第13話 仲直りとスタンプ

『――はーん、なるほどねえ……』


「……どう思う?」


 事のあらましを聞き、ひとり納得した様子のリッタに、ミーアは恐る恐る問いかける。


 すると、


『たぶんそれ、十中八九ミーアの勘違いだと思うよ』


 あっけらかんと、そんな答が返ってくる。


「……嘘」


『だって、ミーアは天使バレするようなこと何もしてないし。男の子と目が合って、天使だって言われただけなんでしょ?あー、やっぱりわたしが思ってた通り――いや、恐れてた通りのことが起きちゃったかあ』


 リッタの含みのある物言いに、ミーアは「どういうこと?」と少しじれったくなる。


 ただ、リッタはそんなミーアを意に介さない。そして、


『いい?ミーアよく聞いて?これから話すのは、わたしたち女の子の天使にとってとても大切なことです』


 そんなふうに仰々しい前置きをして、しれっとこんなことを言ってのけた。


『人間は自分の理解を超えてかわいい女の子を見たときに、その子のかわいさを言い表すのにも《天使》という言葉を使うことがあります。――はい、分かりましたか?』


「………………え?」


 誰もいない路地に、微かに口から漏れた声がさまよう。

 言われたことがすんなり頭に入ってこなくて、スマホを耳元に近づけた姿勢のまま、ミーアはその場に固まってしまう。


 リッタは今、なんて言ったのか?

 今日のわたしは、どうも理解力に欠けている。


『聞こえてる〜?つまりだよ?ミーアは、その男の子にめっちゃかわいい子って思われただけって話。やっぱ、人間の目にもミーアは美少女に映るんだな〜。これは先々、いろいろな懸念が出てくる気が――』


「ちょっと待って!ちょっと待って!」


 今度はミーアが急いで話を止める。

 理解が全く、追いついていない。


「その話、本当……?」


『ここで嘘ついてどうするのさ?』


「でも、じゃあ天印は?熱くなったのは、勘違いじゃないと思うんだけど……」


『うん。ミーアがそう言うならそうなんだろうけど、現にまだ強制送還は行われてないじゃん。時間もだいぶ経ってるし、やっぱり感知はされなかったって考えるのが妥当でしょ』


 じゃあ、最初から全部わたしの勘違い?

 だとしたらわたし、なんて間抜けな。


 ――いやでも、まだ油断はできない。


 実はもう、わたしたち以外の実習生の送還は始まってるのでは。

 気を取り直したところで、気付いたら天界に、なんてことがあるのでは。

 仮に今は感知されてはなかったとしても、これから感知されることがあるのでは。


 リッタが言っていることに嘘はないように思えるけれど。

 もちろん、親友がこんな時に嘘をつくなんて思ってないけれど。


 心配性なミーアの胸の内には、次から次へと言いたいことが溢れてくる。


 というか、そうだ。

 言いたいことで思い出したけど、そもそも真っ先に言うべきことが、ひとつあった。


「……わかった。……まだちょっと信じられないけど、今回の件がリッタの言う通りだとして」


『うん』


「どうして、そのことを前もって言ってくれなかったの……!」


 絞り出すように、責め立てるように、スピーカーに向かい小さく叫ぶ。


 そうなのだ。

 ミーアにしてみれば、リッタはなぜそんな大事なことを教えてくれなかったのか、という話なのだ。


 ミーアはもう知ってると思って、という言い分もあるかもしれないが、知っていることを見越しても、改めて共有していいレベルの案件のように思える。


 自分の無知を恥じて済ませることができたら、大人な対応なのだろう。

 それでも今回は、リッタを責めたくなってしまう気持ちが、声に滲んでしまう。


 それを感じ取ったのか、スピーカーの向こう。

 リッタが少しだけ、ムスッとしたような気がした。


 そして少しご機嫌ななめな声音で、


『だって、昨日までの雰囲気でミーアに、「ミーアはめちゃめちゃ可愛いから、人間の――特に男の子からは《天使》って言われることがあるかもよ!一目惚れされちゃうかもね〜」なんて言ったら、また機嫌悪くすると思ったから』


 そうとだけ、言った。


「………………」


 ミーアはそれに、思わず押し黙る。

 言わずもがな、図星ゆえ、である。


『……ほら!やっぱそうじゃん!だから言いたくなかったの!』


「――ッ!でも、だったら!言い方とか、あるでしょ!」


『じゃあなに?こっちが気を遣って、ミーアの気に障らないように上手く伝えろって?なんでわざわざそこまで!』


「気を遣うまでもなく出来るでしょ!人間が使う《天使》にはそういう意味もあるって言うだけなら!」


 そう言い合ってお互い、見えない視線を交錯させる。

 1週間ぶりの言い合いは、人間界でのスピーカー越し。


 そう、人間界の。

 まだよくわけの分からないスマホという機械の、スピーカー越し。


 それを意識した途端、ミーアはなんだか気が抜けてしまう。

 それにつられてか、リッタの方からもほこを収める気配を感じ取る。


 そのまましばらく、ふたりして無言の時間が流れ。


 あのさ、とリッタが先に口を開いた。


 そして、


『ごめん』


 と短く、先ほどとは打って変わって棘のない声でそう言った。

 それから、ぽつりぽつりと喋り始める。


『ミーアから電話がかかってきたとき、ああやっとか、って思ったんだ。やっと謝ってくれる気になったのかって』


『でも、なんか様子が違くて。そしたら、すごく切羽詰まった声で時間がないからなんて言うから、なにかよくないことが起きたんじゃないかって、……すごく不安になった』


『まあ結局、この様子だと今回は何もなく済みそうだけどさ』


『ミーアはたぶんきっと、すごく不安な想い、したんだよね?で、少なくともわたしがちゃんと《天使》の意味を伝えていれば、そんな想いをしなかったはずで』


『それに、ネッキーの言う通りだったなーって。助け合える天使が近くにいるってのは馬鹿にならねえから、早く仲直りしとけってやつ。そしたら、こんなことにはなってなかった』


『だから、ごめん。あの時のことも、今回のことも。変に意地はって、ぎくしゃくしてる場合じゃなかった』


『これからはさ、ミーアを不安にさせるような真似はもうしない。何かあったらちゃんと言う。ミーアが多少嫌がっても、図々しくサポートしてくから』


 実習が無事に終わる日を、必ず一緒に迎えようよ。


 そう言って、リッタは話を終える。


 自分から謝ってくれて、励ましの言葉もくれて。

 そしたらもう、こういう時にミーアが言うことなんて、昔から決まっている。


「わたしも、ごめん」


 そうだ。こうやって、何度となく仲直りしてきた。


「あの時もっと、リッタの言うことに耳を傾けてれば、こんな思いしなくて済んだよね……。自分の考えも、やっぱり甘かった……。うん、だから、これからはその図々しいサポートのお世話になるかも……。まあ、食費管理してあげてるんだから、それくらいはしてもらわないとね」


『それな〜。いや、ほんと助かってるよ〜。すでに食費預けといて正解だったと痛感してるところ』


「……ねえ、この1週間でいくら使ったの?」


『………………』


「わたしを不安にさせる真似もしないし、何かあったらちゃんと言うんじゃなかったの?」


『……あ、そうだ〜。ゴミ出ししてから、朝のランニングに行こうと思ってたんだ〜。じゃあ、ミーアまたそのうち――』


「嘘。どうせこれから寝るつもりだったんでしょ?この調子だと、食費以外も管理しなきゃダメ?」


『す、すいませんでしたーッ!初めての人間界で、ちょっと浮かれちゃっただけなんです!今日から倹約生活に突入しますから、お目こぼしを〜!』


「はぁ……」


 もうこの子は、とため息ひとつ。


 でも、気づけばいつもの馬鹿みたいなやりとりに、心が軽くなっていた。

 それは、さっきまででは、まるで考えられなかったことで。

 やっぱりこうやってリッタと自然に話ができるのは、自分にとってすごく大きなことだと、ミーアは改めて実感する。


 たった1週間の仲違なかたがい。

 それでも、今回はやけに長く感じた。

 初めてのことばかりで、戸惑うことばかりだったこの日々においては、とても長く。


『あ、そうだミーア』


 思い出したように、リッタが言う。

 その声のトーンは仲違いする前の、ちょっとおちゃらけたような、いつものリッタの調子。


『あのさ、こっちから電話かけたり、メッセージ送ったりしてもいい?』


「それは、いいけど」


 少しだけ唐突に思えた話に、ミーアは首を傾げる。

 リッタは「それなら良かった」と、話を続ける。


『たぶんミーアはさ、まだ天使バレのこと不安っしょ?心配性だから、学校行ってる間は絶対そうだし、なんなら家に帰ってからも』


 リッタの言うことは、その通り。

 正直なところ、まだ不安が残っていて。

 特に外で過ごすときは、警戒するに越したことはないと思っている。


『だからさ、不安ばかり感じないように、空いた時間はこのリッタちゃんがミーアの相手をしてあげようってわけ』


 ふふん、と、小さな体をふんぞり返している姿が、目に浮かぶようだった。

 ミーアは、リッタのその言葉に――その遠まわしの優しさに、顔をほころばす。


「逆でしょ?リッタが空いた時間で無駄なお金を使わないように、わたしが相手してあげるの」


『お金の話はもうやめて?』


「ちなみに、わたしとお話しするには料金がかかります」


『キャバクラかよお!お金ないんだって!』


「きゃばくら?」


『……えーと、まあ?いずれミーアも知る時が、くるかも?』


 そうやって、ふたりは本来の調子を取り戻して。

 ふと、リッタが「そういえば」と切り出した。


『こんなふうに話しちゃってるけど、時間大丈夫?』


「時間?――あっ」


 スマホを覗くと、始業時間が迫ってきていた。

 ミーアは慌てて立ち上がり、リッタに返す。


「ごめん、もう行かないと間に合わなそう。電話、切るね。じゃあまた」


『はいは〜い。またね〜』


 スマホをいったん鞄の上に起き、スカートのお尻の部分を手で払う。

 立った拍子にはらりと落ちたハンカチも拾い上げる。

 膝が赤くすり切れてしまっているけど、持っている絆創膏で傷は隠せそうだ。


 準備を整え、鞄を持とうとする。すると、スマホからピロンと音が鳴った。

 そうだ、音も消さなきゃいけないんだ、とスマホを手に取ると、リッタからのメッセージが一件。


 トーク画面を開くと、


「なにこのスタンプ……。わたしまだ持ってないんだけど」


 アニメのキャラクターと思われるイラスト。

 そしてその上には『いってらっしゃい』の文字。


「こういうの買っちゃうから、お金なくなるんでしょ」


 そう呟きながらも、じんわりと、胸があたたかくなるのを感じる。

 セトが亡くなって以来、その言葉をかけてもらうことは、もうなかったから。


 目の前を、同じ制服を着た少女が自転車で通り過ぎる。

 ちょうどいい、あの子に付いていけば学校には向かえそうだ。


 スマホをしまい鞄を持ち、ミーアはぱたぱたとかけ足でその後に続く。


 そして、肩にかけた鞄の持ち手をきゅっと握りしめ。


 そのあたたかな気持ちが消えてなくならないよう、いってきますと呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る