#15

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『これは、私、水原桜の遺書です。

 これが誰かに読まれていると言う事は、私は本当に、死んでしまっていると言う事なんでしょう。出来れば死にたく無いです。でも、本当に水曜日が耐えられなくて、死のうと思ってしまっています。きっと私はもう、頭がおかしくなってしまっているんでしょうね。だから、死にたくないけど、死ぬことにしました。

 私はいじめられています。いや、いじめなんて言うには生温い、心と身体、両方を蝕まれる責め苦を受けています。毎週水曜日の、部活の無い時に。きっと私がいじめを受けている事は、誰も知らないでしょう。それにもし、私がいじめを受けている事が世間に知られてしまうと、困る人が沢山いるんです。私の大切な人も、かつて大切だった人も。だから、誰に、いじめられていた、とか、どんないじめを受けていたとかは、私は言えません。手紙にも残せません。それが皆の為だし、ルールだからです。でも、本当はもうどうでもいい、どうとでもなれと言う気持ちもあります。だけどきっと、全部書いてしまったら、この遺書は誰にも読まれなくなってしまう気がするんです。それはあまりにも悲しい。だから、誰の名前も書きませんし、書けません。

 これはきっと、私の人生の罪や失敗などの報いなのでしょう。そう思い込む事にしました。優しく振舞おうとしながら、本当に大事な時に、決して傷つけてはいけなかった人を深く傷つけてしまった、手を離す事しか選べなかった私だから、最後の最後は、誰も味方が居なくなってしまったんでしょう。大好きだった人すら嫌いになってしまう位なら、こんな感情ごと消し去ってしまいたい。何度も何度も、死を願う自分と、死を恐れる自分が交互に現れては、私を漆黒の世界へと導くのです。

 出来れば死にたくはありません。だけど、私はもう限界です。でも死にたくない、死にたくない、死にたくないです。誰か、誰か私を殺してくれないかなと、願わない夜はありません。だから、もしこの遺書が誰かに読まれて、私が無事に死ぬことが出来たのなら、それはもしかしたら、人生の最期に、私の味方になってくれる人が現れたと言う事なのかもしれないです。それはとても不幸な様で、とても幸せな事かもしれません。

 ただ、私の胸の内には、きっとこうなってしまったのは自分の所為なのだろうと言う罪悪感で一杯です。ありがとう、ごめんなさい、さようなら、私は弱い人間です』

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