第9話 戒めと後生の頼み
ヴァイネッケンを先頭に、ミーアは少しだけ強張った表情で螺旋階段を降りていく。
降り始めてからそれなりに時間が経ったあたりで、かねてから疑問に思ってたことをヴァイネッケンに尋ねた。
「先生。わたしたちの
ヴァイネッケンは振り返らずに、その問いに答える。
「そうだ。お前とシャロ、んでリッタが実習先に希望した人間界の【日本】への移界には俺が立ち会う。一応、3人同時の移界ってのは稀だからな。校内で立ち会いの実績が多い俺が適任となったわけだ」
今回、移界をするのは5人の天使。
しかし、全員が同じ場所で移界するわけではなければ、同じ場所に移界するわけでもない。実習生の移界先ごとに部屋が用意され、そこに立ち会いの教師、そして
今回のミーアたちの移界先は【日本】のとある地方都市。【日本】という国こそ実習生に指定できるようになっているが、【日本】の何処かまでは指定できない。その点に関しては、学校側が無作為に選出する。基本的に人口10万以上の街ということになってはいるらしいが。
「そうなんだ〜。でも実績って言っても、立ち会いのとなるとちょっとショボいね」
シャロの明け透けな物言いに、ヴァイネッケンが即座に反応する。
「黙れ小娘。立ち会いはとても重要な仕事だ。腹立たしいことにお前にはそこまで関係ないが、ミーアとリッタがいる今回、俺は重要な任を受けている」
「わたしと、リッタ?」
ミーアが首を傾げる。
「ああ。というのも、お前らは今でこそ魔法をうまく扱えるが、生まれ持った魔力は少ない。まあ、魔力量に関しては実習生なんて押し並べてそんなやつらがほとんどだがな。で、そういう天使が御使と対峙すると、基本的に意識を長時間保てない」
「えっ?どういうことネッキー?」
「御使が放つ『
「隠しもしないで丸出しね〜」
「変なとこだけ抽出するなアホ」
指摘され、「あっ!」と顔を赤くするシャロ。
どうやら無意識だったらしく「え、えと!違くて!」とジタバタと手を動かしている。ミーアはシャロが【書店員】で何かやらかさないか、今から不安になる
「まあいい、話を戻すがそこで俺の出番というわけだ。魔力の少ない二人には俺が神気から身を守る魔法を展開する。自分の意識もハッキリ保ちつつ、さらに天使二人にの面倒を見てやるというわけだ。それなりの実績がねえと務まらない仕事なんだよ。ちっとは分かったかこの天才痴女!」
「分かったからその呼び方はやめて!天才が痴女にかかってるから!」
顔を真っ赤にして抗議するシャロの隣、ミーアはヴァイネッケンが立ち会いの教師に選ばれた理由に納得する。それと、実習前に最後に会う教師がヴァイネッケンで良かったとも思った。特にこの3人は、選抜の時によくお世話になったから。
と、ふいに遥か上方から遠巻きに何かが聞こえてくる。
顎を上げて、よく耳を澄ませてみると誰かの声で「何これ〜!」と叫んでる気がした。
「リッタだな」
「あはは。いちばん上までは来たみたいだね」
「それはともかく、どれだけ声が大きいのあの子は……」
最上部分にかかっている橋が黒い線にしか見えなくなるまで降りてきたミーアたちに、続けて「嘘じゃん〜!」という絶望の声が降ってくる。
気持ちは分かる。
だって、ここからもまだ続くし、と顔を下げるといつの間にか螺旋階段の終わりがすぐそこに見えていた。「はて?」とミーアは首を傾げ、何が起こったのか思案する。
「あれ?」
シャロも気づいたようで、頭の上にはてなを浮かべている。
そんな様子の二人の疑問にヴァイネッケンが答えた。
「幻術だよ。お前らにはこの螺旋階段が永遠に続くように見えていたかもしれないが、階段はここで終わりだ」
「幻術?……なんでそんなことを?」
ミーアが少し訝しみながら問う。シャロが見破れないほどの強力な幻術。秘匿事項かもと、教えてくれない可能性も考えたが、ヴァイネッケンは言葉を濁す素振りも見せず、二人にこんな質問をした。
「お前ら、この螺旋階段を最初見た時にどう思った?」
ミーアとシャロは「どうって……」と顔を見合わせる。ややあって、ミーアが先にその時思ったことを素直に話した。
「この階段どこまで続くんだろう、って」
「だろうな」
短い相槌。そしてこう続けた。
「じゃあ、実習生の選抜が始まった時どう思った?もしかしなくても、こう思ったんじゃねえのか。この苦行いつまで続くんだろう、って」
その言葉に、ミーアは頷く。
あの時感じた、先の見えない不安が少しずつ思い出される。覚悟はしていたが、厳しい道のりであることを知ったあの時の不安を。
「実習生ってのはその多くが、無事に選抜を乗り切った時点で安心し切っている。実習自体はゆるいから、もう実習が済んだ気でいる。これはそんな奴らを初心に返し、もう一度緊張感を持ってもらうための――」
――戒めだ。それと
ヴァイネッケンは至極真剣な顔でそう言った。
ミーアとシャロは黙ってそれを聞いている。やがて、シャロが
「なんだ、ネッキーもたまには先生っぽいことするんだね。これ、ネッキーの魔法でしょ?あたしにも見破れないなんて、なかなかやるじゃん」
「お褒めに預かり光栄だよ。それと、俺はいつも教師らしいだろうが。常にお前らのことを考えてんだ。選抜の時、散々面倒見てやったのを忘れたのかこの野郎。分かったらさっさと移界を執り行う部屋まで行くぞ。俺はこんな堅苦しい服早く脱ぎ捨てて、帰って賭けポーカーがしてえんだよ」
そう言うと、階段が終わった箇所から伸びる回廊を先に進んで行ってしまう。
見え透いた照れ隠しにミーアも微笑を浮かべる。そしてその後に続こうとして、
「あー!長いー!いつ終わんのこの階段ー!わたしは早く移界して遊び倒したいんじゃ〜!」
上方から、初心を忘れた愚者の叫びが耳に届く。
どうやら走って階段を降りているらしく、その声は先ほどよりも近くに聞こえた。
ミーアたちは3人で顔を見合わせ、同時にやれやれと苦笑いを浮かべる。
「ハァ――ったく、俺はもう一回この話をしないとダメみたいだな」
ヴァイネッケンは大きなため息をつき、整えられた髪を呆れつつガシガシと掻いた。
御使のもと移界が執り行われる部屋というのは、想像していたよりも平凡なものだった。言ってしまえば、古びれた教室のようなもの。地下にあるので窓こそないが、黒板と教壇、そして机と椅子がある様子はどこか見慣れた風景だ。ただ、机と椅子は最前列に並べられた3人分だけ。そこから後ろには何も置かれていない。しかしそれは、意図的にそうされたようにも見える。
15分程前にヴァイネッケンに先導されるかたちでここに到着したミーアとシャロは、魔法によって暖められた室内で束の間の休息をとっていた。予め教師によって用意されていた軽食やコーヒーなどに口をつけホッと息をついていると、
―――ドタドタドタドタッ、と部屋に向かって誰かが走ってくる音が聞こえ、音が止まった拍子にガラッと部屋の扉が開き、
「ゼェ……ハァ……!もー!なんなのさ、あのかいでゃっ、ゴホッゲッホ……!?か・い・だ・んっ!絶対あの長さである意味ないでしょ!ハァ……!最後の幻術も腹立つし〜!あれも意味わからんけど、きっとどっかのへそ曲りの独りよがりなこだわりって気がする!フゥ……!で、それを説明させると真顔でそこに込めた教訓とか語っちゃうとこまで見える!香ばしくてやってらないね!早くわたしを移界させたまえ!ユートピアはもうすぐそこなのに!」
ありったけの不平と不満と願望を垂れ流しながら、リッタが肩で息を切らしながら入場。やがて、遅れて回廊から聞こえてくる苦しそうな息遣いと、足取りの重いステップはリッタの引率を任されたザガースキーのものか。途中から聞こえなくなったので、力尽きた可能性が高い。
「ねえネッキー。何も言い返さなくていいの?」
「……別にいい。あいつにつける薬はもうねえ」
死んだ魚のような目で諦観するヴァイネッケン。いつもの豪快さはすっかり影を潜めている。リッタはそれに気付き「おっ」と声をあげた。
「ネッキーじゃないの。もしかして立ち会いの教師って?」
「俺だ。ところでリッタ、いろいろと不問にしてやるからこれだけは守ってくれ」
「不問?わたし何かしたっぺか……?ちなみに、これだけっていうのは?」
「御使の前で粗相をしないことだ」
「大丈夫さ〜。ここまできてネッキーの肩を落とすようなことはしないって〜」
「…………」
「んえ?何その含みのある沈黙は」
「……なんでもねえよ。そんなことより、大切な仲間への挨拶くらい済ませとけ」
ヴァイネッケンはリッタの両肩を掴み、ミーアとシャロがいる方に向き直させる。リッタは思い出したように二人の目を見た。
「シャロおはよー。あとえっと、ミーアも、おはよ」
「おはよっ!」
「あ、うん……おはよう」
シャロの元気な返事の後の、ミーアの返事のぎこちなさたるや。
そしてそれを、付き合いの長いヴァイネッケンが見逃すわけがなく。
「んだよお前ら、ケンカしたのか?」
思わずビクッとし、ミーアとリッタはイエスともノーとも言わずにただただ視線を彷徨わせる。それを見て「ったく」と一言、ヴァイネッケンは二人に向き合う。
「今すぐとは言わねえが、早めに仲直りしとけよ。
それはミーアも知っていた。それだけに、どこかで謝らなくてはいけないんだろうが、自分の非をまだ認められていない以上どうしても自分から、というわけにはいかないのだ。
それはリッタも同様か、ヴァイネッケンに肩を掴まれたまま口を引き結んでいる。
雪解けはまだ、どうやら遠そうだ。
「さて、3人揃ったことだしそろそろ最終確認を始めるか。お前らは席につけ」
ヴァイネッケンはそう言うと開いていた扉を閉め、教壇に置いてあった鞄から紙を数枚取り出し手に取った。3人は手近にあった椅子を手に取り、ミーアが右端、シャロが真ん中、リッタが左端の机に座る。
「まずは、人間界で使用する名前の確認だ。各々希望を出していると思うが、ってミーアとシャロは最初に用意された名前から変更してねえのかこれ?」
「はい」
「そうだよ!なんかちょっと可愛くて気に入っちゃった!」
「ミーアが【
「そのままで大丈夫です」
「あたしもそれでOK!」
ヴァイネッケンは「了解」と、手元の紙に何やら記述している。記録を残し、後で提出するのかもしれない。
「で、リッタの希望がコレか。変更希望は?」
「ないさ〜」
「もう一度聞いてやる。変更希望は?」
「だからないさ〜」
「じゃあ、お前は
「そうよ」
「……分かった」
今度は苦虫を噛み潰したような表情でペンを動かすヴァイネッケン。
何かの拍子でリッタの名前を使わないといけない事態を想像し、ミーアも顔が曇る。
「じゃあ次は容姿についてだ。覚えていると思うが、髪や瞳の色が変更できる。誰か希望者はいるか?」
実習生の容姿は、移界先によっては極端に目立ってしまう場合がある。容姿の変更はそういった事態を避けるための措置として受け付けられるのだ。毎年結構な実習生が移界先に合わせた容姿に調整するらしいが、無論、整形まではできない。
今回の3人の移界先は【日本】。そこでは、学生は主に黒髪だと聞く。それでも、ヴァイネッケンの問いかけに手を挙げるものはいなかった。皆、変えるつもりがないのだ。
特にミーアには、絶対に変えないという極めて固い意志があった。
それは、誇りのため。ミーアの家系が継いできた『自らの腕をあげ、魔力の少ないものを導く』という気高い思想は、その銀髪とともに脈々と受け継がれてきた。その思想を忘れないためにも、絶やさないためにも――。
「んじゃ、お前らは全員【日本人】以外の血が混ざってると言うことでいいか?そうすると、説明に困ることも少ないだろうしな」
「はい」「オッケー!」「あいよー」と各々異論がないことを表明する。
「そしたら住居と生活費について改めて説明だ」
次に、人間界での生活に関わる重要な話がやってくる。前にも説明は受けているのだが、一部にわかに信じがたい話があったので、ミーアはこの際にその真偽を確かめようと思っていた。
ヴァイネッケンの話は、早速そこに及ぶ。
「住居は【マンション】と呼ばれる集合住宅の一室が一人ずつに充てがわれ、毎月の生活費には【50万円】が支給されるよう、既に最天上から人間界に干渉が行われている。ちなみに居住費はもう払われているから、生活費から差し引かれることもない」
それを聞きシャロとリッタが「ヒャホー!」と露骨に喜ぶ。
やはり、そういうことで間違っていないらしい。けど、それにしても何で。
「その【50万】という金額は、一学生が毎月手にするには大きすぎる額だと思うんですけど、どういう考えでそのように?」
「さあな。それについては俺も同感だが、そこら辺はもう最天上の裁量だ。俺みたいな一介の教師に知る由はねえ。ただな。ここで俺は、ミーア――お前に一つ言っておかないといけないことがある」
「わた、しに……?」
「ああ、大事な話だ。よく聞け」
その顔は今日一番の剣幕。選抜の時もなかなか見せなかった顔に、ミーア思わずたじろぐ。そのままミーアを見つめることたっぷり7秒。ヴァイネッケンは沈痛な面持ちで口を開いた。
「シャロとリッタの破産は、お前が食い止めろ」
「えー!何それー!リッタはともかくあたしまで!?」
「賭け狂いには言われたくねー!」
「うるせえ黙れ!これでも俺は教師だ!お前らのことはよく分かってる!まずシャロ!はっきり言ってお前は金に関してはズボラだ!稀代の天才としてこの歳から色々と仕事をもらってるらしいが、それで稼いだ金、どこにいくら消えたか覚えてるか?」
「え、えーと、魔導書とかに結構。あと美味しいものにも、割と」
左手で髪をくるくるしながら、斜め下を向いて口をもごもごさせるシャロ。都合が悪くなった時の癖だ。
「言えねえんだろ額が。ざっくりとでも。それに稼いでる額が額なだけに金銭感覚も狂ってるはずだ。火を見るよりも明らかに要注意だろうが」
「はい、気をつけます……」
あっけない降参を、少しだけ気の毒な気持ちで見届ける。
そしてその勢いで、
「そしてリッタ!お前はアレだ、もう――全部ダメだ」
「全部ダメ!?」
「ああ全部だ。何がとは言わん。全部だ」
「救いようがないのでは!?」
「そうだお前は救いようがねえ!だからミーアに見張っててもらえ。なんなら金預けとけ」
「そこまで!?」
「何も全額じゃなくていい。食う分だけでもミーアに預けとけ。じゃないとお前あっちで死ぬぞ?シャロもそれでいいんじゃないか?ミーア、これは後生の頼みだ。こいつらを救ってやってくれ」
頭を下げるヴァイネッケン。
初めて見た、と思いながらもミーアの意思はもう決まっていた。
「分かりました。毎月二人の食費はわたしの預かりにします」
これに関しては絶対的にヴァイネッケンが正しい。日を追うごとに二人の食事が徐々に質素になっていくことを想像するのは、造作もない。
「感謝する」
「いえ、当然のことなので」
「ハァ……、あたしのお金。……まあでも、正直ちょっと安心かな」
「せんせーい。ミーアが横領する可能性は考えないんですか?」
「そうだな。リッタが貨幣を偽造する可能性は考えている」
「「分かる」」
「みんな酷い!」
最後のダメ押しに、さすがのリッタもちょっと涙目に。机に乗り上がり、宿敵の髭をを思いっきり引っ張った。「痛えやめろ!」「この抜いた髭でナイフを錬金してお前を刺す!」「そんな魔法使えねえだろ見栄っ張り!」「シャロに教えてもらう〜!」「教えないし知りません!てかここ、禁足領域じゃないの?」
そうやってくだらなくも真剣なやり取りを横目に、ミーアはフッと息をついた。
なんだかんだでいつも通りの様子に、せっかく引き締めた気持ちもまた解けていってしまう。格好つけて緊張感を演出した割に、すぐそれをかき消してしまうヴァイネッケンもそこに関して言えば教師として落第だ。
そんなことを思いつつ、ふと目線を後ろにずらした時――――。
ミーアはそこにそれを見つける。
「――――ッ!」
刹那、かつて感じだことのないような悪寒がミーアの全身を下から舐め上げた。
額から汗が吹き出し、その場で身体が小刻みに震える。
後ろではガシャンッ!という大きな音。
リッタが机から落ちたのか、なんなのか。
ミーアの隣に来てその肩を抱いてくれるシャロだけが、気丈にそれを見据える。
唐突なことで理解が追いつかなかったが、この時ばかりは聞き慣れた粗野な声が、背後から心強く響く。
「おーっとぉ!今回も突然のお出ましだなあ!」
「ええ。どこでお邪魔しようかタイミングを見計らっていたのですけど、あまりに楽しそうにしていたので、なかなか難しくて」
その声は凛として、竪琴の調べのように美しいのに、ミーアの鼓膜をゾワリと揺らした。それに目眩を覚えそうになるが、ヴァイネッケンの気炎がその意識を引っ張り上げる。
「そいつは悪かったな!まあ、粗方こっちの準備は整ってるからこのタイミングで問題ねえさ!んじゃ、あとはよろしく頼むぜ御使様よ」
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