#16
#16
莉子の表情は動かず、傍から見ても感情は読み取れない。だがその頬を、静々と滂沱の涙が伝った。
「桜、ごめんな、本当にごめんな」
漏れ聞こえる莉子の懺悔の吐息を受け、圭もひっそりと鼻を啜る。
「はい、もしもし」
その時、空気の読めない携帯が、大樹のポケットで震えた。
「分かりました。連絡ありがとうございます。はい、少ししたらまた、そちらにお伺いします」
通話を切り、再び携帯をポケットにしまいながら大樹は言葉を発した。
「お母さんからだった。門倉桃慈が、また目を覚ましたらしい。本調子では無いが、起き上がれるし、話せるそうだ。君も行くか?」
女二人の目が大樹に向けられる。圭は、大樹の顔を見た後に、表情の動かないまま莉子の顔を見た。莉子は一度目を閉じ、手首で勢い良く涙を拭った。
「……行く」
その言葉を聞き、大樹と圭はお互いの顔を見合わせた後、莉子に向かって頷きを返した。
包帯や点滴など、病室のベッドでの桃慈は痛々しかった。何か考え事をしているのか、若しくは物思いにふけっているのか、夕日に変わろうとする窓の外の太陽を桃慈は眺めていた。ベッドの背もたれを上げて、寝たまま身体を起こしては居るが、光を宿さない瞳は、樹木に空いた虚の様だった。
まだ辛い筈なのに、こうして面会をしてくれる。感謝をしつつ、出来るだけ短時間で終わらせようと、大樹は決めていた。
素子さんにお願いをし、少しの間だけ離席をして貰う。部屋には、大樹と圭、そして、莉子と桃慈の四人だけとなった。
「門倉桃慈君。改めて挨拶をさせてくれ。今回の君達の飛び降り事件の捜査を担当している、警視庁の三枝大樹だ」
「ジャーナリストの楢井崎圭っす」
返事は無い。
無理も無いかと大樹が軽めのため息を吐こうとした時、窓に顔を向けたまま、桃慈が声を発した。
「久しぶりだな、莉子。一体何しに来たんだ?」
氷の様に冷たい声が、病室内の空気の温度を下げる。
莉子は深く息を吸い込み、覚悟を決めた様に言った。
「桃慈、俺をぶん殴ってくれ」
その言葉に反応し、桃慈の顔がこちらに向けられる。目の奥の光をどこかに忘れてきてしまったのか、まるで哀しさで満ち溢れている様な、深い闇色の瞳だった。
「出来る訳無いだろ。お前には、とてつもない恩があるんだから。昔も、今も」
「俺じゃなく、親父に対してだろ」
「……お前こそ、俺の事恨んでんだろ? 殴ったらどうなんだ? ……俺が、桜を殺したんだぞ?」
無感情の瞳が、そっと下を向く。
「おい、殺したって何だよ?」
「俺が桜に頼まれて、最期に、桜を押した。そして、桜だけが死んだ」
「……どう言う事だ?」
桃慈の眉根が、悔しさの為か微かに寄る。
「お前、本当に何も知らないんだな。じゃあ聞いてくれよ。俺達が桜に何をしたのか。何をさせられたのか。あの日あの屋上で、何があったのか。そして聞かせてくれよ。もうゲームは終わったんだからいいだろ? お前は、俺達にどんな恨みを持ってたんだよ……」
「……ゲームだと?」
桃慈を照らす太陽が、徐に翳っていく。夕闇の帳が落ちる中、傷だらけのシルエットが、ゆっくりと口を開いた。
「桜をいじめてた執行者は、お前も良く知っている、田村昌司だ」
大樹と圭は同じタイミングで、確認し合うようにお互いの顔を見つめ、頷きあう。ただ一人、莉子だけが、まるっきり予想外だったとでも言うように、すぃと息を飲み込んだ。
「なんで昌司が?」
「あいつんちもうちと同じようなもんだ。父親が勤めていた会社が傾き、リストラにあった。路頭に迷うはずだった所を、息子がたまたま、莉子が懇意にしているグループの一員だった。それを知ったお前の親父さんが、莉子には知らせずにひっそりと、自分の系列会社にねじ込んだ。沢山の解雇者が出た中、一人だけ特別扱いを受けるのは当然世間体が悪い。内密に事を運ぶ代わりに、どうか学校での莉子を宜しくと、あいつは頭を下げられたんだそうだ。お前と自分、二人の親父にな」
「親父がそんな事を、俺にはそんな話一言も……」
「言うわけ無いだろ、内密なんだから」
「執行者ってのは、つまり……」
「桜をいじめてた実行犯、って言えば解りやすいか?」
「まさか……、あの昌司が?」
莉子は一瞬ふらつき、片手で頭を覆った。状況が理解出来ないと言う顔をしている。
「俺は傍観者だ。カメラと、日記で、桜がいじめられてる様子を眺めている。絶対に手を貸すな、絶対に目を逸らすな、それが、俺があいつに言われた事だ」
「あいつって、及川匠か?」
「他に誰が居るんだよ」
「教えてくれ! あいつはなんなんだ! お前達に、何を言ったんだ!」
桃慈はそこで、莉子の顔を睨むようにじっと見つめた。その顔に、思わず莉子は黙り込んだ。
「俺んちは知っての通り、お前の親父さんの援助のお陰で生きているような家庭だ。とてもじゃないが逆らえない」
桃慈は続ける。
「そして、桜は犠牲者。いじめを受け続ける役目だ。火曜日にあいつから指令が来る。そして、毎週水曜日に、悪魔の儀式の様に、俺達の、桜に対するいじめは続いた」
桃慈の瞳から流れる二本の滝が流れ落ちる。打たれたシーツは黒く染まるが、感情のスイッチが壊れてでもしまったように、桃慈の表情は宛ら石膏像のようだ。
「菱川の息がかかっているって事は、多額の寄付を受けてる学校は当然握りつぶす。当然ながら何があっても知らぬ存ぜぬだ。夏休み明けからこのいじめゲームは始まった。登下校中の桜の監視は、彼氏である俺の役目だった。そしてこのゲームを、おもちゃが自分から壊れたがるまで続けろと言われた。つまり、桜が自殺すれば、ゲームクリアだと」
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