それは、堕ちた天使の成れの果て

 まるで血に染まった壁が迫ってくるかのように、私とアキラちゃんに向かって薔薇の群れが襲いかかる。


「アキラちゃんっ、本体っ!」


「わかったっ!」


 おそらく、薔薇をどれだけ切ったところで、アロリーロを倒すことはできないだろう。


 私たちはそれぞれ横に跳んで、迫る薔薇の波を躱した。

 着地の瞬間、床に敷き詰められた薔薇の棘がざくりざくりと足に刺さる。

 しかし、それを気にしている余裕なんてなかった。


「キャロ、援護してっ」


 アロリーロに向かって駆け出すアキラちゃん。

 その四方八方から、アキラちゃんを攻撃するためだろう、幾本もの薔薇が伸びてくる。


「マテリアライズ!」


 その薔薇たちは、私が発現させた数十の植木鉢に突っ込んでいった。

 植木鉢ぐらい簡単な造型のものだったら、一瞬のうちに描き出すことができるのだ。


 アキラちゃんに届いた薔薇は一本もなく、全て植木鉢の中で飼い殺される。


『へぇ? 珍しいねぇ、クリエイターじゃん』


 眼前に迫ったアキラちゃんを歯牙にもかけず、アロリーロはのんきな声を上げた。 

 嫌な予感が、私の胸をよぎる。


「アキラちゃん!」


 そんな胸騒ぎをよそに、振り下ろしたアキラちゃんのハイミスリル・ソードが、アロリーロの肩から侵入し胸までを斬り進んでいた。


 あれ、意外とあっけなく倒せた……?

 あっ、やばい、フラグみたいなこと思っちゃった!


「なっ、このっ……!」


 アロリーロに突き刺さるソードの柄を、アキラちゃんは体重をかけて思いっきり引っ張る。

 しかし、それはビクともしないようだ。


『えひゃひゃひゃぁっ、この武器じゃあ、私は倒せないかなぁ!』


 自らに刺さるソードの刃を掴み、愉しそうに笑うアロリーロ。

 もしかしたら、効かないことがわかっていて、わざと斬りつけさせたのかもしれない。


 武器を奪われ、敵の近くに留まるのは危険だ。

 そう思ったのだろう、アキラちゃんは剣を引くのを諦めた。

 て柄から手を離し、大きく後ろに跳んだ。


「ぅわ、ちょっ――!?」


 だが、後退ったアキラちゃんが床に足を着ける。

 その瞬間、床の薔薇が燃え上がるように一気に膨らんだ。

 アキラちゃんが逃れる隙はなく、その姿を包み込み隠してしまった。


『うふぇふぇっ、これでアキラちゃんはぁ、お友だぁちぃ』


「ぁっ、ぐっぁ、ぁああぁあっ――!」


 愛おしい恋人を抱きしめるかのように、アロリーロが薔薇の卵に腕を回して力を込める。

 卵の中からは、棘が刺さってダメージを受けているのだろう、アキラちゃんの悲鳴が上がり続けた。


「アキラちゃんを傷つけるやつがっ――」


 私は、アロリーロに手が届く距離まで迫る。

 そして、手の中で暴れるギュルギュルという振動を、力で無理やり押さえつけていた。


 手の中には、クリエイターのスキルで創造した“チェーンソー”。

 高速で回転するその鈍色にびいろの刃を、アロリーロの腹部に叩きつけた。


「――友だちを名乗るなんてっ、私が許さない!」


『えべっ、びゃびゃびゃぶぶべびょっ!?』


 甲高い金属音を響かせながら、チェーンソーがお腹をめためたに切り刻んでいく。

 アロリーロに巻き付いていた薔薇はちぎり切れ、蔓の棘が辺りに飛び散る。

 しかし。


『ばばばびゃっ、なびゃっだ、このぶぎっ、ひゅごひゅぎっ……!』


 目の前のアロリーロは、苦痛というよりも恍惚のために、その美しい顔をゆがめていた。


 徐々に、回転する刃の勢いが弱まっていく。

 いまの私のレベルでは、チェーンソーレベルの複雑な構造だと10秒程度の具現化が限界だ。

 タイムリミットを迎えて、手の中のチェーンソーは淡い光になって消えてしまう。


『……ぇひゃぁ、もう終わりぃ?』


 お腹に大穴を開けたまま、アロリーロが私の頬を片手で撫でた。

 手を覆う薔薇の棘だろうか、触られた頬がチクリと痛む。

 私の戦意は、穴の空いた風船のように急激にしぼんでいく。

 アキラちゃんの声も、もう聞こえなくなっていた。


『キャロちゃぁん、惜しかったねぇ。あなたの力の方がぁ、可能性あったのにねぇ』


 私の方が、アキラちゃんより……?

 攻撃の威力は、絶対にアキラちゃんの方が強いはずなのに。


 動揺を隠せない私の顔を見て、アロリーロは口角を吊り上げて笑った。

 近くで見ると、その紅い瞳は宝石のように輝き、私の視線が自ずと吸い込まれる。


『ふふっ、そうそう、楽にしよぉ。私たちぃ、友だちでしょぉ?』


「友だち……?」


 アロリーロが両手を広げると、身体に巻き付いていた薔薇の蔓がベリベリと剥がれて。

 私に向かって、その暴力的な美しさを伸ばしてくる。


『えへへぇ、アキラちゃんもキャロちゃんもぉ、ぷふっ、だぁい好きぃ』


 なんだろう、頭にもやがかかっているのかな。

 なにも、考えられない。

 目の前の、甘い香り、甘い声に、全てを委ねるしかなくなる。


 ぼんやりと、誘惑に負けた。

 そんな私が、アロリーロの肢体を抱きしめる直前。


「えっ……?」


 思わず、気の抜けた声が私の口から発せられる。


 アロリーロの肩越しに、その背後。

 煌めく金色の髪は、この薄暗い空間でも光を放ちつつ、翼のように広がり。

 凛と澄まされた顔の美しさも相まって、まるで傑作の絵画のようだ。


 天上の女神としか思えない。

 そのような存在の降臨する光景が、私の瞳に飛び込むのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る