#12

 #12


 翌日、12月3日木曜日の夕方頃。集中治療室から個室へと移された門倉桃慈の病室のドアがノックされた。

「どうぞ」

 ベッドの傍らに座っていた素子が、ノックの主に向けて声を掛ける。一瞬の躊躇いの間の後に、病室のドアが静かに開いた。

 素子が駆け寄る。

「あらあら、来てくれたのね、ありがとう! 桃慈も喜ぶわ。でもごめんなさいね、さっきまで起きてたんだけど、桃慈、また眠ってしまっていてね。流石に、昨日目が覚めたばかりで無理はさせられないし、色々話したい事もあるでしょうけど、ごめんなさいね」

 来訪者は、素子に対して首を振りつつ、素子の後ろに居る大樹と圭に訝しげな目を向ける。

「どうも、お久しぶりです。俺達の事覚えてるかい?」

「桃慈君が目が覚めたと知れば、きっと来てくれると信じてましたっす」

「そう思い、素子さんにお願いして君に連絡をして貰ったんだ。君に見せたい物がある。聞きたい事も。来て貰ってすぐで恐縮だが、桃慈君が目を覚ますまで、もう少し時間が掛かるだろう。ここでは何だし、ちょっと外へ付き合ってもらえないか?」

「今度は逃げずに着いて来てくれるっすよね」

 圭は来訪者に向けて、出来るだけ優しい表情の、笑顔を見せた。

「菱川莉子さん」

 二人は素子に会釈をして、莉子の横をすり抜けて病室の外へと出て行った。

 莉子は、苦々しい顔を一瞬したが、素子に一度深々と頭を下げて、すぐに二人の後をついて行った。


「ここに一冊の日記がある。書き手の名前は、水原桜」

 病院の近所にある公園のベンチに三人は座り、大樹は、傍らの鞄の中から、表紙が桃色のノートを手に取った。

「日記の説明の前に、今回の事件のあらましを、改めて振り返っておこう。事の始まりは2015年の11月28日土曜日。都立八津ヶ崎高校の屋上より二人の生徒、水原桜、門倉桃慈が落下。恐らくは投身と思われる。水原桜の方は即死、門倉桃慈の方は意識不明の重態だが、一命は取りとめた。八津ヶ崎市内の病院の集中治療室にて、懸命な処置が行われていたが、事故から5日経った昨日、漸く意識が戻ったとの事。彼らが飛び降りた経緯は、水原桜が受けたいじめが原因だとされていた。彼女の靴と、いじめを受けた事を告白する手紙、まぁ遺書だな。これらが発見され、しかもその手紙には、水原桜の指紋しか無く、筆跡も本人に間違い無かった。これを受けた警察は、周囲生徒や教師等への聞き込みを開始。いじめは非常に陰湿に行われていたようで、公然とした事実や目撃証言等は全くと言っていいほど出ては来なかった。しかし、遺書の存在を全くの紛い物と論じる事も出来ず、警察は一応の決着をつける為、今回の事件を犯人未定の、いじめによる自殺、若しくは心中事件として発表し、依然として捜索は続けると宣言した。ここまでが、今朝一番に広まった、現在市井のメディアで公然とされている事実」

 大樹はノートをパラパラと、まるで色づいた花弁が落ちるような速度で捲っていく。

「このノートから読み取れるのは、水原桜が送っていたであろう何気ない学生生活の日々程度。このノートを読んだ者は、ああ、きっと水原桜と言う女生徒は、徒然ながらも穏やかで明るい学生生活を送っていたのであろうと推測する事が出来るだろう。そんな彼女が、何故屋上から投身自殺を図るに至ったか……、やはり、今も暗闇の中に姿を隠している卑劣ないじめを行った犯人達がいるのか? 謎は深まるばかり……」

「そしてここに、もう一人の当事者の手記があるっす」

 大樹の隣に腰を掛けていた圭が、膝の上に置いていた水色の表紙のノートを手に取り、目の前の人間に突きつけてみせた。

「名前は、門倉桃慈。そう、水原桜と共に校舎の屋上から飛び降りた、もう一人の当事者っす。このノートは、二人の交換日記っす。シュレッダーに掛けられていた物を、拾い集めて何とか繋ぎ合わせたものっす」

 圭が水色のノートを、清流を川魚が泳ぐような速度で捲る。

「ここには、陰湿ないじめの数々が、克明に記録されているっす。これを書いていたって事は、門倉桃慈は水原桜をいじめていた共犯者なのか? だったらどうして、彼はあの日、水原桜と共に校舎から飛び降りたのか。その辺りの真相を、もしかしたら貴方なら知っているんじゃないかと思い、本日お尋ねした限りっす」

 二人は同時に、手の中のノートを閉じた。

「話して貰えるね。今回の心中事件、何があったのか?」

「……見せたいものってのはそのノートの事か?」

「いや、これとは別に用意してある。でも、それは最後に渡す。その為にも、君に事件の真実を語って貰わないといけない」

「おめーら、警察だろ?」

「俺はそうだがこいつは違う。こいつは三流フリーライターだ」

「ジャーナリストっす! それと、三流は余計っす!」

「じゃあ、ますます俺の口からは、てめーらには喋れねぇ」

「……お父さんに、迷惑がかかるからっすか?」

「……知らねぇよ、ボケ」

「想像以上に口が悪かったっす」

「だがまぁ、菱川莉子は、口は悪いがいい奴ってのは、結構な人数が言っていたからな。出てくる言葉程、悪い奴では無いんだろう。そもそも、本当に悪い奴ってのは、自分は全くの善良な市民でございと言う雰囲気を出しているもんだ。こいつの家柄が良すぎるだけで、皆が勘違いしてるんだろう。一人称が俺ってのには、流石に驚いたがな」

「ぐっさん、それは女性蔑視っすよ。うちの田舎の婆ちゃんも、俺の漬物食うかって可愛く言うっす」

「おっと、そいつは失礼した」

「ざけんな! 俺の事舐めてんのか? そんな下らねぇ話する為に、怪我人餌にして人の事呼び出したのかよ! いい趣味してるぜ」

「いや、すまんな。じゃあ、簡単な事情聴取をさせてくれ。まずは、君と門倉桃慈君の関係を教えてくれ。随分長い間付き合いが無かったのに、電話一本で見舞いに来る程の仲なのはどう言う訳だ?」

「……おい、三流ライター」

「随分な言い方っすね」

「てめぇは席外せ。刑事に聞かれちゃ仕方ねぇが、面白おかしく記事にされんのは腹に据えかねる」

「いや、確かに私は刑事じゃないっすけど、はいそうですかって訳には行かないっすよ!」

「ナラ、空気読め」

「今回ばかりは無理っす」

「じゃあ俺は何も話さねぇ」

「ナラ、頼む」

「ぐっさんは黙ってて下さいっす! 今回の事件は、私も見届けないと気が済まないっす!」

 圭はしゃがみ、莉子の顔を覗き込む様に言った。

「莉子さん、今回の事は、面白おかしく記事にするような事は絶対にしないっす。ジャーナリスト生命にかけて、更に綿密な取材をして、二度とこんな悲しい事件が起きないよう、一冊の本として纏めるつもりっす」

「三流ライターの言う事が信用出来るかよ」

「分かってるっす。だから、交換条件っす。私は私で莉子さんが知りたいであろう情報を仕入れて来たっす。その情報は全部莉子さんに渡すっす。それをどう使おうと莉子さんの自由っす」

「あ? 俺が知りたい情報ってなんだよ」

 圭が静かに近づき、いつもよりも真面目な口調で、莉子に耳打ちをした。

「……及川匠の正体っす」

 それを聞いた莉子の瞳が大きく見開かれる。そして、恐怖と怒りが綯い交ぜになったような表情を浮かべてから、強く奥歯を噛みしめ、圭の胸倉を掴んだ

「教えろ! あいつは何なんだ!」

 圭に掴み掛かる莉子を、後ろから大樹が羽交い絞めで押さえつける。

「莉子さん、私も必死に掴んだ情報っす! ただで渡す訳にはいかないんすよ! 今回の事件の事、私も聞いてもいいっすよね?」

 そう叫ぶ圭の声を聞いた莉子の表情に、ふっと悲しみの翳りが見えた。

 力が抜けたのを確認した大樹は、莉子の体を開放し、そっとベンチに座らせた。

「俺から、何が聞きたい?」

「莉子さんが知っている、今回の事件に関わっているであろう事、全部っすかね?」

「分かった。俺には何が関わってるか分かんねぇから、あいつらとの関わりを全部話す。結構長くなるから覚悟しとけよ」

「心して聞かせて貰うっす」

「それと先に言っとくぞ、俺は多分、おめぇらが思っている以上に、今回の事件については何も知らねぇ。でも、がっかりしたから情報はやらねぇってのは、無しだかんな?」

 莉子はスカートにも関わらず、気合いを入れるように広く足を開き、手を組んで背中を丸め、静かに語り始めた。

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