第5話 11歳

 冬が来る頃に、ツェランは11歳の誕生日を迎えた。自分の誕生日は覚えていないが、悲しいかな、10歳の時に二点転移門設置の恩恵グレイスを授かった日と、ドンルとゴレフスが死んだ日は同じ日だった。つまり、ドンルの命日=ゴレフスの命日=ツェランの誕生日なのである。

 ツェランはその日は休業日にして、統一神教会のニエンニム教会で、大規模な祈念ミサを上げて貰った。故人と親しかった者たちが教会に集まり、テデウムを歌い、教会に1000万エキュを、孤児院に100万エキュを寄付し、参列者に10万エキュをお車代として配った。

 ドンルに関しては、親しい人もいなかったので、追善ミサとは言っても名ばかりだったが、ゴレフスに関しては「実の子でもなかなかここまではしてくれない」と言うことで、それを狙ったわけではないが、ツェランは親孝行者だと言う評判が高まった。

 なお、これを機に、ドンルの遺骸は薪売り小屋の墓から、ニエンニム市内の墓に移されて、豪壮な墓が建てられた。


 実は、王都での椎茸の売上が、月30万本を越え、そちらの上がりが、月7億5000万エキュにもなる。それがもう3ヶ月続いている。

 つまり、ツェランの資産は24億エキュに達している。今後も売上は増えることはあっても減ることはないだろう。

 椎茸は食材だから、いくら安くても、消費されるには限度がある。しかし、これは商人ギルドも把握していなかったのだが、薬師ギルドから大量発注がかかったことで別途の利用方法があることが判明した。

 上級ポーションを製造するには、きえさりそうと言う稀少な薬草が必要になるのだが、このきえさりそうが著しく入手が困難である。しかし椎茸をおおよそ100本煮詰めてそのエキスを濃縮することで、きえさりそうの代替品になることが判明した。

 判明した、と言うか薬師ギルドは以前から承知していたのだが、そもそも椎茸も100本入手するのが困難だった。

 椎茸の大量納品で、素材自体は確保できるとは言っても、上級ポーションの価格が300万エキュを越える超高額であるには違いは無いのだが、それでもある程度の数を製造することが可能になる。

 例えば腕を斬り下ろされた人も、上級ポーションを20本は患部にかければほぼ再生可能なのだが、以前は価格の問題もさることながら、20本もたった1人のためには回せないと言う事情があり、あきらめざるを得ない者が多数いた。

 しかし今後はとにかく価格の問題だけになる。


 薬師ギルドの上級ポーション量産体制が整えば、椎茸の需要は更に上昇することが見込まれる。


 ツェランが毎月7億5000万エキュを稼いでいるならば、王都商人ギルドは手数料だけで6億エキュを稼いでいることになり、ツェランの担当になったロイドは、商人ギルドに大貢献したと言うことで、6人いる副ギルドマスターの1人に抜擢された。彼が権力を持てばおのずとツェランの影響力も強まる。


 とにかくそう言う訳であるから、追善ミサで多少の散財をしたところで、ツェランの資産的には微々たる負担であり、むしろドンルとゴレフスには申し訳ないなあとツェランは個人的には思っているところ、親孝行だな!と評判が高まれば利用したようで申し訳ない気がするのである。


 この1年、商人ギルドが集める寄付金では、出し惜しみせず、必ず100万エキュ以上の寄付を続けていたツェランは、ニエンニムの商人ギルド内でも、それなりの評判を勝ち取っていた。

 ニエンニムの夏祭りは商人ギルドが主催するのだが、今年の夏はツェランの負担のおかげで高名な吟遊詩人を何組も呼ぶことが出来て大盛り上がりだった。年齢的にツェランは、ニエンニム商人ギルドの役員にはまだなれないが、このまま順調に15歳になれば、ほぼ自動的に役員に選ばれるだろう。


 そう言うこともあって、商人ギルドを介して、領主のニエンニム辺境伯爵からツェランに召集がかかった。


「案ずるでない、朗報よ。おまえは人参の販売でニエンニム経済に貢献している。以前から、辺境伯爵様からは大事な人材を商人ギルドで守れとのお言葉があったが、おまえも10歳、調子にのらんとも限らんでの、敢えて伝えておらなんだ」


 商人ギルドにツェランを呼び出して、そう言ったのはニエンニム商人ギルドのギルドマスターの、アランコル・カマンダラである。アランコルはその名の通り、姓持ちの大商人で、5代続くカマンダラ商会の会頭だった。


「このたびの追善ミサには辺境伯爵様はいたく感じ入りでな、これまでの功績もあることから、おまえには姓が下賜されることになった」

「俺に姓ですか!?」


 ツェランは腰を抜かさんばかりに驚いた。


「形式上は謁見の儀で、辺境伯爵様から下される形になるが希望があればそれが通る。明後日の朝もう一度ここへ来い。辺境伯爵様にお伝えする。それまでに希望の姓を決めるがよかろう」

「光栄ですが…姓と言われても、学が無い俺には思いつきません」

「学が無ければあれだけの商売は出来んだろうが…まあ、そうよの、歴史とかそう言うのはまた別かの。謁見の儀には私も同席するから心配するな。ただ言葉遣いだけは"俺"は駄目だぞ。"私"にしろ。いい機会だからこれを機に"私"と普段から言うようにした方がいいだろう。おまえもこれからはニエンニムも代表する大商人になるのだからな。

 姓の方は普通は商会の初代の名をとる。私の場合は初代の名がカマンダラだったからの、アランコル・カマンダラだ。しかしおまえの場合はゴレフスとは血縁はないからの。ドンルでもよし、ゴレフスでもよし。思いつかないなら、辺境伯爵様に決めて貰ってもよし」

「うう…考えてみます」


 その日は商会に戻り、次の日もキンバたちにも相談しながら考えてみたのだが、これと言う考えが思いつかなかった。こういうことで、相談できそうな人は、1人しかいない。

 キンバを護衛に連れて、ツェランは王都に赴き、ロイドに緊急面談の時間を取って貰った。


「なるほど、ツェラン殿は、ドンルを姓にしたらゴレフスさんに申し訳が立たないし、ゴレフスを姓にしたらドンルさんに申し訳が無いと、そうお思いなんですね?」

「そうなんです、どうしたらいいでしょうか」


 ロイドには先々月くらいに、ツェランの恩恵グレイスの詳細を教えた。ロイドは驚いてはいたが、守秘義務厳守を誓ってくれた。今後も何か珍しいものを栽培して供給するつもりなので、王都商人ギルド側にも理解者が必要なのである。

 何を供給したらどういう影響が出るか、どういう形で供給するのがベストなのか、ロイドがツェランの希望を聞いたうえでよしなに判断してくれるようになっている。


「2つ解決方法があります、1つはツェラン殿の心理的負荷は解消しますがおすすめしません。もう1つはひょっとしたら負荷は増えるかもしれませんが今後のことを思えばこちらがおすすめです」

「なんでしょうか」


 ロイドから説明を受けたツェランは、考えたうえで、ロイドの言うおすすめの方を採用することにしたのだった。


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「商人ツェラン!これへ」

「はっ!」


 ニエンニム辺境伯爵ヴィルヘルム・フォン・グナイゼナウは坐っている貴座から、太く低い声を発した。


 同席していたアランコルに背を押されて、教えられていた作法通りに、2歩進んで1歩下がると言う貴人に対する「躊躇い歩き」をしながら、辺境伯爵に近づいていくツェランだった。


「11歳と言うことだが、幼いの」

「私のような身分卑しい若輩者がご尊顔を拝し奉り恐懼のいたりです」

「よく練習したな。アランコルに苛められたか」


 ヴィルヘルムは、楽し気にくっくと笑えば、アランコルは不本意そうに小さな咳をした。


「おまえの境遇はおおよそアランコルから聞いておる。5歳の時に孤児となり、亡きゴレフスの助けがあったとはいえ、よくぞ腐ることもなくここまで励んでくれた。我がニエンニム領の誇りである」


 思わぬ言葉だった。何かを言わなければならない。ツェランはそう思った。


「あ…りがた…き」


 でも声にはならなかった。今まで生きて来て辛いことがなかったはずがない。たった1人で父ドンルの遺骸を埋めたこと。ニエンニムの町へと歩きながら不安と悲しみで押しつぶされそうだったこと。店番するか?とのゴレフスの何気ない言葉がどれだけ救いになったか。

 ツェランは涙を流していた。


 すでに老境のニエンニム辺境伯爵ヴィルヘルムは、優しく頷きながら、そっと立ち上がった。そしてツェランの頭をそっと撫でる。


「すまぬの、すまぬの。おまえのような境遇の子が出ないようにするのが私の務めなのだが、この年齢になってもまだ力が及ばぬ」

「ニエンニムは…いい町です」


 ツェランは心から言う。王都行きの途中いろんな町や領地を見た。

 地元びいきで言うわけではない。ニエンニムほど町の人々が幸せそうな町はそうな無い。それは、きっと領主であるニエンニム辺境伯爵の力なのだ。


「ありがとう」


 そう言って、ヴィルヘルムは持っていたハンカチでツェランの涙を拭ってやると、再び貴座に着座した。


「商人ツェラン。その功績に鑑み、ニエンニム辺境伯爵ヴィルヘルム・フォン・グナイゼナウの名において、姓を下賜する。今後はニエンニムシュトルツ(ニエンニムの誇り)を姓とせよ!」


 こうして謁見の儀は終わった。

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