sophia
第91話 閑話(エフテ)
『でも一つお願いがあります。わたしたちの記憶は移植しないでほしい』
なんでそんな事を言ったんだっけ?
自分たちの優位性は思考速度と記録総量。
そして、それぞれに特化した疑似人格だ。
記憶を失う決断は何の為?
そんな自殺行為にも等しい非効率な判断は、思い返してみても明瞭な理由付けが浮かばない。
彼と同じ存在になるには、彼と同じ立場になる必要があると思った。
いや、彼と同じ存在になりたいから、彼と同じ立場になりたかったんだ。
憐みや同情?
そんな人の営みの中でしか観測できない事象が思い浮かぶ。
それだけじゃない。
彼と彼女の絆、結び付き、その想い合う情念。
それが眩しくて、羨ましくて、わたしもその世界に触れてみたいと思ったんだ。
彼らの隣で、一緒に歩く。
昨日と今日と、未来のために。
ぼんやりした思考が霧散していく。
無意識に開く瞼。
久しぶりの視覚情報が強烈で、思考が隅に追いやられる。
混濁し舞い上がる情報の欠片を放っておいて、今は光が生み出す情景を確認しよう。
……メロン。
彼女が、寝ているわたしの左側、腕の辺りでずっと作業している。
わたしは、全身の感覚が消失していることに気付き、恐怖する。
腕が、足が、指が、顎が、首を、動かせるという強烈な体験を思い出す。
自律行動できるアースとASATEが羨ましかった。
だから、それを得られた時の感動は今でも覚えている。
地下で、その感覚を失っていく恐怖。
そして、今はまったく得られない五感。
瞼が開いたのはわたしの意識したものじゃなく、痙攣か反射なのかもしれない。
それに、左腕に幻肢痛を覚える。
わたしの左腕。
肩から下、綺麗に切断されてしまった。
メロンは、それを治療してくれているのだろうか。
そしてまた意識は途絶える。
―――――
異音を感じる。
キュルキュルという、回転音だろうか。
すぐに、聴覚が機能していることに驚き、瞼を開ける信号を送る。
何も見えない……いや、違う。
すぐには気付かなかったが、それは照明が点いていないだけだった。
人工の小さな光が、わずかに灯る薄暗い空間。そこは以前から気になっていた寝台室なんだと理解する。
『起きた?』
脊髄反射というのだろうか。
ビクゥゥッっと異常なほど体が跳ねる。
心拍も跳ね、緊張が増大する。
『ああごめん、驚かせるつもりはなかったんだ。大丈夫?』
声は寝ている私の左側、円筒形の装置から発せられているようだ。
わたしは声を出そうと思ったが、くぐもった異音が零れるだけだったので、首を少し前後に振った。
『あまり変なデータを記録すると、めんどくさい子が飛んでくるから、静かにね』
その笑いを含んだ言葉に、すぐにメロンの顔が浮かぶ。
だとすれば、この声の持ち主は……。
「……み……ら……ぃ?」
『そーそー。悪い魔女によって寝台室に幽閉されている可哀そうなお姫様。お初に……そうでもないか、ボクがミライです』
幽閉? それになんでそんな装置に? これは外部端末で、本体はどこかに居るのだろうか?
『あー、ちょっとバイタルの数値が激しいから、メロンが飛んでくるかも。えっと、まずはご挨拶まで。これからも内緒でお話ししようね』
ミライはそう言い、キュルキュルと音を立て円筒形の装置は移動して行った。
それからすぐにメロンが現れた。
わたしは不自然に見えないように、うなされている演技をしておいた。
脳が覚醒してるかどうかくらい判断できるかもしれないけど、なんとなくミライと話をするために、しばらくは意識を失ったフリをしようと思った。
メロンは医療機器の操作を行った後、どこかに行った。
体の感覚を確認すると、不思議なことに左腕が存在していた。
動かさなくても触覚で分かる。
五体がきちんと存在している喜びを感じた。
―――――
ミライはメロンのいない留守に、わたしに会いに来た。
まだ慣れないけど、声も出せるようになり、会話ができた。
「あなたは、なんでここにいるの?」
『体が無いから』
「だって、六人目……そうか、キョウが言ってた、目覚めないかもしれないって、長期睡眠で体に何かあったってこと?」
『うーん、どうしようかな。ボクとしては他愛のない会話を楽しみたいだけなんだけど、キーノは聡いからなぁ』
「キーノ?」
『あ、ごめん、エフテ』
キーノ。懐かしい単語。
「そう呼ばれると何故か胸が熱くなる感じがする」
『……それは、それは、そっか、なるほど、まさかそんな効果があるとは。器に入るなんて合理的じゃないなんて、バカはボクの方か』
苦笑するミライは、何もかも知っていると直感する。
テラや移民船団、セントラルや274年前の事。そして今に至る事実を。
「ミライ、教えてほしい。わたしたちの全てを」
『正直、悩んでる。何よりボクはメロンの味方だ。ボクの発言によって彼女が不利益を被ることは容認できない』
「それは、わたしたちがメロンの謀略に陥れられているから? 真実を聞いたわたしが謀反でも起こす事を恐れている?」
『メロンは君たちを騙してないよ。嘘は付いているけど、それは君の責任でもある。それに君たちの謀反なんてまったく心配してないよ。君たちは今のところ同期剤を摂取しなければ活動できないからね』
「わたしの責任? それに同期剤って、キードリンク?……ひょっとしてわたしたちって……」
いろんなピースが急にカチッと嵌る感覚。
『……そうだね。どうせ君は自力でも辿り着く。それが君が望んでいた事と真逆であったとしてもね。なんとも皮肉な話だ』
ミライはくすくすと笑う。
「あなたはわたしを良く知っている? 忘れた記憶の中にあなたはいるの?」
わたしの断片的な記録と想像の中にはミライの存在だけが欠けている。
『ボクが君を知っているより、君がボクを知っているって方が正解だけどね。ま、盟約とは反するけど、当座、君が必要とする情報に答えるとしよう』
盟約? よく分からないけど、とりあえずいろいろ聞いてみよう。
「あなたは六人目なの?」
『違う。一人目だよ』
「……先遣隊、移民船団は? ここはどこで、わたしたちの本当の目的は?」
『ボクたちの目的は「金色の羊毛」を手に入れること。ここは惑星コルキス。この船はアルゴー号。そしてテラの最後の生き残りさ』
「最後って……」
『そのままの意味。移民船団の本体はもういない』
「……なんでメロンは嘘を?」
『目的が同じなら別にいいでしょ? 移民船団は確かに存在していたし三年という期限だって明示した。エイジスに乗るためには体の練度を上げる必要があるし、五機あれば、可能性が生まれる。ほら、認識の差なんて大したことはないでしょ?』
「……この作戦に失敗したら?」
『これまでと同じ。メロンは一人で生き続けるだけさ。そのためのボクだし、皆だってボクと同じになればいい』
「……それは全部メロンの計画通りなの?」
『まさか。厳密に言えば、あの子こそ
「……それは、誰に?」
『お母さん、あなたにだよ』
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