複製ばかりのハーレム、面白いですね。本来の「家系存続」を目的としない享楽的なハーレムなら、理想的な個体とバラエティとどちらを重視するのか、興味深いところです。
作者からの返信
上田 直巳様、コメントありがとうございます!
複製元が同一人物なので、未来は違和感を覚え、AIのキーノはキョウを想う存在が増えれば良いと考える。人であれば、例え自分の複製体でも想い人には触れてほしくないと思う。
自分そっくりな「沼男」の存在は、思考単位が別である以上、同一視できない。
AIと人の違いを明確にするエピソードでした。
メロンとミライ。
脳だけになったミライは、本当にキョウへの思いに見切りをつけているのでしょうか。
なんだか、物悲しい気持ちにさせられますね……
作者からの返信
卯月ましろ様、コメントありがとうございます!
もし自分が思念するだけの存在になった時、好きな人を想う資格があると思えるのでしょうか……。
やはり同じ立場になりたいと思う?
キョウがメロンの為に人間を求めた様に。
どこまで失っても「自分」なのか。心は分割できるのか。
かなり哲学的な領域の話で、とても興味深いです。
あなたにもう一度会いたいからと、死者の記憶を人形に移す。
業の深さと、愛の深さは、表裏一体だなと思いました。
作者からの返信
竹部 月子様、コメントありがとうございます!
テセウスの船や沼男的な考察ですね。
昨日の自分と今の自分は果たして同一の存在なのか、とかね。
記憶は脳以外の臓器でも蓄積されるなんて話もあり、気軽に臓器提供もできないなぁと悩んでいます。
大切な人の生が失われる際、思考や記憶を残せるとしたら、どうするのが正解なのでしょうね。