第110話 慟哭と復活

 それからの事はよく覚えていない。

 いや、記憶に残したくないというのが本当のところだ。


 サブリのエイジスは触手に貫かれた。

 激昂した僕が海に飛び込み、カリュブディスに止めを刺した。

 サブリの作ってくれた兵装の全てを使い、考えられる限り、最も残虐に、出来る限りバラバラに破壊した。

 存在も、その痕跡も、無かったことにするかのように。


 ワイヤーを曳かれ船上に戻って来た時には、スキュラも既に息絶えていた。

 それを果たして船に戻って来た男のエイジスは、サブリのエイジスを抱きかかえていた。


 先ほどまでの騒乱に比べ、鼓膜が破れたのかと思うほど静かな世界は、それだけで現実感を乏しくさせる。


『……とりあえず、中に戻って』


 ミライの声が聞こえる。同時に格納庫の上部ハッチが開き、エレベーターが上がってくる。


 最初に動いたのはエフテ。

 アリオに向かう。


「来るな!」


 アリオは僕らに背中を向けたまま、近付くエフテを牽制する。

 一瞬歩みを止めたエフテのエイジスは、意を決したようにもう一度歩を進め、アリオのエイジスの背中に触れる。


「帰ろう。サブリを運んであげて」


 視界を埋める各種データの中、メンバーのバイタルを示す数値を見るまでもない。

 胸部に大きな穴を開けたままのサブリのエイジスを、アリオはゆっくりとした動きで抱え上げる。


「先に降りる。皆は少しだけここで待っていてくれ」


 抑揚を感じさせないアリオの声に僕らは何も反応できない。

 彼がエレベーターで降りるまで、何もできなかった。


「私のせい……私が前に拘ったから」


 プロフの呟き。

 僕らがエイジスから降りないのは、自分の顔を見られたくないのも理由だ。

 彼女の声は泣いていた。


「いや、僕がもっとうまくやれていれば……」


 そんな自分の言葉に気分が悪くなる。

 取り返しのつかない事態に、僕はそんな言い訳を言って何になるというのか。

 うまくやれている、それはサブリを失わなず、船を失っていたとしても同じことが言えるのか。

 所詮、そんな言葉は自己欺瞞に過ぎない。


「Sクラス二体を倒し、船も無事。犠牲はサブリだけで済んだ。合格点ではないけれど、及第点よ」


 だからエフテはそう言うしかない。

 僕やプロフが嘆くから、自分を悪者として演じるしかない。


 それを理解したんだろう。

 エフテの言葉に何か言いかけたプロフは、また、黙り込む。


『こちらの処置は終わったよ。皆も降りてきて』


 しばらく経った後、そんなミライからの声掛けに、僕らは静かに動き出した。



 三人で格納庫に戻ると、アリオのエイジスが立ち尽くしているのが見える。

 胸部のハッチは開き、搭乗者はいない。


「……アリオは」


 エイジスから降り立ち、近付いてきた円筒形の機械、ミライに聞く。


『サブリの付き添いで寝台室だよ』


「え、助かるの?」エフテがエイジスから飛び出してくる。


『正確に言うね。ホムンクルスのスクラップを運んでもらった』


「ミライ!」エイジスから飛び出したプロフが怒気を隠さない。


『安心してよ。サブリは死んでない。ちゃんと最後の瞬間まで記録できてる。体は失ったけど、これで彼女は戦いに出られない。ある意味、一番良い結果だったんじゃないかな』


「なんで、そんなこと言うの……」


 プロフはミライに縋りつき、崩れ落ち、顔を伏せる。


『一時の感傷で目的を見失うわけにはいかない。済んでしまった事は、戻らないんだ』


「あなたもわたしたちと同じ生体脳なんでしょ?」


 珍しくエフテの声にも強いものが混じる。


『だから悲しみを感じないのはおかしいって? ねえエフテ、泣けば、悲しめば、無かったことになるの? 慰め合って、傷を舐め合って、過ぎた時間は戻るの? 時間はね、過ぎてゆくんだ。悲しもうが前向きになろうが、時間は過ぎて、どうしょうもないほど積み上がっていくんだよ。止まらない限りね』


 その言葉にエフテはハッとした顔を浮かべる。


 ふと気付く。

 ミライが過ごして来た年月を。

 未来みらいから複製されたミライは、いったいどれだけの時間を続けてきた?

 274年。

 それだけの時間、現実を直視し続けてきた。


 僕らが感じる感情の揺らぎなんてものは、きっととっくに知り尽くしている。



「サブリ、寝台室に送り届けてきました」


 しばらく呆けていると、メロンが現れる。


「アリオは?」


「付き添っています」


 それはただの残骸で、そこに寄り添う行為に意味なんかない。

 ましてや、僕らはホムンクルスだ。

 もっと言えば、元はAIだろ? 人の文化の模倣なんて冗談にもほどがある。


「皆さんも、お休みください。海峡を抜け、次の索敵をします。またしばらくは何もできません」


 メロンは言いながら、膝立ちで静かに泣いているプロフを抱き起し、洗浄室に向かう。


「僕らも行こう」


 エフテの手を引く。

 今はまず、休む。

 次の戦いに向けて。

 僕らの目的を果たすために。


―――――


 翌朝、目が覚めると頭はずいぶんと、はっきりしている。

 昨日の、記憶したくない光景も明瞭に浮かんでくる。


 考えない訳じゃなかった。

 これまでも、アリオの危機に焦ったこと、地下での死闘、エフテの大けが。

 結果として今に至るだけで、誰かを失う可能性なんて、日常の中に潜んでいた。

 考えても仕方ないと思っていた。

 その時が来るまでと、先送りにしていただけだ。


 メロンは昨晩ここに来なかった。


 僕はキードリンクを飲み干し部屋を出て、居間に向かう。


『あ、おはよう、キョウ』


 見慣れない黄色い機械がいた。

 キャタピラの脚、円筒のボディに丸い頭部。

 ボディの左右にはゴテゴテした腕。

 全高はミライより少し高い120センチほど、その頭部は二つの丸い目や凹凸で、親しみやすい造型と思えた。

 その後部、ひと房のポニーテールを思わせる独立したセンサーが、ひらひらと動く。


「おはよう、サブリ」


『んー、いやだなぁ。あたしはASATEだってば』


 僕は声を返せない。

 忘れていたとしても、覚えているとしても、その彼女の言葉は、あまりにも悲しすぎると思った。

 何を言っても、泣きだしてしまいそうだった。


 シュン、と僕の背中、男性居住区の扉が開く。


「! サブリ!!」


 アリオは一目散に彼女に駆け寄り、その金属の体を強く抱きしめた。


『ちょ、もうアリオってば、痛いよ~。それに、あたしはASATEだってば』


 痛覚なんか感じないくせに、きっとアリオを気遣っている。


「サブリ、サブリ、サブリ……」


 膝立ちで、何も憚らず、大粒の涙をこぼしながら、アリオは力強い抱擁を彼女に与え続ける。


『だから、あたしは、ASATEなんだってば……ごめん、あたしもう、悲しいってよく分からないの……それに、アリオはさ、そんなに泣いて、ひょっとしてあたしのカラダが目当てだったの?』


「ああ、そうだ! お前の体が、お前が入ってる、お前が温めてくれる……俺は、お前が好きなんだ、お前じゃなくちゃダメなんだ!」


『……だからあたしはサブリを名乗れないんだよ。……ねえアリオ、みんなと一緒に、あたしの体見つけてくれる? あたしたちのを求めてくれる?』


「ああ、ああ、約束する! 俺はもう一度お前に会いたい、お前と一緒に!」


 それは激しい慟哭だったけど、同時に静かな慟哭があることも知った。

 ASATEは、アリオの背中をポンポンとあやしながら、何も言わず泣き続けている。

 そんな気がした。

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