第8話
仁
「いやー、いつもすまないねぇ。最近じゃ商店街のジジィババァじゃちょっとした掃除でも体が痛むこともあってなぁ」
掃除が終わり、ゴミを片付けてゴミ捨て場に持って行くと、商店街のおじさんが最後に監督と言うことで顔を出していた。
ゴミ袋をまとめ終わり、ゴミ捨て場の鍵を閉め終えると、おじさんは学校への報告書に判を捺して帰って行った。
「さて、我々も教室へ帰ろうか」
「「「「「はーい」」」」」
天ヶ瀬の声に全員で応える。
返事をしたというのに、天ヶ瀬はその場で止まったまま動かなかった。
「……そう言われてしまうと、自分が先生の扱いを受けているようで複雑な気分なんだが」
「実際先生扱いで監督できてるからいいじゃねぇか」
「こら仁! 貴様なんて事を言うんだ!」
「だから先崎先生来ないんだろ」
「なん……だと……」
天ヶ瀬が項垂れてしまった。
何がそんなにショックだと言うのだろうか。
全員をきちんと引率して、責任者として任せても問題も気にされてないとか、かなりいい評価だと思うのだが。
「はは、そうだ仁……」
天ヶ瀬が、ゆらりと顔を上げる。
一度俯いてから顔を上げているせいか、前髪が下りていて表情がうかがえない。
貞○か。
「お前……雅君と競争して負けた罰ゲームを受けていなかったなぁ……?」
「……何のことかな」
ふいっと顔を逸らす。
やばい。失言だったか!
「先輩! 負けたことをなかったことにしようとしてもそうはいきませんよ!」
「ちょ、おま」
今だけは話を合わせてくれ! 後でいくらでも望みは聞いてやる!
と、声に出すわけにもいかず、視線で雅に訴える。
「視線でごまかそうとしてもダメです!」
アイコンタクトは失敗に終わった!
「なぁ仁……」
ガッ。
一体どこからその力が出てきたのかと問い詰めたい勢いで肩を掴まれる。
「負けた者には、罰が必要だよなぁ……?」
何か手は! 何か手はないのか!
頭を回転させる。
今この状態の天ヶ瀬発案の罰ゲームは、相当やばい!
「先輩! 聞いてますかー!?」
後ろからの天ヶ瀬に意識を向けていたせいか、正面にいた雅が抗議の声を上げる。
「! 雅!」
雅の肩をつかむ。
「勝負にはお前が勝ったんだ、お前が罰ゲームを決める権利があると思わないか!」
天ヶ瀬からの罰ゲームが問題になりそうならば、天ヶ瀬以外の人間に罰ゲームの内容を決めてもらえば良い!
これは起死回生の一手となるはずだ!
「罰ゲーム、ですか……」
「そうだ! 頑張って勝負に勝ったのは雅なんだ、お前が決めたら良い」
そう言うと、雅は考え込んでしまい、天ヶ瀬の手は俺の肩から離れていった。
努力をしたのは雅だ。天ヶ瀬も強く言え――
「お腹を、撫でてくれませんか?」
いやー。本当に分かるもんだな。
その時、確かに聞こえた。空気が凍る音が。
「お兄ちゃん……?」
「……仁?」
プレッシャーが三倍に増しただと!?
振り返ると、さっきの天ヶ瀬の様に殺気を漂わせながら真雪と五ツ葉先輩がゆらりと一歩前に出た。
真が明後日の方を向いて笑いをこらえていたり、大西さんが呆然としていたりしているが、そこを気にしている場合じゃない!
「……先、輩」
正面の雅が、罰ゲームというよりはおねだりをするように上目遣いで迫ってくる。
その手はすでに制服の裾にかかっており、もう少しで後輩の健康的な肌が露わに――ってそうじゃねぇ!
「待て雅! そういう大事なのはもっとちゃんとした時にとっとけ!」
「ちゃんとした時って、いつですか……?」
頬を染め、少しだけ主張するような袖引きが、これほどまで破壊力を持っていることを、俺は知らなかった。
前門の狼(少女)、後門の修羅。
どう考えても前門に進むべきなのだろうが、進んだ先は確実な死である。
二重の意味で心拍数が上がるという中々突飛な体験をしている。
「ぶふぅ! っくくくく……」
真が吹き出した声が聞こえる。後で覚えておけよこの野郎。
「……先輩、私だって恥ずかしいので、早く撫でてくれると、嬉し、いです」
雅が俺の手を掴んで、ゆっくりと自分の腹へと引いていく。
触れている雅の腕が、震えている。
緊張なのか、これはそれとも別の物なの……
「「「ダメー!!」」」
背中、首に衝撃。
次の瞬間、俺は地面に引きずり倒されていた。
「雅ちゃん! 早まっちゃダメ!」
俺に腹を触られると死ぬんですかね。
雅をかばうように俺と距離を取った真雪が真剣な表情で訴えていた。
俺を拘束する天ヶ瀬と五ツ葉先輩も、先ほどの表情とは違い頬を染めていた。
「?」
「は、破廉恥だ! 後輩の少女の生腹を撫でるとか、上級者か!」
「そうでござるよ! ここは往来でござる!」
ツッコミはそこなのか。
てか生腹ってなんだよ生腹って。
「……あぅ」
残念そうに顔を伏せる雅。
「あっははははは!」
こらえきれなくなったのか、真の笑い声が上がる。
「ま、真君、笑っちゃダメですよ!」
「っくく、いや、これは、ぶふぅ!」
「えっと、えっと、あ、そうだ皆さん! 早く教室に戻らないと、授業時間が終わっちゃいますよ!」
大西さんのその言葉に、混乱していた大西さん以外のメンバーが正気に戻り、教室に戻った。
「ん? どうした天ヶ瀬、顔赤いぞ?」
「な、何を仰っているか! 私は至極普通だぞ! ああ!」
「お、おぅ……」
教室へ戻り、活動の報告書を先崎先生に提出し、それぞれの席に戻る。
女性陣が明らかに平静を保ていないことに、疑問は残っているようだったが、先生はチャイムが鳴ったのを聞き、職員室へ戻っていった。
先生が教室から去り、普段ならそれぞれの用事のために教室を出て行ったり、集まったりするのだが、今日は誰も立ち上がらなかった。
「(なんだこの空気……)」
皆が皆他のメンバーの動きを伺っているかのようなこの空気感。
席自体は後ろのため、他のメンバーの表情がわかりにくい。
そして、どうするかと頭をひねっていると、雅が立ち上がった。
「先輩……」
雅が振り返る。
「おっと雅ちゃん、今日の掃除の反省会をしようよ!」
「そうだな真雪ちゃん!」
「え、ちょ、なん……あぁ~!」
――すると同時、真雪と天ヶ瀬が雅の両腕を抱えて教室を飛び出していく。
「ま、真雪ちゃんちょっと待って!」
後を追って、真が教室を出て行った。
あの調子で外に飛び出してしまうと、大変なことになってしまいそうだ。
……真がついていれば、真雪の体質が表に出ることもないだろう。
「ヒナ殿、仁」
五ツ葉先輩が話しかけてきた。
先ほどの慌てた様子はすっかりなくなっていていつもの五ツ葉先輩に戻っている。
「どうしました?」
「何、こちらに来て、色々とあったであろう?」
「あ、あー……」
こちらに来てからの事を思い出して、コメントに困っているのか大西さんははっきりとした返答をしなかった。
「ははは。ならば今日の放課後は、拙者と息抜きでもいかがかな?」
「息抜き……ですか」
その言葉に、大西さんは俯いてしまう。
「「…………」」
俯いてしまった大西さんの反応に、五ツ葉先輩と視線を交わす。
「……どうでござろうか」
五ツ葉先輩も無理強いはできないと思ったのか、続きを促す。
「い、いえ! 嫌というわけではないんです!」
五ツ葉先輩に対して、ぶんぶんと手を振る大西さん。
そのまま、五ツ葉先輩の手を握った。
「こちらに来て、まだ五ツ葉先輩とあまりお話しできていませんでしたし、是非お願いします!」
「……さようでござるか、では参ろうか。行こうか、仁」
「了解っす」
五ツ葉先輩に案内され、教室を出た。
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