3.欠けたる月

 古今東西、記録媒体というものは円形と密接な関係があるようだ。

 小箱のようなカセットテープだって、中身はリールでまとめられているように。

 正方形のフロッピーディスクだって、その中身は紙のように薄く、小さな円盤だ。

 もちろん私はそれらを資料でしか目にしたことは無いのだけど、妄想を広げれば広げるほど目の前で慌ただしくしている幸人の存在がかき消されそうになるのでやめにした。


『おっかしいな、音楽室なんだからプレイヤーくらいあると思ったのに』

 

 幸人は『凍れる湖 アヴェンティヌス5th』と中央に記載されたLP盤を私に握らせたまま、広くはない室内をうろうろと歩き回っている。


『悪い、聖。一緒に探してくれ』


 探すもなにも、上下スライド式になっていて下には五線譜が書いてある黒板と、窓近くに置かれた大層な年代もののグランドピアノがある以外、ほかの教室と作りが変わらない音楽室と呼ぶには少々寂しい部屋である。どこに何があるかくらい少し見渡せばすぐにわかる。

 このレコードの再生装置が、音楽室に無いことくらい。


『諦めなよ、そんな古いものあるわけないでしょ』


『そうみたいだな。学園もそんなモンに回す予算まではありません、か』


『――使う人がいないからじゃない?』


『それもあるし、今じゃ手に入りにくくて値段もバカ高い。だからおいそれとは買えない』


『幸人の家には、置いてないの?』


 仮にあったとしても、卒業するまで帰ることのできないところ。それがどこにあって、どんな場所なのかは聞いたこともない。私の記録媒体には存在しない幸人。知りたいけど知ることはできない。同様に幸人も、私がどこから来て卒業後にどこへ行くのかは知らないし、聞かない。


 ――それもまた、『学園』に突き刺さった針。指針、方針。離れた瞬間、ふたりを再度繋ぐ手段は無いのだ。


『ところでコレ、どんな曲が入ってるの? 私知らないよ、アヴェンティヌス……だっけ』


『俺の爺さんがよく聴いてたレコードだからな、そのバンド自体は知らないさ。もうとっくに解散してるはずだぜ。で、こいつをくれた爺さんが言うには彼らの代表作にして、唯一のコンセプトアルバム、らしい』


 LP盤が収まっていた紙ジャケットは一枚の古めかしい油絵で、暗く雪の降りしきる夜、樹氷に覆われた森のなかひっそりと小さく湖が描かれている。その水面はタイトル通り凍りついていて、雪それ自体が放つかのような光を反射して輝いていた。その岸には白く小さな建物が存在する。その白は積もった雪の色で、今にも押しつぶされてしまいそうに見えた。


『サージェント・ペパーズみたいな? どんなコンセプトがあるの、コレに』


『そのジャケットに、家みたいのがあるだろ? そこの住人をこのバンドが導いてどうたら、みたいな架空のお話らしい。聞いただけの話だから、なんとも』


『それも、お爺さんに?』


 幸人がお爺さんを尊敬していた、もしくはそれに近い親愛の感情を持っていたことは『学園』にこのレコードを持ち込んだことからも明らかだ。もしかしたら形見なのか、とも思ったが口にはしなかった。彼にとっては収録されている楽曲そのものより、そのお爺さんとの思い出のほうが大切なのかもしれない。


 ……私は、それを共有できる立場にあったのだろうか。

 結局それを再生して、曲を聴くことは出来なかったのだけど。


 寮への帰り道は、道と呼ぶほど離れても居ない。校門から続く階段を一番下まで下りるとすぐ目の前に公園があるのだが、その左手前にある大きなマンションがそれにあたる。外見こそ立派だけど、内部はそれなりに古い設備で通路の絨毯などには黒ずんだところが目立っていたし、部屋のドアノブも銀色の箇所と錆びた箇所とがある。  

 特別なものは殆ど置いていない我ながら殺風景な部屋で、私は幸人から結局借り受けた『凍れる湖』のレコードをお腹のあたりまでの高さがある洋服棚のうえに立て掛けた。少しレトロとサブカルの匂いがして、苦笑いが浮かんだ。

 ベッドに寝転ぶと、そんな感傷や自己満足の世界とは縁のないスマホに何時の間にか溜まっていた友人たちからのメッセージやSNSのチェックを始めた。


 それが幸人から私への、最後の贈り物だったことなど教えてもくれない月の輝きがカーテン越しに浮かぶまで。


【欠けたる月】

 何かを試すこと。つまり清掃人としての作業目録には存在しない何かを行うこと。  

 それを、自らの意思で。意思、とはなんだろう? 清掃人にとっての清掃は意思を以て行う行動ではないというのか? そもそもなぜ清掃人は、その誰に命じられたのかも定かでない行為を続けているのだろう? 遠い記憶。たどり着けない思い出。8分の1だけ欠けた円のように不揃いで不快な感覚。

 ――「美しくあれ」と。

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