#20【最終話】

 #20


「んじゃ撮るよ~、はいチーッズ」

 携帯片手に自撮りで写真を撮る愛美の横には、笑顔の莉子の姿があった。

「きゃははは、莉子めっちゃ眼光するどくね? 超ウケル」

「うっせ! 俺はな、目からビームが出るんだよ」

「意味わかんね、超ウケル」

 愛美はコロコロと笑いながら、莉子を後ろから抱きしめた。

 今日は、八津ヶ崎高校の卒業式。あの事件から、一年と三ヶ月が経過していた。あの事件の傷が癒え切った訳では無い。だけれども、何も知らずにいた愛美と研二に、莉子は随分救われた。昌司は、莉子の元に一度だけ頭を下げに来た後、別の学校へと転校していった。責任を感じての事だったのだろうが、そう思う事で、自分がどれだけ無知で無責任だったかを思い知らされた。自分が一体どれだけの人間に助けられているのか、無自覚に生きている自分を強く恥じた。

「それより愛美、彼氏は放っといていいのかよ?」

「ああ、あっちはあっちで何かあるみたいだし、別にこれからも会えるからいいのよ。今日は莉子優先」

 あれから研二は、愛美にチャラい様子で告白をして、何だかんだ言いながら仲良く彼氏彼女をやっている。そして二人は、レベルは莉子より断然落ちるが、安定して二人同じ大学への進学を決めた。普通の恋愛を普通に出来る二人の事を羨ましくも感じたが、子供じみた嫉妬をする事も無く、寧ろ友の幸福を素直に祝福出来るようになった自分は、ほんの少しだけ、前に進めたのかもしれない。

 当の莉子は、父の雷太の薦めもあり、卒業後は海外への留学を決めた。

 あれから匠がどうなったのか、莉子は知らないままだ。

「じゃあ愛美、後で打ち上げ行くから、そん時にまたな」

「えー? それマジー?」

「悪いな、野暮用があるんだよ」

 愛美に軽い別れの挨拶を交わし、莉子は屋上への階段を上っていった。興味の無かった天文部だったが、屋上の鍵のコピーをこうして作れた事には感謝していた。大量のコピーを知り合いや後輩に配った為、しっかり伝統として受け継いで行けば、屋上は皆の自由空間となるだろう。教師が鍵を変えるまでの話だけれども。

 屋上の鍵は既に開いていた。扉を開けると、既に待ち合わせの相手が待ち構えていた。

「あー、遅いっすよ、莉子さん」

「悪ぃ悪ぃ」

 屋上には、圭と大樹、そして、すっかり身体の傷は癒えた桃慈が居た。莉子と桃慈の卒業を機に、弔いと禊とけじめの為に、改めて、桜が最期に見た景色を見ようと言う話になったのだ。

「桃慈、ここか?」

「いや、もうちょっと、こっちだ」

 流石にフェンスは越えずに、それでも、桜が最期に飛び降りた景色を四人で眺めた。

「桜ちゃん、どんな思いだったんだろうな……」

 そう呟いた大樹は、フェンスギリギリまで身体を乗り出し、屋上から下を眺めようとしていた。呟いた言葉の答えは、誰にも解らない事を、そこに居た誰もが解っていた。

「そうそう、莉子さん、これ、約束していた品っす」

 圭が鞄の中から意気揚々と取り出したのは、今回の飛び降り事件の真相を追ったノンフィクション本だった。著者は勿論、楢井崎圭。そして出版は、菱川系列の出版社から発売された。莉子は複雑な想いで、本の表紙を撫でる。

 タイトルは、『桜桃の花は、何故散るに至ったか?』

「サンキュ、飛行機の中でじっくり読むわ」

 莉子は留学先に、アメリカを選んだ。自分の内側を、そして人間の思考や考え方を学ぼうと、精神科医を志す事にしたのだ。人の心の中は容易く分かる物ではない。だからこそ、今自分が一番興味のある事は何かと考えた際、この進路を選ぶに至った。雷太に相談した際も、反対はされず、寧ろその選択と決断を尊重してくれた。

「ナラさん、これ、何でこんなタイトルにしたんですか?」

「桃慈君、よくぞ聞いてくれたっす」

 表立って騒ぐ事はしなかったが、桃慈がこうして再び元気な姿で屋上に居てくれる事が、莉子には堪らなく嬉しかった。桃慈まで死んでいたら、きっと自分は、罪悪感に押し潰されてしまって居ただろうと思う時があった。桃の花よ、よくぞ散らないで居てくれたと、心の底から思えた。

 今回の本を出すに辺り、桃慈は傷が癒えるにつれ、圭から毎日質問攻めをくらった。最初は莉子も心配していた。だが、相当のトラウマを抱えていたであろう桃慈が、圭からの質問に答える事で、不思議な事に、日に日に元気になっていった。これは完全なる予想だが、当時の辛かった想いをありったけ吐き出し、書物にする為に整理をする事で、結果的にカウンセリングを受けたような効果があったのかもしれない。それが精神科医の卵である、莉子なりの見立てであった。

 そのお陰か賜物か、はたまた怪我の功名か、圭と桃慈はすっかり仲良くなった。将来はジャーナリストもいいな、などと言い出し、大樹の肝を冷やしたりもした。

「タイトルは偶然閃いたんすけどね。桜さんと、桃慈君。桜と、桃で、桜桃。そして、この事件は当時から、やたらと『人間失格』のようだ、太宰治の作品のようだ、なんて話がされてたじゃないっすか! 太宰も、『桜桃』って作品を残してますし、これも何かの縁だと思い、このタイトルにしたっす。まぁ、最終的には、莉子さんにアイディアを貰ったり、売れやすくする為に太宰の名前を使うか、みたいなセコい理由があったり、とにかく紆余曲折あったんすよ! その辺を踏まえた上で、読んでくれた人にも、この事件の事、そしていじめの事、生きると言う事について、色々考えて貰えるタイトルにしたい。そんな想いをぎゅうぎゅうに込めて、付けたっす。苦労したっす、マジ感慨深いっす!」

 余程嬉しいのか、圭は満面の笑みで本を抱きしめながら、語り続ける。

「それにしても、漸く上梓っすよ! 初著作っすよ! いやぁ、売れに売れて、印税がっぽり入ってくれるとありがたいんすけどね! それこそジャーナリスト冥利につきるってもんっすよ」

「そんなに金に意地汚いジャーナリストが居て堪るか」

「いいっすよいいっすよ。安定した公務員には、どうせこの気持ちは分かんないっすよ」

 圭と大樹のやり取りを笑いながら、莉子は手の中の本と、桃慈を見比べた。

『桜桃の花は、何故散るに至ったか?』

 それは、桜桃達本人にしか分からない話だ、と論じてしまうのは簡単だ。でも、それは本当に正しい事なのだろうか?

 人の心とは不思議だ。自分が正しいと信じている行いが、そのまま世の中の正しい行いでは無いし、正論でさえ、正論が故に間違っていると言われる事さえある。

 自分が心理学を学ぼうとした本当の理由は、桜への贖罪の思いと同時に、心の何処かで、匠の行動を否定しきれない所にもあった。自分の正義が正義とは限らないし、正しい行いが、誰かの心を壊してしまう事もあるだろう。いつか、そんな風に壊れてしまった誰かの心を癒せるようになりたい。それが、桜への弔いになると信じていた。願っていた。

 ――なぁ桜、これが今の俺に出せる、お前への答えだよ。

『桜桃の花は、何故散るに至ったか?』

 その答えは、きっと、一人一人が出すものなのだろう。

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桜桃の花は、何故散るに至ったか? 泣村健汰 @nakimurarumikan

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