第7話 二人目の隊員

「お帰りなさい」


 部屋の右側、ユニットバスの扉が開きメロンが姿を現し、通路から覗き込んでいる僕に気付き声をかけてくる。

 普段と変わらない挨拶に僕の頭は混乱する。


「え、その人、誰?」


「誰って、言ってたじゃないですか二人目が目覚めますよって」


「昨日、三日後って言ってたじゃん」


「誤差ですよ。274年も眠ってたんですから」


 メロンは全裸で横たわっている男の体を濡れタオルでごしごしこすり、吸盤みたいな機器をペタペタと貼り付けている。


「それは、何をしてるの?」


「バイタルチェックのセンサーですけど?」


 実に興味の無さそうな抑揚を感じさせない声が返って来る。

 僕の知ってるバイタルチェックと違うんだ。


「医療行為だよね?」


「ロングスリープから戻っただけで、実際の覚醒はもうしばらくかかりますからね、体温も、心拍も、血圧も一応フルタイム監視が必要なので」


 重ね重ね、僕の知ってるバイタルチェックと違う。

 それはさておき。


「男なんだね」


「すっごく残念そうな声色ですね。ご自身の立場を覚えています? さっきの戦闘だって危なかったでしょ? ここにいるのが弱弱しい幼女だったらどうするつもりだったんです?」


 メロンは寝ている男の厚い胸板をぺしぺし叩きながら言う。

 なんとなく扱いが雑だな。

 僕もこんな感じだったんだろうか。


「残念とかじゃなく、初めて見た仲間に感動を覚えていただけなんだけど」


 戦力、男、むさい、華が無い……さまざまな感情が去来する中、無難な回答を返しておく。

 それに、まあ、先ほどの戦いで折れそうになっている僕の闘争心を埋めてくれる人だったら嬉しい。とても頼ってしまいたい。


「とりあえず、目覚めるまでしばらくかかりますからあなたは休んでいてください」


 移動式のモニターに表示されているのは、脈拍や血圧といったグラフや数字。

 メロンはそれらを確認しながらコンソールをポチポチと叩きながら言う。


 その作業を眺めるのは確かにつまらないし、手持無沙汰なんだけど、ホムンクルスが隊員のために行う様々な行動が、少なくとも僕に対してだけではなくなった事実に、もやもやしたものを感じる。


 この一か月は二人だけで過ごした時間。

 その時間はもう戻らない。

 メロンを独り占めできなくなったという、僕に芽生えた嫉妬にも近い感情に驚いた。


「どうしました?」


 そんな感情を見透かされるのが嫌で、逃げるように自室に飛び込んだ。

 そのまま、隣の部屋の気配を感じながら、少しだけ眠りについた。


―――――


「……ん、あ……」


 湿った肌と慣れ親しんだ重み。

 擦れ歪む脂肪と張りのある肌。

 密着した部位から広がる熱は僕を突き動かし、更なる熱を生む。

 

「医療行為なんだよね」


 今日は体が動かせる。


「そ、……です、よ……」


「それにしちゃ、辛そうだね?」


「し、ごとですから、楽なことは、ん、ありません」


 愉しんでいるようですが?

 なんて言わない。

 それに、彼女が医療行為と言うなら僕にそれを否定するだけの反論材料はないのだから。


 僕らの関係をいっとき忘れ、その時にだけ感じる衝動を理由に、僕はお腹の上の彼女を強く抱きしめる。

 最後の瞬間だけ、彼女は力を抜き、僕と触れる面積を増やす。

 同じ体温を共有しながら息を整える。


「彼はどう?」


 少しあとにそう問いかける。


「順調です。明日の朝には目覚めると思います」


 メロンは、枕にしている僕の左腕におでこをこすりつけながら、眠そうな声を返す。


「……彼のそばにいなくていいの?」


 我慢できずに聞いてみた。


「……どうして?」


 少し間を置き、小さな声。


「僕が目覚めた時、こうしてたでしょ?」


「医療行為ですからね、必要がなければ必要ないんです」


 少しだけむくれたような声色に少し笑ってしまった。


「そっか、僕はよっぽど手のかかる隊員なんだね」


「そうですよ、猛省してください」


 彼女はそう言って僕の腕を自分の首に巻きつけた。


―――――


 夢を見た。

 誰かが泣いている。

 僕は彼女を抱きしめようとするけど、伸ばす腕は存在しなかった。


 意識だけが宙を彷徨い、実体の無い腕で彼女を抱きしめる。

 彼女が泣き止むまで、ずっと側にいようと誓った。


 目が覚めるとそんな夢の残滓は消え去って、いつもの気怠さを知覚する。


 メロンはいない。

 信じるとか、不安だとか、別に関係ないじゃんよとかいろいろ考えながら、素早く身支度を済ませ部屋を飛び出す。

 向かう先は隣室。

 ドアは開いている。


 昨夜までそこに横たわっていた男はいない。

 ただ、シーツの乱れが、そこに確かに誰かいた証明を主張する。


 小走りに居間に向かう。

 スライドドアが開ききる前に声が聞こえる。


「美味い! 美味い!」


 年輪を重ねた男の声じゃないが、かといって甲高いほどでもない。

 十分に声変わりした少年の声。

 テーブルの向こう側、こちらを向いて座り、並べた色とりどりの食べ物を貪り食っている。

 丼ものをかき込む姿に、箸の使い方が巧みだなと思った。


「お! よお! おはようでいいのかな」


 僕に気付いた彼は箸を持つ右手を掲げ、破顔しながら声を出す。

 若干咀嚼中ではあるが、その気持ちいい笑顔に免じて、お行儀の悪さは大目に見よう。


「おはよう、気分はどう? ってそれだけ食べられれば大丈夫か」


「300年近く絶食してたって聞いたらさ、まずは腹ごしらえだ! って思ったんだよ。しかもメニューは豊富だし、タダだっていうからさ」


 消化器は大丈夫なんだろうか?

 僕だって最初は流動食だったんだけど。


「ところで、名前を聞いてもいいかな?」


 僕は彼の向かい側に座りながら聞く。


「いや、それが、どうやら記憶が無いみたいでさ」


 彼は自分を恥じるように身をすくめて言った。

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