第5話 境島署のいちばん長い日3

「しまった。タイヤロック忘れた」


 パソコンを立ち上げ、いざ報告書を作成しようとしたところではた、とユリウスは気づいた。

 放置車両や証拠品として引き上げて来た車は、盗難を防ぐためにタイヤロックをすることになっている。

 それをしないで盗まれたとあってはとんだ重大非違事案である。

 ユリウスは地域課長に一言告げてから、未だ慌ただしい事務室を小走りで後にした。


「タイヤロックはどーこーかーなー。あった」


 庁舎裏の倉庫からタイヤロックを取ると、倉庫のすぐそばに停めたセダンに近づいた時だった。


 ガダン。


 誰もいない筈のセダンが、大きく揺れた。

 驚きすぎて思わず飛び上がりながら声を上げてしまった。


「ぎゃあ! 何!?」


 そう言えば以前、練炭自殺があった車両を引き上げ、裏の駐車場に保管していた時だ。

 中からガラスを滅茶苦茶に叩く音を聞いたという話を別の署員から聞いたことがある。

 折悪しくそんな話を思い出してしまい、ユリウスは青ざめた。

 震える手で運転席のドアに手を掛ける。

 中に誰かいたらどうしよう。

 いや、誰かというか生きている人の方が逆にいいな。と思いながら、意を決してドアを開ける。


「動くな!警察だ……?」


 勢いよくドアを開けたはいいが、中には何もいない。

 芳香剤と饐えた匂いが混ざった異臭が相変わらず立ち込めている。

 冷たい汗が背中を伝う。


「おおい。ユリちゃん。何やってんのぉ?」


 タイミングよく犬飼の暢気な声がかかった。ユリウスはバッと振り向き、驚異的な速さで犬飼の後ろに隠れた。

 その異常な行動に犬飼も眼を白黒させながら自分の背に隠れたユリウスを見る。


「犬飼部長! ! 今!車が!ガタンって!動いたんです! タイヤロックかけるので一緒に居てください!」

「あーっと! 俺課長に呼ばれてんだっけ!」

「行かないでくださいよぉ!」


 わちゃわちゃと不毛な攻防戦をしている二人を尻目に、セダンがもう一度大きく揺れた。

 今度は一度ではない。ガタンガタンと中で何かが暴れているように何度も大きく揺れている。


「ヒィ!」

「びゃあ!」


 同時に二人が情けない悲鳴を上げ、後退る。

 しかしこの揺れは尋常ではない。

 よく見れば車の後部、トランクの方が激しく揺れ、音もそこからしている。

 犬飼とユリウスは、お互いの引き攣った顔を見つめて頷いた。


「よし、同時にな。いち、にのさん、で開けよう」

「り、了解。盾とか持ってこなくて大丈夫ですかね……猛獣とか出て来たら……」

「ユリちゃんの犠牲は忘れないから」

「縁起でもないから止めてください!」


 冗談なのか真剣なのかよくわからないやり取りに、恐怖心も少し紛れた気がする。

 ユリウスと犬飼は二人一緒にトランクに手を掛けた。


「いち、にの……さん!」


 掛け声と同時にトランクを開け、何が飛び出してきてもいいように身構えたユリウスだったが。

 同時に我慢できないほど生臭い臭いが鼻をつき、二人は思わず腕で鼻を覆った。

 嗅覚が鋭いワーウルフにはユリウス以上に耐え難いのか、犬飼は顔を背けてえずいている。

 だが、ユリウスはトランクの中の物を見て、臭いなど忘れたかのように立ち尽くした。


「うえぇ! くっせえ!」

「あれ……? 何この……」


 ラグビーボールに似た、それより一回りか二回り大きい白いもの。それが完全系であったならばの話であるが。

 おそらくは硬いはずのそれが無惨な欠片となり、抜け殻がトランク中に散らばっている。

 そして、その上に鎮座するものの深い蒼色の澄んだ眼が、ユリウスを見つめ「ぴい」と鳴いた。


「イグアナ……?」

「イグアナに羽はねえよ」


 マスクを着けた犬飼が驚きに混乱しているユリウスの言葉に冷静にツッコんだ。

 海の色を思わせる鱗に覆われた身体。爬虫類を思わせる身体と顔つき。

 その前足には小さい翼のようなものが確認できる。

 震える声で、ユリウスが言った。


「ドラゴン……ですよねこれ」

「多分……マジかよ」


 犬飼とユリウスはぴいぴい鳴き始めた赤ちゃんドラゴンを茫然と見つめていた。


「どうすんの……コレ」



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