ、僕はこの辺で……」
「ああ、すまないが……いや、待ちたまえケビン君。 もしよければ、ここで証人になってほしい」
「……証人、ですか?」
一体何の? それを口に出そうとしたとき、ヘムロックは再びベルカの前に跪いて、顔を上げた。
そして、懐から手のひらに収まるほどの小箱を取り出した。
「ベルキスカ・グレイドハイド。 私は、いついかなる時も、君だけを永遠に愛し、誰よりも幸せにすると約束しよう」
小箱が開かれると、そこには眼がつぶれそうなほどにまばゆい輝きを放つダイヤとゴールドの指輪が収まっていた。
「……」
言葉を失っていたケビンは直ぐに開いたままの口を閉じた。
かたや、ベルカはといえば平然とヘムロックを見下ろしているから、内心までは読めない。
いや、その表情からは感情の一かけらも伺えないといった方が正しいのか。
「冗談にしては気の入った演技だなヘムロック殿」
「そう見えるのも当然さ。 私は本気だからね」
「……私だけをと言うが、後宮で毎夜楽しんでいるという噂をよく耳にするぞ?」
後宮……。 側室や侍女たちの住む場所で、ある種ハーレムみたいな場所であると一般人は認識している。
「そんなもの、ただの噂に過ぎない。 まさか、嫉妬してくれているのかい?」
「……やはりそうではないかと思っていたが、貴殿は相手の言葉と気持ちを感じ取る回路が焼き切れているようだ」
ヘムロックは痺れを切らしたかのように立ち上がり、大仰に両腕を広げた。
「まったく、一体何が不満だというのだ? 君にとって、ひいてはグレイドハイド領にとって渡りに船でしかないだろう。 この提案に、君個人の意思が介入する余地がないことくらい、事の経緯を考えてみても分かるはずだ」
ヘムロックの芝居がかった物言いはどことなく堂に入っていて、ケビンには正直なところ演技なのか本気なのかは判断が難しい。 正直に言えば、彼の言葉には限りなく本気と思わせる熱が籠っている……と感じた。
――いや、僕は、端から思い違いをしていたのかもしれない。 ヘムロックは、ベルカの事も本気なんじゃないだろうか?
グルーバー家が持ってきたという策謀とは別にして、ヘムロック自身の目的は、グレイドハイド家の長女である彼女にあるんじゃないだろうか。
ともすれば、ヘムロックにとって王都からの勅命は思慕の念を叶えるを絶好の機会とも言える。
「……そうだなヘムロック殿。 もしも私の意思の介入が果たされるのなら、乙女としては憚られる罵詈雑言を貴殿に叩きつけるだけで、本来は済んだかもしれない。 だが――」
ベルカは項垂れるように頭を下げ、そのせいで表情をうかがい知ることは出来ない。 しかし、それが憤怒に限りなく近い感情によって象られていることは想像できる。
彼女とて、誇りと礼節を重んずる貴族の娘だ。 ベルカにしてみれば陰謀を企むヘムロックの行為……いや好意は、単なる余興、悪ふざけの肴、もしくは侮辱に相当するものとして受けとっただろう。
それが、いよいよもって彼女の許容量を超えた。
普段ならこのような話でも軽くいなしてしまいそうな彼女がここまで感情豊かになることは、現状において非常によろしくない。 ギルバートが言うところの、わざわざケビンを派遣してまで止めようとした問題が、この場だけでなく館全体にまで飛び火し、災害規模で大事になることは明白だ。
そして、このような局面に対して貧弱なケビンの引き出しでは、この場をどう収めるかも、どう切り抜けるかも出てこない。
「――っ」
しまいには激発寸前のベルカの雰囲気に充てられて、背中から冷や汗が出始めた。
――だがしかし、そんな時にこそ、救世主とは現れるものだ。
「まったく、いつまでも手伝いに戻ってこないから様子を見に来てみれば……。 勝手に娘を政略結婚の道具にしないでもらえるかなキルベガン卿」
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