7.冬の『想い』で

 海と海の狭間の砂浜、と呼べばいいのだろうか。漆黒の夜空と錯覚していた広大な水面は、それが津波や洪水の如く降り注いで身体を飲み込んでくるかもしれない恐怖を掻き立てる。視線を地上へ下ろすと周囲360度、これもまた光の一点も見えない深く、果てない暗闇に覆われている。『学園』から見下ろすことのできたはずの海からは、『学園』が見えないのだ。


『ここが何処かって? うーん、それは簡単には言えないなぁ』


『教えてくれるんじゃなかったの? 幸人がどうなったのか! あの螺子って人は言ってた、あなたたちが世界を形作ってるって! ここはその世界なの? じゃあ、私が子供の頃に、『学園』に入る前に居た世界はどうなったの? そもそもこの『学園』って何なのよ! あそこにいる人たちは何者なの? 私の見てる夢? だとしたらそれはいつ始まって、いつ終わるの?』


『偶発的ナ理由ニ依リ被験者ガ夢ト自己トノ境界ヲ認知シ試行二乱レガ生ジタ場合、職員ハ当該被験者ノ肉体オヨビ精神ノ鎮静ニ努メナケレバナラナイ。ソノ際A及ビB類ニ属スル情報ヲ決シテ被験者ニ提供シテハナラナイ――って、事で。難しいのよ、色々』


 つまりは答えられない、もしくはこの状況から判断しろということか。――百聞は一見に如かず。それは彼女、釘自身が言っていたことだ。『学園』は夢。その中で違う夢を見た。どんな夢? 見てはいけない夢。

その時、今度は明確な轟音を伴って閃光が瞬いた。雷――と思ってその方角を振り向くと、そこには空の海から地の海まで続く螺旋階段が遠目に見えた。


(これって――あの夢の)


 それぞれの海から姿を現して、階段を上り、下ってゆくふたつの影。それがどちらも幸人であることが理解できるのは、一度は見た光景だから。


『幸人ッ!』


 聞こえないだろうことを承知のうえで叫ぶ。事実かれらは私の存在など意にも介さずやがて互いに立ち塞がり、歩みを止める。譲り合うことも争うこともなく、長い長い時間。ふたりの幸人は身動きひとつすることなく立ち止まっている。


 八木幸人。

『学園』においては高校三年生。好きなものはコーラと音楽とゲーム、将来の志望はゲームクリエイター。尊敬する人は祖父。好きな人は――

『学園』は私の夢であり、幸人の夢でもあるのだろうか。


『違うよ』


 その存在を忘れかけていた釘は、前髪の隙間の紅い瞳を爛々と輝かせている。


『あれは針。時を刻む長針と短針。あなたの夢を形作るもののひとつ。そして』


 彼女の手から、何かが零れ落ちて私の靴に覆いかぶさった。それは布切れのようで、端に糸と縫い付けるための針が通してある。


『あなたはあとちょっとで『学園』を卒業して、故郷へ――もと居たところへ帰ろうと思ってる。でもそれは、無理。あなたをこの夢に留めておく何かがある限り、あなたは何度でもこの『学園』での日々を繰り返す。それって残酷だと思う? ひどい話だと思う?』


『ひどい話も何も! 今ここにいる私はほんとの私じゃなくて、ほかの誰かの夢の中ってことなの?』


『そのひとが、それを望むなら。夢とは癒しであって、痛みであって、何より赦しであるものだから。終わらせたいと思うなら、目を覚ますだけでいいんだよ』


 おかしい。すべて。目の前の少女が言うことは一定の説得力があって、その言葉の隙間から窺えるのはきっと何か抗いようの無いものが存在するのだ。


 釘。針。そして螺子。


 いずれも見た目が似ていて、用途も何かをつなぎとめておけるという点においては同じなのだ。


『まったく、便利な話……』


 砂浜にへたりこんだ私は、急速な眠気を覚えた。頭のなかで、一度は聴いたことのある音がした。鈍く、甲高く、瞬発的で、残響の酷いそれは、釘を打たれたあの時と同じ。

 目の前にいたはずの少女の姿は、何処かへと霧散していた。


 そして、そのあとのことを忘れてゆく――


 長く、遠い『学園』への道のりの中で。



『……幸人ッ! 幸人ってば!』


 午後の授業は無いも同然。屋上の給水タンクの脇を定位置としている本人にしてみれば優雅な昼寝の時間のつもりだったらしいが、薄く灰色の空からは白い雪の粒が、踊るように舞うように降り始めている。実際幸人のカーディガンの両肩はうっすらと白く、はたいてあげると冷たく濡れていた。


『あ、まーた寝ちまってたか……? なんだ、一体コレ』


 幸人は飛び起きると、慌てふためいて後ずさり、小さな水溜まりで滑って尻もちをついた。けれどさして痛そうには見えず、むしろ目の前の光景に驚きと興奮を浮かべている。


『もうっ、何してるのよ。早く教室戻らないと。こんな所で寝てて、凍死でもしたらどうするの』


 子供の我儘を窘める母親のようで忙しく、何だか情けなくもある。


『な、ナニ呑気なこと言ってるんだよ! 白いものが……何だかわからねえけど、空から降ってきてるんだぜ! こりゃ一体……って聖! お前はなんでそんな平然としてられるんだよ?』

 

 立川君が夢を見たことが無いように、幸人は雪を見たことが無かった。その理由を私は知らない。知る必要も無い。

 子供のようにはしゃいだような、怖がるような声を上げる幸人を見て、私は悲しい顔を見せないように、その手を半ば強引に引いて屋上の入り口のドアへ戻った。


 は、この夢が終わることを望んでいないのだろうか?


【冬の『想い』で】

夏には夏の 冬には冬の装いで

君の手を引いて 騒がしい町を歩こう

できれば皆の 幸せな笑顔が溢れてる町が良い

僕ひとりじゃ 君を幸せにできないから


透き通る光 白い闇で

ただ揺れる光 僕の夢で 夢でなくて


夏には夏の 冬には冬の想いで

いつも傍にいて あかときの町を歩こう

ほとんど誰も 憎しみを笑顔に隠してる町だから

僕ひとりじゃ 見失うものが多すぎるんだ


この世界で見つけた 何よりも透明なもの

この世界で見つけた 何よりも清浄なもの

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