第90話 虹

「なんでこのままじゃいけないんだ?」


「このままって、キョウ、どういうこと?」


「僕らはどうして「金色の羊毛」を手に入れなくちゃいけないんだ?」


「だから、メロンしか残ってなくて、一人じゃ生殖だってできない。もちろんわたしたちにも生殖能力は無いし、船には人口子宮だって無い。人の歴史の全てを、ここで終わらせることになるのよ?」


「それじゃだめなのか?」


「諦めるってことか?」アリオは怒るでもなく静かに問いかける。


「どこまで行けばいいんだろう。「金色の羊毛」にお願いして、もう一度この星に人類を栄えさせて、そしていつかはまた、この星を飛び出すことになるんだろ? また、宇宙を放浪して、新しい「金色の羊毛」を見つけて、その惑星の生き物をまた殺すのか? そんな血まみれの腕を抱え続けることに、どんな意味があるのかな?」


「意味……」プロフが両手を眺め呟くと、皆も何かを考える。


「そんなもの、何も無いかもしれないわね。生まれた以上は出来るだけ長く存在したいって思うだけで、どこに辿り着くか、はっきりしないかな」


「僕もメロンもそう思っているんだ。なら、今ここで終わっても同じなんじゃない? この星の生き物を駆逐しなくても、僕らが止めれば……そして終わりを待てばいい」


「そうねぇ、壊れて修理を繰り返して、やっとの思いで使い続けるより、どこかで使う事を止めてあげることも道具には必要かもね」


 サブリも達観したようなさっぱりした顔で話す。


「体が無くなっても、お話できれば、それでもいいかな……」


『ネットワークにつないで、仮想空間で好きな人生を歩むのも面白いかもしれないね。そうすればボクも皆と触れ合えるし、好きな容姿……可愛い女の子になって学生生活なんて面白そうだね』


「さて、人類代表のメロンさん。AIの謀反と取るか提言と取るか、決断はあなたに任せるわよ。ミライを創り出す技術があれば、あなただってデータとしてわたしたちと同じ存在になれるんでしょ?」


 それは甘美な誘惑。

 ディストピアの中で仮初かりそめの人生を歩む。

 戦いなどなく、楽しく、愉快で、変わらない平和な毎日を過ごすのだ。

 ……そこに未来が無いとしても。


「ワタシは……ただ、もう一度だけ!……ううん……それもいいのかもしれない」


 メロンは一瞬だけ激情を表し、ゆっくりと静かに笑い、そして寝台室に消えて行った。


―――――


 夢を見た。

 メロンが泣いている。

 僕は彼女を抱きしめようとするけど、伸ばす腕は存在しなかった。


 意識だけが宙を彷徨い、彼女を抱きしめられない事が辛く悲しかった。

 何もできなかった。

 それでも、彼女が泣き止むまで、ずっと側にいようと誓った。


 意識は薄れ消えて行く。

 僕の誓いは果たされたのだろうか?


「……ん、ぐすっ……あ、うぅぅ……」


 現実を知覚する。

 体は動かない。

 僕の裸の胸にポタポタと涙が零れ落ち、それを拭うこともできない。

 メロンが泣いている。

 僕は彼女を抱きしめようとするけど、腕は動かなかった。


「医療行為、だよな」


「……ん、違う、違う、もん……」


 そこは言い張れよ。


「僕は誰かの代用品か?」


「……ち! 違う!」


 メロンは俯いていた顔を上げる。

 涙と汗でひどい顔だなと思った。


「じゃあなんで僕は動けないんだ? 誰かの代わりじゃなきゃ、何かの代わりか?」


「違う! 違うぅ……うぇぇぇぇん」


 動きを止め、僕の胸に突っ伏して泣きじゃくる。

 胸に感じる涙と吐息が熱い。

 これが本物の人間が生み出す熱か。

 僕の流す涙はこんなに熱くなれるのだろうか。

 

 メロンはしばらく泣き続け、ゆっくりと僕から離れベッドを降りる。

 緩慢な動きで身支度を整え、そのまま部屋を出て行った。

 僕はそれをただ見続けるだけだった。


 約束は守れていない。

 泣きやむまで側にいたかったのに、出て行く彼女はずっとべそべそと泣き続けていた。


「……ミライ、頼みがあるんだが」


『覗いていた訳じゃなく、要請に応えているんだからね』


 もうそんなもんどっちでもいい。


「解毒してくれ」


『毒じゃなくて筋弛緩剤だからね、ちょっと荒療治、電気ショックするよ』


 ミライがセリフを言い終える前に、バチっと全身に強烈な衝撃が走る。


「ちょっおまっ心の準備くらいさせろって!」


『どう?』


「……力は入らないけど、なんとか動く」


 イモムシになった気分でベッドの上でゴロゴロと身をくねらす。


『神経伝達系の向上と筋力アップのドリンクを調合したから飲んで』


 倒れそうになる腹筋に活を入れベッドの上に座る。

 こらえきれず床にべしゃりと倒れ込む。

 そのまま匍匐前進でマルチゲートに辿り着く。

 扉を開け、震える手で用意されたドリンクを飲む。

 幾度かむせながら、嚥下を続け、即効性のある薬液が全身に行き渡る。


 すっと立ち上がる。


「メロンはどこだ?」


『自室に戻ったよ』


「なあミライ、頼みがあるんだけど」


『はいはい、経路の扉をアンロック。皆の部屋をロックね』


「インターコムもオフ、お前の記録もオフ」


『後でちゃんと撮らせてね?』


「メロン次第だな」アホか撮らせるかよ!


 自室のドアを開ける。

 脚に力がみなぎる。

 右居住区を走る。

 居間に入り、奥へ。

 寝台に入る。

 初めて入った空間は煌々と明るくて、四方向に繋がる小部屋の様になっていた。

 正面と左右に扉。

 その右側の扉が開いた。

 ミライの誘導に合わせ進む。

 体中に力がみなぎる。


 扉の先は小部屋、その奥に扉。

 アンロックの表示に開ボタンを押す。


「ヒャッ!」


 メロンはベッドに伏せていた顔を上げ驚いている。

 狭い部屋だ。

 僕らの部屋より狭いかもしれない。

 小さなベッドと小机。

 壁に埋め込まれたキャビネット。

 右手にはバスルームだろうか扉が見える。


「な、なんで……」


「神出鬼没はお前の専売特許じゃなくなったってこと」


 僕は一歩近づく。

 メロンは逃げるようにベッドの上に上がり壁に背中をつける。


「こ、来ないで!」


 両腕で自分の体をきつく抱きしめ拒絶の声を上げる。


「ずいぶんと、勝手なんだな。自分は好きなようにしてるくせに」


「好きなんだもん!! しょうがなかった! でも嫌われたくなくて、嫌がられたくなくて、だけどずっと寂しくて、一人で、ずっとずっとずっと! みんなを創って、でも創られたって知ったらどう思うだろうって、きっとワタシの勝手を許せないって思う、だからワタシが作り物のフリをすれば……ワタシがホムンクルスになれば……でも、好きになっちゃって、ワタシもう言い出せなくて……」


 激情に任せて叫んだ言葉は、小さい語尾になって嗚咽に変わる。

 何が本当で、何が嘘かなんてどうでもいいと思った。


 泣いている彼女がいて、彼女を抱きしめる腕がある。

 それだけでいい。


 ふわりと、怖がらせないように、包み込むように彼女を抱きしめる。


「……キョウ?」


「これだけ言っておく、医療行為じゃないからな」


 僕はそう言ってメロンをベッドに押し倒す。


―――――


 僕は、彼女を抱きしめる腕が欲しかった。

 作り物じゃない、彼女と同じ体が欲しかった。

 きっとそれしか彼女の心を救えない。

 彼女に辿り着く虹の道は、金色の羊毛に願う人のカラダ。


 僕とメロンのために。

 今日から続く、未来に辿り着くために。

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