第60話 メロンの血

 船に到着すると、皆に抱えられて車から降りる。

 僕はなんとか歩けたけれど、なんとなく五人で懐かしく感じる出入り口を通った。

 エフテに支えられながら洗浄を行い、流れで脱衣まで手伝ってもらった。

 なんという背徳的な行為!

 精神は高揚したが、僕の若く健全で猛々しい肉体は沈黙を続け、淡々と洗浄作業は続いた。

 右腕は、袖を捲り上げた素肌に、サバイバルナイフの鞘が添え木としてテープで留めてあるので、そのままにしてある。

 治療、してもらえるんだろうか?


「全身、痣だらけね……」


 エフテの絶句に皆が僕を見る。

 全裸の僕を見るなよ!

 そんなに見るならお前らだってジロジロ見てやるぞ! かかって来い!


「壮絶な三日間だったからな」苦笑するアリオ。


「ねえ、笑いごとなの?」


「エフテちゃん?」


「確かに、起きたばかりだし、心身のズレを補正したり経験を積むって仕方がないかもしれないし、強い武器が過ぎた力になるのは分かる。でも、最初っからエイジス? あれがあれば、こんな、キョウやプロフが傷だらけにならなくって済んだかもしれないでしょ」


「私、ほら、軽傷だし、痕も目立たないし、大丈夫だよ」


 プロフは両手を広げエフテにアピールしてるけど、全裸なんだからもう少し慎みを持ちなさい。あんまりオープンだと興醒めなんだぜ?


「まあ、エイジスはともかく、キョウが最初っから短刀の練習をしてれば結果は違ったかもね」


 いつの間にか室内着を着て温風を浴びているサブリが気持ちよさそうに言う。

 お前、一人だけ先に着替えて、ズルいぞ!


「結果どころか、地下にさえ落ちていなかったわよ」


「エフテ、気持ちは分かるけどそこまでな。経緯はどうあれ、みんな無事……ちゃんと帰って来れた事、まずはそこを喜ぶべきだ」


 アリオもセリフはカッコいいんだけど、頼むから前は隠してくれ。

 みんな赤面して目を逸らしてるだろ? つーか比べられる僕の身にもなれ。


 それにしても、地上に出てからここまで、メロンからのアクションは何も無い。


―――――


「お帰りなさい」


 居間に入ると、澄ました懐かしい声。

 どんな感情を湛えているか読み取れない、いつもの顔。

 それだけでいいと思った。

 また、彼女の元に帰って来れた。


 パンっという乾いた音。


 エフテがメロンに放つ、いきなりの平手打ちに僕らは一瞬動きを止める。


「あなたには自由裁量権がある。規則だとかなんだとか言っても、あなたの意志でなんとでもなるんでしょ? あなたの言う通り、わたしたち六人、別に死んでしまえばこの計画が頓挫するだけで、他の先遣隊が送られてくるのか知らないけど、それでもわたしたちにだって生きる権利はあるんでしょ? 捨石だとしても、生き続けたいのよ! 出し惜しみなんてしないでよ!」


「おい! エフテ……」


 僕は言葉を続けようとしたができなかった。

 一息に捲し立てたエフテもハッとした顔をする。

 口元を押さえたメロンの両手、その指の隙間から流れる血液。

 その、僕らと違うその色に衝撃を受ける。


 メロンも気付き、必死にそれを隠そうと後ろを向く。


「なあ、そのくらいでいいだろ? それにメロンが僕らと違う証明も出来たじゃんか。メロンは職務に忠実で、フェアだったろ? 地下に落ちたのは僕らのミスでそこで死んでもおかしくなかった。それどころか適正レベルに達してない僕らのために、いろんな装備を出してくれたじゃないか。それに、エイジスで僕らの命を救ってくれたのだってメロンの判断だろ? だからさ、もうメロンを責めるなよ」


 僕は怒っていたんだと思う。

 エフテの前、メロンを庇うように立ち、静かに、笑みを浮かべながら話した。


「ごめんなさい、わたし、分かってるのに、八つ当たりよね……ごめん。メロン、ごめんね」


 さっきまでの勢いは影を潜め、エフテは請うように俯き、謝罪の声は嗚咽に変わる。


「とにかく、まずはドリンクを飲んでください。あなたがたは長期睡眠から起きたばかりで、調整剤が必要なんです。その後、ゆっくりお休みください。お疲れ様でした」


 メロンは口元を隠し、僕らを見ないまま告げ、寝台室へ歩き去った。


「とりあえず、ドリンク飲もうよ。せっかくメロンが用意してくれたんだからさ」


 サブリはそう言いながら自分の名前が書かれたドリンクを飲み干す。


「うっわ、まっず! いつにも増してまっず!」


「言わないで……飲めなくなる」プロフが手に持ったまま躊躇する。


 エフテは涙を拭いながら、ドリンクを持ち、一気に飲み干した。

 それを見たアリオとプロフも黙って飲んだ。顔をしかめながら。


 最後に僕が手に取り、飲んだ。

 甘い甘い、いちごミルクの味がした。


―――――


 とりあえず、寝られるだけ寝よう。

 皆、思うところも話したいこともたくさんあったけど、僕は笑ってみんなに言った。

 久しぶりの自室。

 ベッドに寝転がり、添え木のままの右腕を眺める。


 ドリンクの効果はてきめんで、心身のズレは嘘のように消え、五感と肉体の鋭敏さは、この体がどこまでも広がるような知覚すら伴った。

 だからだろうか、防音された室内から、この部屋に向かうメロンの気配を感じ取ることができた。


 シュン、と扉が開く。

 だが、メロンは廊下に立ち止まったままだ。


「あ、えっと、とりあえずこれなんとかしてくれるか?」


 僕は身を起こし、右腕を持ち上げ笑いかける。

 俯いたままのメロンは、治療用のカートと共にゆっくりと入室した。

 しばらく、無言のまま治療は進む。

 添え木を外し、洗浄し、直径10センチほどの円筒形のケースを腕に嵌める。

 表面のパネルを操作すると、一連の作業は終わったみたいだ。


「服、脱いで、うつぶせになってください」


 言われた通りにする。

 メロンは、僕の体をしばらく見た後、チューブ式の塗り薬の様なものを塗り始める。

 冷たい手によって冷たいジェル状の薬が塗布される。。

 首の後ろから背中、腕、足、つま先まで、丁寧に時間をかけてそれは行われた。


 ポツリ、と暖かな感触が背中に落ちる。

 一つ、二つ、メロンの瞳からこぼれる熱い雨はしばらく降り続けた。


「……ワタシ、何にもできないのに、みんなに頼ってばっかりなのに、ちっともうまくできなくて、キョウも、こんなになるまで……ごめん、ごめんなさい」


 動きを止めたメロンは、両手で顔を覆ってしゃくりあげる。

 僕はベッドの上で胡坐をかき、とりあえずメロンの頭を撫でる。


「だから泣くなって、お前はさ、ここで僕の帰りを待ってるのが仕事。そんで僕はお前のところに帰って来るのが仕事。だから、泣くなよ、メロン」


「……キョウ、キョウ!」


 抱き着かれ、泣かれる

 僕らとは違う存在のメロン。

 それがどうした。

 だからどうした。


 メロンはμέλλονだ。

 いつだって僕は、どんな姿になったとしても、絶対にお前の元に帰って来る。


「ただいま」


「うん、うん! お帰りなさい! キョウ」


 離れていた時間を取り戻す様に、僕と彼女は抱き合った。

 他に何もいらない。


 僕とお前があればいい。

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