第2話『トラック、警官、田園、犬』2
一方その頃。毒島は脱輪したトラックに手を掛けたが、荷台の耕運機の重さもあり、流石に軽くは持ち上がらない。
600キロくらいなら軽く持ち上げられるのだが、1トンを超えるとなると流石に一人では容易では無い。
「あ〜。軽トラじゃないから流石に持ち上がらないなー」
ウィンチで牽引する手もあるが、片側が完全に脱輪していて、下手をすれば側溝に落ちかねない。
どうしたものかと毒島が思案していると、バイクのエンジン音が聞こえた。
「あ、先輩、どうしたんすか~」
丁度小型自動二輪(ビジバイ)で通りかかった犬飼が毒島に気づいて声を掛けて来たのだ。丁度良かったと、毒島は手招きをする。
「お~丁度良かった。犬飼、お前ちょっと手伝えよ」
「うす」
犬飼は毒島の高校時代からの後輩である。若干やんちゃだった犬飼に警察官の道を勧めたのは毒島だった。
犬飼がヘルメットを外すと、ふさふさとした黒い耳がぴょこりと現れる。当初、耳のあるワーウルフ族にとってヘルメットや帽子は中々に抵抗があるようであったが、今ではもう慣れっこだ。
「俺が後ろの荷台持つから、前の方持ってくれ」
「オーケーっす」
毒島が荷台に、犬飼がトラックの前部分に付く。リザード族とワーウルフの警察官の膂力なら百人力である。
車の所有者の男性が路肩でその様子を心配そうに見守っていた。
「よ~し、上げろっ!」
毒島の掛け声が響き、二人が一斉に力を入れる。じわじわと車体が上がり、所有者の男性が「おおー!」と感嘆の声を漏らした。
「せんぱ~い!これめっちゃ重いっすよ!」
「もうちょい!よし上がった!このまま車道側に歩くぞ」
「マジかー」
1トン超のトラックを二人で持ち上げると、ゆっくりと横歩きで車道に出る。犬飼が弱音を吐いたが毒島は軽くスルーした。
「よし、こんなもんか。降ろすぞー。ゆっくりな」
「りょうかーい……あ!待って先輩!待って待って!」
「何だよ」
「タイヤの下に、子ガモちゃんが!」
「ハァ!?」
奇しくも、丁度田んぼからカルガモの親子が出てきたのである。親ガモはさっさと道路を渡り切って、向かい側の田んぼへ入って行ってしまったのだ。残された子ガモたちはうろうろと犬飼の周りに纏わりつき、一羽がタイヤの下の影で座り込んでしまった。
「先輩! 俺持ち上げてますんで!子ガモちゃん拾ってください! はやく!踏んじゃう!」
「わかったわかった!おろすぞ」
毒島が荷台をゆっくりと降ろす。犬飼が「んぎぎ」と踏ん張るのを見て、素早く車体の下に潜り込んだ。
「よーし。おいでー!よしよしよし!掴んだ!降ろしていいぞ!」
毒島の大きな掌が優しくふわふわの子ガモを包み込む。何故か周りにいた子ガモたちが我も我もと手の中に入ってきて、たちまち毒島の両手は子ガモでいっぱいになった。子ガモたちを両手で潰さぬよう収めてトラックの下から這い出ると、それを見た犬飼が目を輝かせた。
「ほら動くな暴れるな……」
「うわー! かわいい!先輩ちょっと代わってくださいよ!」
「バカ! 子ガモちゃんが怖がっちゃうだろ! そっとだそーっと!」
「ひゃー! ふわふわ! かわいい!」
子ガモのふわふわに屈強なリザード族とワーウルフの警察官が子供のように夢中になっている一方で、泥に塗れたユリウスと但馬は全速力で警杖を咥えた犬を追いかけていた。
「待ってー! 止まって!」
「止まれー! 犬!」
泥まみれの警察官二人が、昼下がりの照りつける太陽の下を犬を追い走る姿は、側から見れば非常にシュールを通り越して微笑ましいものがある。
だが二人は必死である。
見た目は木の棒だがその実は立派な備品であり、一本でも紛失すれば膨大な時間を報告書で失う可能性があるのだ。
しかし、件の犬は遊んでくれていると思っているのか、目を爛々と輝かせて飛び跳ねるかのように走り回っている。
「仕方ない! ユリちゃん! プランBだ!」
「えっ!? 何ですかプランBって!」
そう言うと但馬がポケットの中から何かを取り出した。
ビニールに包まれたピンク色のそれは、魚肉ソーセージだ。
「何で!?」
「さっき給湯室にあったから!!」
但馬は走りながら魚肉ソーセージのビニールを剥き、天高く掲げて見せた。
「ほーら! おやつですよ!」
但馬のおやつと言う言葉にピタリと長い毛を泥だらけにしたレトリーバーが足を止めて振り返る。
その隙にユリウスがその背後に回り込んで、二人で犬を挟み込むような形を取る。
顔面から上半身を泥にまみれさせた警察官がソーセージを掲げ、背中から後ろ一面を泥だらけにしたもう一人はバスケットボールのディフェンスのように両手足を広げてじりじりと警杖を咥える犬に迫る絵面は、筆舌にしがたいものがある。
その時、背後に控えめなエンジン音をユリウスの耳が捉えた。
そういえば、自分達は車道のど真ん中だ。但馬に注意を促そうと振り返った時、その車を見て凍り付いた。
「但馬班長、車両が……」
その車は、一般のどの車とも違う派手なカラーリングが施されていて、近くで見ればそれは地図のようでもあった。
一番の特徴的なそれは、ルーフ部分に取り付けられた、全方向を撮影できるカメラ。
その車に映ったら最後。全世界がその光景を見ることが出来る。それは、グ●グルカー。ストリートビューを撮影する為だけに存在する、選ばれし車両。
グ●グルカーの運転手は4人もの警察官が奮闘している光景に律儀にも停車してくれていたのだが、その表情に若干の笑いを含んでいるのは気のせいではないかもしれない。
この光景が撮影されているのに気づいているのは、残念ながらユリウスだけだった。
そして、日本のド田舎の農道で撮影された【トラックの前で大量の子ガモと戯れる屈強なリザード族とワーウルフの警察官と、その向こうで木の棒を咥えたゴールデンレトリーバーを挟み撃ちする泥だらけの警察官という情報量の多すぎるストリートビュー】という画像が、SNS上で全世界に拡散されたのである。
ちなみに、警杖は噛み跡だらけだが無事に戻って来た。
「……という次第です」
だらだらと冷や汗を垂らしながら、自分を鋭い眼光で睨み上げてくる川嶋副署長に、ユリウスは恐々とそう締めくくった。
どうしよう。もしかしたら監察室から何か言われたのだろうか。いや、人事部からかもしれない。
嫌な想像が頭の中を駆け巡る。
「……ふうん。成程ね。そんなのがあるのね~。ありがと」
「へ?」
物凄いお叱りを覚悟していたユリウスは、思わず間の抜けた声を漏らしていた。
「あ、あの、監察室からお叱りとか……」
おずおずとそう言うユリウスに川嶋が呆れたように笑った。
「無いよそんなの。さっき嫁が電話かけて来てさ。これ何!?あんたン所の署員でしょっ!?てうるせーからさあ」
川嶋の妻は警察官で本部警務課の補佐であった。幾度か警電でやり合っているというのを警務係の浅野警部補から聞いたことがあった。といっても休日は夫婦でゴルフへ行くくらい仲が良いという噂もあるのだが、本当の所はユリウスも知らない。
「そ、そうなんですかぁ~」
「悪かったなぁ。驚かせてよォ。まあ、監察の奴らがどう言って来ようと俺がどうにかすっから大丈夫だからな」
悪童のような副署長の笑みに、ユリウスは少し安心した。
副署長の川嶋警視は見た目からも強面で一筋縄ではいかない、いわゆるアウトロータイプだが、上層部への媚びへつらいよりも部下や同僚の事を一番大事に、そして最後まで面倒を見るという古き良き義理人情に厚い男であった。
かつて、部下の失態を自分の責任として己のクビすら賭けたり、合同捜査での部下への不当な扱いに直訴して危うく乱闘寸前になったという逸話を聞いていた。
その言葉にほっと胸を撫で下ろす。
「だが、犬なんぞに警杖取られた末、あんな醜態を全世界に見せたのは頂けねぇな」
「え"」
再びぎろりと睨まれて、安堵していた心臓が縮み上がる。
「お前ら四人、明日から一週間術科訓練(柔道又は剣道の訓練の事)な。教養課の先生も来るから。絶対出ろよ」
「はい……」
教養課には、警察官の術科訓練の為の専門の警察官がいる。彼らは柔道や剣道のスペシャリストだ。そしてその訓練は非常に厳しい。
こうして、ユリウス達四人は一週間の術科訓練を言い渡され、厳しい訓練を科せられる事と相なった。
画像は暫くSNS上に出回り、かなりのバズり具合を見せ、県警にメディアから問い合わせが来たのは、また別の話である。
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