#14

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「なんで、あんな酷ぇ事言えちまったんだろうな。俺がどんだけ、桜に救われたか、分かってたはずだったのになぁ……」

 莉子は目元を押さえ、自嘲気味に笑った。

「高校に入った俺は、半ば自棄になった。素の自分をさらけ出して、身分も隠さなくなった。そしたらそしたで、今の連中がつるんでくれる様になった。金目当てだってのは分かってても、楽だし、実際金だけはアホみてぇにあるから、随分と気楽になった。それを親父に感謝出来るようにもなった。自分に嘘をついてていい事なんて何にも無かった。それを教えてくれたのは桜だった。でも、もう謝る事も出来ねぇ」

「莉子さん」

 圭はそこで唐突に、鞄の中から一冊の週刊誌を取り出し、莉子の前に差し出した。

「これ、知ってるっすか?」

 それは3年前の文芸夏冬だった。日付を見ると、2012年10月22日号。週刊誌には付箋が貼ってある。受け取った莉子がそのページを開き、鼻で笑った。

「あぁ、あったなぁ、このふざけた記事。この程度なら別に何の影響も無いだろうって、親父も俺も苦笑いだったから、よく覚えてるわ」

 莉子の後ろから、大樹が記事を覗き込み、見出しを小さな声で読み上げる。

「……菱川雷太の娘は性同一性障害?」

「実は、その記事を書いたのは私なんす」

「おめぇが?」

「その記事は、私が初めて夏冬でした仕事っす。当時、何でもいいから仕事を下さいと飛び込んだ私に、編集長の檄が飛んだっす。じゃあとにかく何でもいいから、菱川グループ関係のスキャンダル掴んで来い。そしたら、うちの雑誌に載せてやるって。当時まだまだ駆け出しのライターだった私は、何としても有名雑誌とのコネが欲しかったっす。それでも、当然の如く菱川会長の周りはガードが固かったっす。だから実は、中学時代の莉子さんの周りをうろうろしていた時期があったっす」

「マジかよ、全く知らなかったぜ」

「当然っす、バレたらおしまいだし、何よりすぐ引き上げる事になったっすからね。実は、私にこの情報を提供をしてくれた人間がいたっす。それが、当時から菱川雷太の秘書をしていた、及川匠だったっす」

 莉子の眉根に、驚きのあまり深い皺が刻まれる。

「……何でそこにあいつが?」

「本当の所は分からないっす。でもあいつは私に、深く頭を下げて、名刺を渡して来たっす。『お世話になっております。菱川雷太の秘書をやっております。及川匠と申します』って。そんで、『莉子お嬢様の秘密でしたら、こちらなんて如何でしょう。この位で、手を引いて貰えませんか?』そう言って、この記事のプロットにあたる情報を私に手渡したっす」

「ナラ、お前そんな身内からの情報、鵜呑みにしたのか?」

「する訳無いじゃないっすか! でも、こっちからしたら、菱川雷太の秘書に見つかった挙句、馬鹿丁寧な対応をされるんすよ? こんなん、この情報はくれてやるから、もう目の前に現れるなって言う意思表示にしか見えないっすよ! もう震えながら受け取って、逃げる様に引き上げて、編集長に相談したっす。そしたら、及川の名刺を見るや否や、すっげぇ悪い笑みを浮かべて言ったんす。『でかした、これで書け。そして、深くは詮索するな』って」

 大樹が言葉を選ばず口を挟む。

「……気持ちわりぃな」

「っすよね? それで、いつか聞いてみたかったんす。この情報も及川の話も、編集長以外の奴には大抵信じて貰えなかったっす。だからずっと、胸に痞えていたんすよ。もしかしたら私は、及川の掌の上で踊らされて、嘘の情報を書いてしまったんじゃないのかって。でも、今までの莉子さんの話を聞いて確信したっす。私は、悪戯にデマを書いた訳では無かったんすね? ここに書いてある事は、莉子さんの確かな情報なんすよね?」

「……そうだけど、だったら何だよ。今更謝罪でもしてくれるってのか? 腹の足しにもなんねぇよ」

「いや、嘘を書いて無かった以上、謝罪をするのは違う気がするっす。真実を書いて謝るのは、ジャーナリストの誇りに反するっす」

「じゃあ、何なんだよ?」

 そこで圭は莉子に向き直り、深く頭を下げた。

「莉子さん。莉子さんの情報を足掛かりに、私は今も文芸夏冬やその他の雑誌から仕事を貰えて、ジャーナリストとして活動していけているっす。その感謝を、いつか伝えて、恩返しがしたいと思っていたっす。貴方のお陰で、私は今も、文章とジャーナリズムで食えているっす! どうもありがとうございますっす!」

「三流には変わらんがな」

「ぐっさん! 感動のシーンっすよ! 余計な事言わないで欲しいっす!」

「……相手がおかしいだろ。それこそ礼を言うなら、及川に言うべきなんじゃねぇのか?」

「いや、あいつはどう考えても不気味っす。筋を通すのならそうかもしんねっすけど、ぶっちゃけキモ過ぎて礼とか筋とかどうでもいいっす。あいつよりは莉子さんの為に動きたいっす。私は女の子の味方でありたいっす」

「俺が本質的には女の子じゃねぇんだぜって記事書いといて、何言ってんだか……。そんで、俺に何をしてくれるってんだ?」

「実はあの日から、少しずつ及川匠の素性を調べていたっす。この言い知れぬ気味の悪さを払拭したかったんすよ。でもまさか、こんな風に莉子さんと繋がる日が来るとは、思って無かったっすけどね……。及川匠、あいつは……」

 圭が話し始めた時に、大樹がパンパンと両手を叩いた。

「話の腰を折って悪いな。すまんがその話は後にしてくれ。長くなりそうだ」

「あ、ああ、そうだったな、今回の事件の事を先に……」

「いや、すまんがそっちも後回しだ。君はこんな胡散臭い刑事達に、ちゃんと本当の事を話してくれた。誠意には誠意で答えるのが、俺の主義だ」

 そう言うと大樹は、背広の内ポケットから一通の封筒を取り出した。

「報酬の前払いだ。顛末を聞く前に、まず君はこれに目を通すべきだろう」

 封筒が大樹の手から、莉子の手に渡される。

「渡したかった物ってのはこれか? 一体なんなんだ?」

 深く息を吸い、大樹はしっかりとした口調で、告げた。

「水原桜の遺書だ」

「……え?」

「覚悟を持って、読んで欲しい。君は読むべきだ」

「これが……、桜の?」

 片手で持っていた封筒を、まるで厳かな札でも受け取るように、莉子は両手で持ち直した。震える手で封筒を開け、中の手紙をゆっくりと取り出す。まるで蝶の標本でも取り扱っているかの様に、慎重に、莉子は桜の最期の手紙を読み始めた。

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