第一章 魂の器⑤
「そう、そんな良い人のあなただからこそ……アンナさん、あなたに魂の器は売れない」
俺は何事もなかったように席を立ち、そのまま窓の方へ行く。
昨日の横殴りの雨が嘘だったかのように、外は晴れ渡っていた。
「魂の器、その商品自体はあるよ。あるし、別に壊れているわけでもない」
「だったら! お、お金の問題ですか!? 確かに私は平民でそんなに蓄えがあるわけではないです! でも、一生をかけて払いますから!」
椅子がけたたましく後ろにずれ、アンナさんはそうまくし立てた。
俺は窓の縁に浅く腰かけて彼女を見る。
涙。
既に彼女は泣いていた。
「違う、お金の問題じゃないんだ。アンナさん、俺はね…あなたになら無料で渡したって良いと思ってる」
「私もそこは同意見です。いや、そこも…ですね」
リルも同意する。
いっそアンナさんがただの大富豪で、高慢ちきで憎たらしい人間であればこうも悩みはしなかっただろう。
法外な値段を吹っかけて、それで買うならよし、買わないでもよし。
「リルさんまで…。どうして、ですか…! お金の問題でもないなら、せめて理由を聞かせて下さい!」
声を荒げまいと、必死に唇を嚙んでいる。
俺はもう一度窓の外に目を向け、小さくため息をついた。
「魂の器ってさ、この世界にたった5個しかないんだ」
「それも西にはありません。あちらには必要がないので」
リルが補足情報を付け足す。
西、というのはルナアルト大陸の事だ。
俺たちが生きているこの地は、東のクレセリア王国。
必要がない、というのは…まぁいいか。
「え、5個…? そんな、もっと沢山あるものだとばかり…」
図書館の誰でも見られる書物に載ってあるくらいだ、そう思うのも不思議ではない。
ただこれは紛れもない事実だ。
「その当時はさ、この魂の器に東の全国民が注目したといっていい。そして渇望した。そりゃみんな欲しがるよ。だって、戦争で何人死んだと思うよ」
「東西合わせて約3割、と云われていますね」
リルが同調して答えてくれた。
俺は続ける。
「その中で作られたたったの5個。となれば当然それは…」
リルが、アンナさんを見つめて、敢えて機械的に言う。
「使用済、という事です」
時計の音だけが響く部屋の中、その静寂を破ったのはアンナさんだった。
「そう、ですか…。使用済だからもう使えないって…そういうことですね…」
そう力なく呟いて、ストン、と椅子に腰を下ろした。
涙は枯れている。
売れない。
ただ商品はある。
使用済。
本人からすれば何度谷底に落とせば気が済むんだろう…きっとそういう気持ちだろう。
「上書き、出来るんです」
テーブルに力なく投げ出されたアンナの両手を、リルはそう言って握った。
「魂の器がたった5個しか作られなかった理由…その最大のものは、使いまわしが可能な商品だからです」
リルは一旦そこで話を区切る。
ここからだ。
俺たちがアンナさんに魂の器を渡さない…渡せない理由は。
「アンナさん、あなたに…あなたに、誰かにとって大切だった人の最後の声。それを、消す事は出来ますか?」
優しく、でもゆっくりと響くように。
リルは、握った手を離さないまま、アンナさんにそう尋ねた。
「で、出来ます! だって! だってぇ! ラウネに! ラウネの声が聞きたい! もう希望を持つのは疲れたのよ! お父さんもお母さんも! 私もぉ! いつまでも待ってるのは辛いのよ! だから楽になりたいの! ラウネはもう死んだんだって! もう、待ってても帰ってこないんだってぇ!!」
部屋中が震える程の慟哭。
いつだってそうだ、辛いのは残される側。
特に神隠し。
目の前で死んだ訳でもなく、魔物に殺された訳でもない。遠方に引っ越した友達には、いつかまた会えるのだ。
生きているのだから。
どちらか分からない。
それは、余りに残酷な事だ。
「…リル、魂の器を持ってきてくれ」
「…はい…分かりました…」
リルは、そっと、繋いでいた手を離した。
そしてゆっくりと倉庫に向かう。
アンナさんが泣き止む事はない。
そして、きっと彼女は。
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