第3話 訂正しておいてよね!
ピロン!
デートの惚気話を暴露して一躍有名になったその日の放課後。校門を出てすぐ瀧斗のスマートフォンにメッセージが届いた。
「あの場所ねぇ……つーか、元姉だし」
元義理の姉が言う『あの場所』というのは、心当たりが一つしかない。
どうすっかなぁ、と行くか無視するか悩んでいると、
ピロン!
星空>来なかったら……
ピロン!
星空>社会的に抹殺しちゃうぞ♡
ピロンピロンピロン!
それから連続で投下されたのは、一緒に住んでいた頃の爆弾画像だ。
隠し撮りされたであろうその画像が表に出たら、瀧斗は一発で社会的に死んでしまう。
「……これは断れねぇ」
すぐ行く、とメッセージを送り、彼は道を急いだ。
まだ死にたくないのだ。
▼▼▼
【静寂の恋人】という名前の喫茶店は住宅街の中にひっそりと佇んでいた。静かで心地よい音楽が流れ、コーヒーの香りが漂う由緒正しきレトロな喫茶店。
瀧斗と星空が中学時代、高校の体験入学の帰りに見つけた二人だけの秘密のお店である。友達にも親にも一切教えていない。
ドアを開けるとカランコロンとドアベルが鳴り、いらっしゃいませ、と初老のマスターが穏やかな声で出迎えてくれた。
セバスチャン、という名前を思い浮かべてしまうのは何故だろう。
「お好きなお席へどうぞ」
店内を見渡すと、一番奥の席に制服姿の星空がいた。それはそれは美しい笑みを浮かべ、しかし目だけはむっつりと元弟を睨んで、小さく手招きしている。
瀧斗は、本日二度目の処刑台へ向かう死刑囚の気分を味わった。
「よく来たね、愚弟」
「呼びだしたのはそっちだろ、馬鹿姉」
元姉弟が一瞬睨み合う。バチっと火花が散った。
「マスター。いつものをお願いしまーす!」
「かしこまりました。少々お待ちください」
「はーい」
音も気配もなくやって来たマスターに注文し、星空は再度瀧斗を睨む。
「で、どーしたんだ? つか、あの写真を消してくれ」
「写真ってこれのこと? 瀧斗が私の下着を被って寝ているところを激写しただけなんですけどー」
ニヤニヤしてスマートフォンを見せると、そこには先ほど脅しに使われた写真が映っていた。他にも、画面をスライドさせると、ブラを握って熟睡する瀧斗や、星空の胸を触って寝ている瀧斗、見るからに事後の星空を腕枕して熟睡する瀧斗の画像が表示された。なお、際どい写真の二人は裸のように見える。
「いつもいつも俺が無防備に寝ているところに悪戯しやがって……!」
「ふはははは! 弟をイジメるのが姉の権利かつ義務なのだぁー!」
「そんな権利と義務があるわけないだろ!」
「楽しかったです。またやりたいです」
「小学生の感想か!?」
はぁ~、と深い深いため息をつく瀧斗。姉じゃなくなっても星空は星空だ。全然変わらない。
そこに、注文されていたロイヤルミルクティーとブラックコーヒーが届けられた。星空がミルクティーで瀧斗がコーヒーである。
「で? 何の用だ?」
コーヒーの深い苦みに舌鼓を打って、単刀直入に訊く。
ミルクティーの美味しさに本題を忘れていた星空は、そうだったそうだった、と思い出し、
「あれ、訂正して」
「あれ、とは?」
キョトンとする元弟に元姉は思わず殺意が湧く。
「あれといったらあれ! 今朝のやつ!」
「今朝の? あぁ! もしかして、昨日のデートの話か?」
「そう! おかげで大変だったんだから」
「なんでだ?」
ぐったりと疲れている星空を瀧斗は不思議そうに眺め、
「
「――関係ない?」
星空はバンと怒りのままテーブルを叩いた。実際は、店に迷惑をかけないようポンという軽いものだったが。
「瀧斗が誤解を招くことを語ったせいで関係ない話に私が関係しちゃったんでしょうが! いや、実際少しは関係あったんですけど! あったんですけど!」
眦を吊り上げ、囁いて怒鳴るという芸当を見せる星空。怒りが収まらないので瀧斗の脛を蹴っておく。
「なんでだ? 昨日デートしたのは
「瀧斗は本当に大好きなのね、
そう。昨日瀧斗がデートしていた相手は星空ではなかった。彼の元義理の母親であり、星空の実の母、
星空と聖空の容姿はほぼ一緒。身長も顔も姉妹のように瓜二つなのだ。
「ああ! 超大好き。理想の母親。母さんは本当に聖母!」
物心がつく前に実母が亡くなっていた瀧斗は、数年前に出来た義理の母親、聖空のことが大好きで実の親以上に慕っていた。親が離婚しても一緒に買い物デートをするくらい。
「その聖母の称号が私ってことになってるんですけど! デートの相手がママだと言わなかったせいで! このマザコン!」
「あれ? ちゃんと言った…………覚えがないな。あぁー……スマン。迷惑かけた、よな?」
「超迷惑をかけられました! 明日訂正しておいてよね! デートしていたのはママでしたって! 私が訂正しても謙遜してることになるし……マジで殺しに行こうかと思った」
「すいませんでしたー。今日は奢らせていただきます」
「言質取った! マスター! 今日のオススメのケーキくださーい!」
「かしこまりました」
穏やかに微笑んだマスターがケーキを運んできた。
うげっ、と財布の中身を思い出して絶望した瀧斗であったが、幸せで蕩けた笑顔の元姉の顔を見たら全てがどうでもよくなった。
「ん? どしたの? あ、ケーキ食べたいとか? 仕方がないなぁ。元お姉ちゃんがア~ンしてあげる。ほれほれ口を開けな!」
「どーも。あむっ! ……美味いな」
「だよねー! 私、社会人になったら初任給を使ってこのお店のケーキを一日で制覇する! あ、口にクリーム付いてる。動くなよ~。ステイステイ」
俺は犬か、と仏頂面で律儀に動きを止める瀧斗の口を星空が甲斐甲斐しく指で拭い、そしてそのままパクっと舐めた。
傍から見たらイチャついているバカップルである。
「本当に母さんにそっくりだよな、星空は」
昨日もこんなことされたなぁ、と瀧斗は思う。やはり彼女たちは親子だ。
「そりゃそーでしょ。血の繋がった娘なんだから。てか、ママはその血の繋がった娘よりも義理の息子を溺愛してるし。まあ、いいんだけどね。ママを瀧斗に
キス魔でハグ魔だから鬱陶しいんだよねぇ、と娘は母の行動を思い出してげっそりとやせ細る。美人の母の数少ない欠点なのだ。
家族だった頃はそのヘイトが夫や義理の息子に向かっていた。しかし、今は離婚して家には娘の星空ただ一人。
お年頃の星空は母親の密着が鬱陶しくて、イライラが溜まっていたところだ。
「いっそのことママと結婚したら?」
「は? 何言ってんだ。母さんは母さんだろ。母親だからいいんだ。家族愛だ家族愛」
「このマザコン。ママと結婚したいと公言していたくせに」
「あれは言葉の綾だ。まあ、母さんに似た女性と結婚したいな」
「じゃあさ――」
星空が悪戯っぽくニヤリと微笑む。
「――私と結婚したいってこと? 私、ママと瓜二つだし」
問われた瀧斗は対面に座る元姉を見つめ返し、
「星空と? ふっ!」
「は、鼻で笑ったなぁ! お? やんのか? 久しぶりに姉弟喧嘩勃発か!?」
「ふっ。星空には母性が足りんよ母性が。全てを包み込んでくれる聖母のごとき温かく優しい柔らかな懐が全然足りん!」
愕然とした星空は自分の胸を見下ろし、顔を真っ赤にして胸を隠す。
「こ、このおっぱい星人! 死んじゃえ! 私だってDはあるもん! ママが大きすぎるだけで私も十分大きいもん! ママの娘だからまだ大きくなるもん! 成長途中だもん!」
「おいおい。なんで物理的な胸の話になる? 俺は心の話をしたんだが。星空ってむっつり? エロ写真を捏造するくらいだからそうだよな……」
思わず納得してしまう。そうでないと説明がつかない。
真っ赤になってプルプル震えた星空は、おもむろにスマートフォンを手に取る。
「ママにあの写真を送ってやる!」
「送っても母さんは喜びそうだけどなー。『あらあら、仲が良いのね』って」
「くっ! なら、瀧斗にイジメられたってあることないこと訴えてやる! ママに怒られろ!」
「ぜひそうしてくれ! 大げさにないことばかり訴えてくれ! 俺は母さんに叱られたい!」
身を乗り出すほど瞳を輝かせる瀧斗に、星空は隠すことなくドン引きする。
「うわぁー……引くわぁー……」
「別にいいだろ。母親に叱られることがずっと夢だったんだから……」
「まあ、その気持ちはわかるけどね。私もパパに怒られたいなぁ。瀧斗との写真をパパに送ろうかなぁ。『この不良娘が!』って怒ってくれるかも」
「うん。それはない。怒られるのは俺だけだ。俺だけ殺される」
瀧斗の実父、
あの写真を送ったら怒られるの確実に瀧斗。普段温厚すぎる彼が『可愛い娘に手を出しやがってぇ! 許さん!』と烈火のごとく怒るだろう。
「じゃあ、瀧斗が私にイジメられたぁってパパに泣きついてよ。そしたら――」
「――父さんは『ズルい! パパも娘にイジメられたい!』って言うだろうな」
「……だよねー」
はぁ、と元姉弟はそろってため息をついた。
現実はそう上手くはいかない。
義理の子供たちに反抗期で反抗されるのが夢、という親なのだ。
再度ため息をついて、親の話題はこりごりな二人の会話は何気ない話題へと移っていく。
喫茶店で長いこと喋った二人は、会計を済ませて帰路に就いた。
外はもう暗くなり始めている。
親が離婚してから久しぶりに姉弟二人っきりで長い時間を過ごせた気がする。
今年の年始に離婚し、高校受験や中学の卒業、高校へ入学など、ここ最近忙しかった。
近況を報告し合っていると、あっという間に星空の家にたどり着いた。
「じゃあな。母さんによろしく」
あっさりと背を向けて帰ろうとする瀧斗の制服を背後から誰かが掴んだ。
犯人はただ一人。星空だ。
コツンと背中に何かが当たる。それは彼女の頭だった。
「……どうした?」
紫色に染まる空を見上げて、背後の元姉に問いかける。空には薄っすらと星が煌めいていた。
「なんで……」
儚く消えそうな小さな囁き声。
「なんで離婚しちゃったのかな……?」
離婚時、親が決めたことだから、と子供二人は深く追求しようとはせず、全て親に任せていた。今の今まで二人はこの話題を無意識に避けていた。
久しぶりに二人きりだったからこそ漏れ出してしまった嘘偽りない本音。
「さあな。親に訊け」
「ママに訊いてもはぐらかされた。パパは?」
「同じく」
「なんでなのかな……?」
「喧嘩別れじゃないんだよなぁ。別れても偶にデートしてるらしいし。案外、夫婦じゃなくてカップルの雰囲気を味わいたいから、みたいな馬鹿な理由で別れたのかもよ」
「あの二人ならあり得そう……」
クスクスと星空が笑う気配がする。
いつの間にか彼女の手は瀧斗のお腹に回されていた。そのほっそりとした冷たい姉の手に弟の手が重ねられた。
「寂しがり屋」
「……悪い? だって本当に寂しいんだもん。せっかく家族になったのに」
しんみりとした空気が流れ、彼女の手にギュッと力が込められた。
「まあ、その、なんだ……」
少し照れくさそうに瀧斗は空を見上げながら言った。
「寂しかったら連絡してくれ。元家族のよしみですぐに駆け付けてやる」
「ふ~ん。そう」
数秒後、ピロンと瀧斗のスマートフォンにメッセージが届いた。
差し出し人は星空。
星空>寂しい
星空>会いたい
星空>寒いの
星空>温めて
簡潔な内容の連投。簡潔ゆえに、本来ならば察するのが難しい感情の機微がスマートフォンの画面を通して伝わってくる。
星空が、離さないと言わんばかりに強く抱きしめる。
「俺はどうすればいい?」
「動かないで。今、
「
「安心して! 同時並行でお
「意味わからん……でも、好きなだけ好きにしろ」
「うん。そうする」
――ありがと。
小さく呟かれた感謝の言葉は聞こえなかったふりをする。そうでないと今にも動き出してしまいそうだったから。
好きなだけ元弟の背中を堪能した元姉は、最後に大きく彼の匂いを吸い込んで離れた。
「さあ! 今すぐ帰れ! ゴーホーム! 寄り道するなよー!」
「変わり身早ぇーな! しんみりしたさみしがり屋はどこへ行ったんだよ」
「ここにいますけどー? なに? 送り狼するつもりだった? いや~ん! 瀧斗のヘ・ン・タ・イ!」
「むっつりの星空に言われたくない!」
「む、むっつりじゃないもん! 人並の性欲だもん!」
「性欲言うな! 生々しいわ!」
瀧斗は薄暗くてもはっきりとわかる赤面顔の星空の頭に手を置いた。そして、ワシャワシャと髪を撫でて乱し、最後はポンポンと軽く叩く。
あっ、という名残惜しげな星空の声に再度頭を撫でたくなるが、グッと堪える瀧斗。
「じゃあな。また明日。学校で」
「うん……じゃあね……」
遠ざかる元弟の背中。寂しさが込み上げてくる。
家族が増える前はこれが当たり前だったのに……。
家族の温もりを覚えてしまった彼女には、今の生活が耐えられない。
堪えきれなくなった星空は大声で叫ぶ。
「ねぇ! 今夜電話していい?」
立ち止まった瀧斗はゆっくりと振り返り、
「好きにしろ。弟をイジメるのが姉の権利かつ義務なんだろ?」
「そ、そうだよね! うん、そうだったそうだった。お姉様が寝不足にさせてあげるわ! 今夜は寝かせないから覚悟しなさい! あと、明日、ちゃんとデートの話を訂正すること! いいね?」
「へいへい。わかったわかった。じゃーな、馬鹿姉」
「またね、愚弟!」
背を向けて手を振る弟にブンブンと星空は手を振る。
暗くなったなぁ、と思いながら歩いていた瀧斗は、ふと無意識に振り返った。すると、まだ家の前で立ちすくむ星空の姿があった。
表情がわからないくらい暗く遠いにもかかわらず、彼女がパァッと微笑んだのが彼にはわかった。
どこかで見たことがある光景。つい最近、というか昨日、全く同じ光景を見た。
「本当にそっくりだよ、星空と母さんは」
苦笑しつつ、元姉に手を振り返した。
お互いの姿が見えなくなるまで、何度も何度も二人は手を振り合った。
姿が見えなくなってしばらくして、空を見上げながら彼らは全く同時に呟いた。
「元愚弟のくせに格好良すぎ」
「元馬鹿姉のくせに可愛すぎだろ」
お互いの言葉は、当然のことながら相手に届かない――
そして次の日――
「秋月! お前、一昨日に引き続き昨日もまた星空ちゃんと放課後デートしてたんだってな! 喫茶店で仲睦まじくお喋りしてア~ンだと? 口に付いたクリームをペロッだと!? 羨ま死ね! 挙句の果てには手を繋いで家まで送り、離れたくなさそうな星空ちゃんに抱きつかれたんだって!? お互いが見えなくなるまで何度も何度も手を振り合うって……もういっそのことそのまま永遠に幸せになっちまえ! バカヤロー!」
一昨日の訂正どころか、昨日の放課後デートは真実だったため訂正しようにも上手くできず、噂に拍車をかけてしまった瀧斗と星空の二人であった。
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ストック消失。
不定期更新となります。たぶん。
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