第9話 アドリアナ共和国
「おおっ!海ではないか!それにこの風!ここはまさしくアドリアナ!」
アドリアナ共和国の首都アドリアナ。その高台にあるゴレフス商会連絡事務所のバルコニーから光る海を見て、叫ぶ老人がいた。
その人の名はヴィルヘルム・フォン・グナイゼナウ。
エリューシオン王国序列5位の大貴族、ニエンニム辺境伯爵、その人だった。
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ニエンニムのゴレフス商会のリニューアルオープンが一段落した頃、ティルスから提案があった。
「僕とツェラン様、せっかく2人も二点転移門設置の
「それはそうだな。ニエンニムと王都の転移門は私が再設置したが、ティルスは、ニエンニムからつなげるのか?それとも王都から?」
「目的地次第ですが…僕はアドリアナがいいんじゃないかと思うんです」
「アドリアナか…」
ベーゼルンデ海東沿岸部を巡って、エリューシオンとアドリアナは既に半世紀近く熾烈な抗争を繰り返している。ここ10年は停戦協定が結ばれているが、何か刺激があれば冷たい戦争はたやすく熱い戦争に逆戻りするだろう。
「アドリアナが次の目的地として望ましい理由は3点あります。
アドリアナは、エリューシオンの永年の敵ですから、敵の敵は味方と言うことで、何らかの理由でツェラン様がエリューシオンにいられなくなった時、保護してくれる可能性が高いです。これが第1点。
第2点は、アドリアナは”海の女王”と異名を取る海国ですから、海産物が豊富で、山国のエリューシオンとは、名産品が正反対に違います。エリューシオンの物産をアドリアナ人は欲しているでしょうし、アドリアナの物産をエリューシオン人は欲しています。それをつなぐのが商人の本分です。これが第2点。
第3点はアドリアナは、海運貿易国家ですから、世界中の珍しい物産が集まってきます。転移門をあちらこちらに設置できない以上、アドリアナに設置するのが一番、効率がいいです。これが第3点です」
そう言う訳で、目的地としてはアドリアナに決まったのだが、アドリアナに行くとすれば、王都からではなくニエンニムから出発する方が近い。
距離的には王都ヴィエナからアドリアナの方が圧倒的に近いのだが、そちらのルートは国境線が封鎖されているため、通行が不可能になっている。
魔域を抜けて、山がちなルートを辿り、隣国のチロル公国へ抜けて、さらにそこから中央山脈を越えてエリトリア半島に入り、アドリアナ共和国に向かうのが現実的なルートである。
ティルスは、普段は、転移門が使える自分には、護衛がいたら逃げる時に却って邪魔になるからと護衛をつけるのを嫌がるのだが、今度ばかりは、魔域を通るため、キンバとレイノスが護衛についた。
そうは言っても、朝8時に出て、昼食時間にはニエンニムに戻り、午後ふたたび転移して18時には戻って来ると言う、お気楽なスケジュールである。
転移門は、ツェランの執務室に設置したため、大きな魔物を斃したと言っては、ツェランも回収のため呼び出されるのには閉口したのだが。
5ヶ月弱かかったが、一行は無事、アドリアナ共和国に入った。
商人ギルドは国際的な組織であり、ツェランの2種商人の資格はアドリアナでも通用する。商人ギルドの紹介で、風光明媚な高台に瀟洒なヴィラを45億エキュで即金でツェランは購入し、そこをゴレフス商会アドリアナ駐在事務所、とした。普段はメイドを1名常駐させているだけである。
今のところ、パルマを連れて食材を買い集める拠点、程度にしか用いていないのだが、なにか運用しようか、と言うところでニエンニム辺境伯爵ヴィルヘルムに嗅ぎつけられたのだった。
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相手は単に大貴族と言うだけではなく、先代国王の御代で、33年に及んで王国宰相の任にあった大ヴェテランだった。魑魅魍魎渦巻く貴族政治の中心にあって、切った張ったをやり続けた歴戦の猛者なのだ。
ニエンニム辺境伯爵ヴィルヘルムを相手にしては、ツェラン程度の小僧は洗いざらいを白状せざるを得なかった。
ヴィルヘルムは、ツェランがダブルギフテッドと言うことにも驚いたが、ツェランの
つまりは、ツェランはエリューシオン王国全体の農業生産を上回る生産を一瞬にしてなせるのだ。衝撃的なのは、更に、それだけのチートがあってなお、ツェランが実際にやったことが非常にささやかだと言うことだ。せいぜい、田舎の都市のニエンニムで、ぶいぶい言わせる程度のことしかしていないのだ。
それはツェランが異常なほど自制心があることを示していた。安く大量に食糧を供給する。一見、善意に満ちたその策でも、それを実行すれば多数の国民の生活が破綻する。ヴィルヘルムが驚いたのは、そのことをツェランが理解していることだった。
ツェランが実際に手掛けた2大産品、人参と椎茸も、その理解を含めて考えれば、国民の経済生態系にマイナスの効果をもたらすことがない、考えに考え抜かれて選ばれた産品であることが分かる。
ツェラン傘下の奴隷3人がギフテッドであると言うことにも驚いたヴィルヘルムだが、ツェランの存在が
そして食事を終えた後、ヴィルヘルムとアトリーは、ニエンニム家邸宅に移動して、そこからティルスに手を引かれて、検証のためにアドリアナに飛んだのだった。
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「辺境伯爵様!外にお出になられるなら、お着換えを!エリューシオン王国式の貴族服は悪目立ちします!」
さっそく表に飛び出そうとしていたヴィルヘルムを、ツェランは呼び止めた。ここには、ヴィルヘルムとアトリー、ツェランとキンバとレイノスとティルスの6人がいる。
「うむ、そうか。しかし服がないのう」
「ワードローブにご案内します。アトリー様ともども適当な衣服をお選びください」
アドリアナは共和国ではあるが、貴族が元老院に拠って政治を行う寡頭共和制の国である。このヴィラ(登記の変更と共に、ドンル・ヴィラと命名)は元々は貴族=元老院議員の所有物であり、最後の住人の死と共に居抜きで売りに出されていた。
つまり家具ばかりか、ありとあらゆる物が残っていたのである。それこそ前所有者が残した書類や日記までもが。書類や日記類は、アドリアナの政治状況、社会状況を知る良い資料になっているので、ツェランとティルスが手分けをして読み進めている。
ヴィルヘルムにも提出するつもりだった。
ワードローブには故人の衣装だけではなく、使用人の衣装や女性用の衣装、青年や子供用の衣装などがひととおり揃えられていて、ツェランたちは目立たないように使用人の衣装に着替えた。
ヴィルヘルムは、こだわりがあるのか、やはり貴族用の衣装を着用した。
外歩きをする前に、現地通貨で500万デュカート程度の貨幣を、ツェランはアトリーに渡した。ほぼほぼ500万エキュと同価値である。
「後程、お返しします」
アトリーはそう言った。
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