第8話 上層平民になると言うこと

 施主でありながら、引き渡されたゴレフス商会・ニエンニムシュトルツ家邸宅を見て度肝を抜かされたツェランだった。

 今回施工を担当したのは、ザルツシュタットの建築会社ドモロン商会であり、ドモロン商会の会頭自身が姓持ちの上層平民である。この会社は上層平民向け、下級貴族向けの建築に長けている。

 総額10億エキュになる大プロジェクトであり、ツェランが辺境伯爵から直々に姓を下賜された「お気に入り」であることを知ると、ドモロン会頭は全力を尽くしてニエンニム家邸宅の建築に心血を注いだ。

 その結果できたのがやたら豪華な建物だった。ツェランが使用する部屋だけでも、執務室、居室、寝室に分かれていて、執務室の隣には応接室と秘書室がつながっている。ツェランが結婚した後の場合も踏まえて、夫人居室、複数の子供部屋、乳母部屋も備わっていた。

 使用人室としては、キンバ、ティルス、ファラーナ、パルマ、レイノスに個室が与えられ、他の奴隷たちにも十分な居住スペースが与えられていた。

 それでいて客室が8室もあるのである。

 家具も貴族が使用するような、高価で繊細なものが選ばれていた。


 店舗の方には、ゴレフス商会の看板とともに、それと同じくらいの大きさで、会頭ツェラン・ニエンニムシュトルツと書かれた看板が掲げられていた。姓持ちは、姓持ちであることをアピールするものであるとアランコル・カマンダラから厳しく言われた結果である。

 また、姓持ち平民として、紋章よりは格下の家紋である徽章を持つ必要があり、こちらも姓と同時にニエンニム辺境伯爵家から下賜されていた。ニエンニムシュトルツ家の徽章は人参をデザイン化した人参紋であった。よくもわるくも、一目で「人参屋」と分かる徽章である。


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 結論から言えば、レイノスが10歳になった時に、ギフテッドになることはなかった。

 キンバ3兄弟とレイノスの違いは、①年齢、②生得奴隷か債務奴隷かの違い、③忠誠心の違い(可能性)、であるので、また、別の人間で条件を近似させて確認させる必要が出て来た。

 ティルスが言うように、本来、エリューシオン王国全土でも計算上は3人か4人しか15歳時にはギフテッドになれないのに、その3人が全員が全員、ツェランの奴隷から選ばれることは、確率的にあり得ないとツェランも思っていたので、自分と言う存在が何らかの引金になっているのは間違いないと考えていた。


 ティルスは、恩恵グレイスを与えるには忠誠心と言う観点から危険がある相手に対してまで、「ツェランの加護」を及ぼすことを危険視しているのだが、そもそもどういうメカニズムでこの「ツェランの加護」が発生しているかを解明しない限りは、それを避けることも出来ないのだ。


 そう言う訳で、ゴレフス商会が、新装オープンしてから、2ヶ月たって、店やニエンニムシュトルツ家のオペレーションも落ち着いてきた頃に再び増員することにするツェランだった。

 ツェランと幹部であるキンバ3兄弟、相対的に古参の奴隷であるパルマを含む家事奴隷3人とレイノス、そしてゴレフス商会で働く10人の奴隷を含めて、「ニエンニムシュトルツ家」の人数は、18人になっていたが、この人数のケアワークを3人で回すと言うのはなかなか厳しかった。

 やってやれないことはないのだが、ニエンニムシュトルツ家邸宅が当初の予定よりもかなり大きくなり、格式も上がったことで、家事の手間が段違いに増えた、と言うのも事実だからである。


 それで将来的なことも見据えて、洗濯奴隷を2人、掃除奴隷を2人、料理奴隷を3人増員した。すべて14歳の獣人女性である。彼らを収納するスペースにはまだ余裕があった。


 しかし、それらの者たちも、15歳になった時には結局、恩恵グレイスを発現しなかったのである。

 検証作業は頓挫した。


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 1人あたりの食事が銀貨1枚はかかると言う、ニエンニム初の高級料理店「パルマズ」がオープンしたのは、ツェランの12歳の誕生日が過ぎてから少しした頃のことだった。

 家事奴隷を増員してからすぐに、ゴレフス商会の隣の土地をツェランは買収して、パルマズの建設に着手、奴隷を更に10人増員して、建物完成後、3ヶ月をかけてオペレーション訓練を行った。


 パルマズはたちまち評判になった。


「シェフはギフテッドかね?」


 なんと、ニエンニム辺境伯爵が執事のアトリーを伴って、お忍びでやって来たのだった。ツェランと会うのはおおよそ1年振りである。

 ニエンニム辺境伯爵の長男は既に成人して、儀礼称号としてザルツシュタット伯爵を名乗っているので、ニエンニム辺境伯爵は爵位だけは維持しながらも引退して、運営はすべてザルツシュタット伯爵に委ねている。

 参勤交代の義務もザルツシュタット伯爵に移っているので、ニエンニム辺境伯爵はずっとニエンニム辺境伯爵領に留まっていた。


「いえ、そう言う訳ではありません、閣下」


 当然、応対しているのはオーナーであるツェランである。

 パルマズには、VIP用の個室があるのをアトリーが事前にリサーチしていて、そちらの利用を前提として、辺境伯爵はお忍びでやって来たのである。


「ウェイターやウェイトレスの躾も行き届いている」


 ニエンニム辺境伯爵はそう言った。


「カマンダラ商会で研修を受けさせました。まだまだですが、お褒めいただけるとすれば、それは商人ギルドのギルドマスター、アランコル・カマンダラのお陰です」

「おまえは年若なのに先輩をたてて気苦労が絶えないな」


 ワインを揺らしながら、辺境伯爵は笑った。


「ところで、この料理人、本当にギフテッドではないのかね?」

「違います。料理をご堪能いただけたのであれば、それは当人の努力のなせる業です」

「ふむ。人材は人材を呼ぶか。ところで、出されていた魚料理だが、あれは川魚ではないな」

「…」

「エリューシオン王国は内陸国だ。ベーゼルンデ海につながる沿岸部は、敵国アドリアナ共和国が抑えている。海の魚は手に入らない」

「…」

「おまえはギフテッドだね、ニエンニムシュトルツ」

「…」

「探させはしたが、人参を栽培している農家は見つからなかった。私はおそらくおまえのギフテッドは、亜空間での農産物栽培ではないかと睨んでいた。だが、単純にそういうわけでもなさそうだ」

「…」

「別に言葉だけではおまえが信じられないのも無理はないが、私としてはおまえを尊重している。どうこう干渉するつもりもない。逃げられては元も子もないからな。おまえは優しい子だね、ニエンニムシュトルツ。とにかく私に美味しい物を食べて欲しかったのだろう。ああ、堪能したよ。間違いなくうちのシェフの料理よりは旨かった。ただ、それも希少な食材があればこそ、だ。

 ベーゼルンデ海のマグロ、東方からもたらされる胡椒、ミスルの乳樹。今はどれもエリューシオンでは手に入らないものばかりだ。たいていの貴族は、その正体も分からず、ただ旨かったとしか思わんだろうね。だがね、私は老人だ、ニエンニムシュトルツ。私が若い時にはまだ、アドリアナ共和国とは国交があり、私は外交官としてアドリアナに赴任していた。

 これらはアドリアナ料理だ。アドリアナから食材を手に入れること自体が今は至難の業だ。しかも新鮮なまま、この辺境にまで持ってくることは並大抵のことでは出来ない。すまないね、ニエンニムシュトルツ。

 私もおまえがアドリアナ共和国と通じているとは思わないが、エリューシオン王国に忠誠を誓う貴族として、もう、おまえの恩恵グレイスを知らずに済ませると言う選択はとれなくなってしまった」


 ニエンニム辺境伯爵は変わらず穏やかな笑みを浮かべるのだった。

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