第6話 シャロとリッタ

 魔力の強い者同士が結婚をし、魔力の大きい子孫を残していく。

 そういったある種の計略的な営みが天界で繰り返されるのは、生まれ持つ魔力が親の遺伝で決定される以上、必然であった。


 古来より連綿と続くその営みは、結果として天界に極めて強い魔力を有する家系を出現させることとなり、やがてそれらは魔法の名家めいかとして天界にて大きな影響を持つにまで至った。


 その中でもゼラ家は天界有数の魔法の名家だ。

 シンケード教を掲げ、持つ者と持たざる者の調和と共存を目指し、あらゆる天使の自由平等を謳うこの家系は、魔力の少ない天使は言わずもがな、同様の主義主張を掲げる天使からの厚い支持を受けている。


 実際、ゼラ家と似たような思想を持つ名家は他にも存在するが、ちまたで話題に上がるのはもっぱらこのゼラ家であった。それは、現当主ジュリオス・ゼラの求心力の賜物でもあったが、それ以上にその三人兄妹の末っ子シャロン・ゼラの存在に依るところが大きい。


 有史以来の天才。

 シャロンを評する上で、これ以上に正鵠せいこくを得た言葉はない。


 生まれ持った魔力量の膨大さ。

 魔法詠唱時の魔力効率の無駄のなさ。

 魔法詠唱の速さ、そして詠唱破棄可能な魔法の多さ。

 扱える魔法の潤沢さ。

 そして何より、魔法の効果や威力の大きさ。


 何をとっても規格外というのが、このシャロン・ゼラというまだ16歳の少女だった。


 大衆は彼女のことを噂し、有識者はいずれ魔導に大きく寄与するであろう稀代きたいの天才としてかつぎ上げた。


 左様に普段から注目を浴びている彼女であるが、つい先日人間実習の実習生に選ばれたというのだからこれまた外野が騒ぎ出す。その意図は何なのか、将来有望な稀代の天才様に実習は必要ないのではないか、魔法の腕は確かだろうけどあのちょっとアホっぽい見た目の子が座学に秀でてるわけがないからきっと裏金が動いてるのではないか、それよりうちの主人の二日酔いに効く魔法薬を作ってくれないか、等々。


 とにかく巷は「なぜシャロンが人間実習に?」という疑念で溢れかえっているようだった。


 一体なぜ?


 シャロンにしてみれば、街で飛び交うその疑念にわざわざ答える義理などない。けれど、もし答えろと誰かに迫られたらこう素直に答えるつもりだった。


 そんなの、大好きな親友が実習に行くのに付いていきたいからに決まってるじゃん。




「ポレシェー買ってきたよ〜……」


 ギィ、と扉が開くと同時に聞こえてきたどこかぐったりとした親友の声に、ミーアは読んでいた本を閉じ顔を上げた。


「おかえり、シャロ」

「ひえ〜、疲れた〜。お店の前すごい数の天使で溢れかえってたよ〜」


 ここは、魔法の大名家ゼラ家の膨大な敷地を有する屋敷の一室。

 実習前、天界で過ごす最後の夜、ミーアはここで明日から実習を共にする親友二人と小さな集まりを開くことになっていた。


 その一人がシャロン・ゼラ。肩にまで緩くウェーブしてかかる金髪と、純度の高いあおい瞳、そして人懐っこい笑顔が印象的な子だ。愛称はシャロ。天界ではその名を知らぬ者はいないと言われる、有史以来の天才。


 そして、

「遅いぞシャロ〜、ピザ冷めちゃうぞ」

 肌触りのいい薄ピンク色のカーペットの上、シャロのお気に入りのぬいぐるみを枕にそのちんまりとした身体をだらしなく伸ばしてピザを食べている少女がアリエッタ・フランネール。こちらは気怠そうに垂れた瞳とその目元にある泣きぼくろ、そして癖のある赤毛がカールしているのが印象的なミーアのもう一人の親友だ。愛称はリッタ。


 その二人と一緒の三人での集まり。

 シャロは決起会だ!などと意気込んでいるが、いつも通りゆるゆると終わるような気がしている。


 そんなシャロが戻ってきたせいか、部屋は賑々しくなる。


「ねえリッタ!あたしのお気にのぬいぐるみをそんな風に使わないで!クッションがあるでしょ、クッションがあ!」

「だってアレ、ジュリオスおじさんの匂いがするんだもん」

「確かにたまにパパが使ってるけど!オードトワレのいい匂いだと思うんだけど!ていうか、嘘!ピザもうほとんど残ってないじゃん!」


 8切れあった大きなピザは、残りもう一切れになっている。ミーアが2切れ食べ、リッタが4切れ食ベて、もう1切れを今食べている。


「だってシャロが遅いから。そもそも、シャロがポレシェーの予約を忘れてなければこんなことにはなってないのさ〜」

「うぅ、確かにそうかもだけど……」

 リッタのもっともな指摘に、シャロは口ごもる。


 ポレシェーとは、天界で人気のスイーツである。

 人間界でいうところのパンケーキに似ているらしいが、天界のそれはボリュームがありふわふわで、口に入れれば舌の温度で蕩けるような食感の、それはそれは絶品のスイーツ。基本はベリーソースで食べるが、天使によって様々なアレンジがある。


 で、そのポレシェーは基本的には予約をしないと店頭で受け取ることができないほど人気ぶりなのだが、シャロは任されていた予約をすっかり忘れてしまっていたのだ。3人とも明日から向こう一年は実習のため、今日はどうしても食べたいよねと話していただけに諦めることもできず、全責任を持ってシャロが店頭まで買いに行くことになった。予約なしでも買うことができたのは、ゼラの威光のおかげである。


「ちゃんと3人分あるんだろうなお主」

「あるよ。ほら、ちゃんと見て!」


 そう言って開いてみせた紙箱にはちゃんと3人分のポレシェー。

 それを見てミーアも一安心する。


「おー、さすがゼラ家のご息女。予約なしでも3人分!こういうのがあるからシャロとの友達はやめられないね」

「うわーん、酷いよ!家の名前ありきの関係なんて!ミーア〜、リッタが意地悪言うぅ〜!」


 そんないつものようなやり取りの果て、ポレシェーの紙箱を投げ出し、シャロがミーアに目を潤ませながら抱きついてくる。

 紙箱はリッタが急いでキャッチしたが、その拍子に手に持っていたピザがぬいぐるみの顔面に落下し、シャロは余計に涙目になる。


「はいはい、嫌なことは甘いもの食べて忘れよ?」

 ミーアはよしよし、とその頭を幼な子をあやすように撫でる。ただ、撫でながらも、

「ミーア。ずっと視線がポレシェーにいってる」


 早く楽しみを味わいたくて、仕方なくなっていた。




 リッタがローテーブルにポレシェーを並べる。シャロも今はもうピザの口じゃないと言うので、3人はクッションに座り実習前最後のご馳走にありつくことにした。


 互いにナイフとフォークを持ったところでリッタが「あっ」と呟いた。


「どうしたの?」

「そうそう、ポレシェーにはハチミツが合うんだよね〜。さっき買ったんだ。どこやったっけ?」


 そう言うとナイフとフォーク一旦置き、近くにあった紙袋をガサゴソし始める。


「もうソースかかってるじゃん」

 シャロがもう食べようよ、という目でリッタを促す。

「いや!そこにハチミツをかけるのがいいんだなまた!あれ、ずいぶん奥にやっちゃったかな……」


 しかし、リッタはどうもこだわりを抑え切れないらしく紙袋の中にあるであろうハチミツを探し続ける。その際、紙袋から今日買ったであろうものを次々にポレシェーが載っているローテーブルの上に並べてく。歯磨き粉がドンっと置かれたところで、ミーアの眉間にシワがよった。


「ねえリッタ、それやめて」

「んえ?」

「スースーするでしょ」

「開いてないけど?」

「気分の問題なの。わたしは最高の状態で味わいたいの」

「じゃあ、ハチミツ見つけるまで待ってさ。きっとミーアも、」

「リッタ」

「わかったわかった。片付けますー」


 粘るリッタをひと睨み。

 リッタにテーブルの上を片付けさせたところで、3人で「いただきます」をご唱和。


 そして、ナイフとフォークを上手に使い生地に生クリームとソースを程よく絡ませ、最初の一切れを口に運ぶ。


 うん、美味しい。


 そのままもう一口二口と、徐々に止まらなくなっていく。

 それは他の二人も同じなようで、しばらく3人は恍惚とした表情をたたえたまま黙々とポレシェーに舌鼓をうった。


 3分の2を食べ終えたあたりで、そういえば、とシャロが口を開いた。


「もう明日には実習が始まるのに、あたしたち結局誰も恋人ができなかったね……」


 それにリッタが紙袋を再び手元に引き寄せながら応える。


「そうねー。でも、この1年恋人作る暇なんてなかったからねえ」


 恋人の話題。

 べつに、唐突な話というわけでもなかった。それは、人間実習のルールに関係する話でもあるからだ。


『人間に恋をしたら天界へ強制送還』


 これは、全ての実習生に等しく課せられる定め。実習生にとっては、抵触すれば一発退場の厄介なルールだった。そこでいつからか、実習生の間では対策として実習前にあらかじめ天界で恋人を作っておくという風潮が生まれた。恋に落ちる前に恋に落ちておけばいいじゃないという訳だ。実際、惚れた腫れたというのはそんな単純な話ではないと思うのだが、それでもある程度のリスクヘッジにはなると信じられている。


「そもそも、何で人間に恋をしたらダメなんだろうね?」

 シャロが頬杖をつき、ソースのついたフォークをぺろりと舐めて不思議そうにこぼした。その疑問への答えが記憶の中でヒットしたミーアが、ハンカチで口元のクリームを拭って応える。


「昔じいさまから聞いたんだけど、身投げした天使がいるんだって」

「身投げ?」

 シャロが首を傾げる。リッタもハチミツを片手に目をぱちくりさせていた。


「うん。まだ実習のルールがちゃんと整備されていなかった時の話らしいんだけど、人間に恋をした天使が実習が終わって天界に帰ってきてから、身をこがすような離別の苦しみに耐えかねて身投げしたんだって。今のルールはそれを機に作られたみたい」


 ミーアの説明を聞いて二人は「ほえー」と声を合わせる。

 ややあってリッタが、でもさと続ける。


「その点人間はずるない?その年の実習が終わるタイミングで関わった実習生にまつわる記憶は全部消えちゃうんだから」


 その天使が感じたような苦しみなんて最初から感じないんだからさ、と。


 そう、事実、その年の実習が終わる時に人間側の実習生にまつわる記憶は最天上さいてんじょうの神によって全て抹消される。記憶のみならず、写真などの記録も全てがなかったかのように操作されるのだ。


 早い話、人間にとって人間界にやってきた天使は異物にすぎない。本来であれば決して交わることのない世界の住人が、天界側の勝手な都合で紛れ込んでいるのだ。だから天使が人間に及ぼす影響を最終的に微塵も残さないように、そういった干渉が行われる。そうやって一度天使と関わった人間も、それまでの――天使と出会うまでの日常にちゃんと戻っていく。


 でも、それは―――


「でも、それってさ。記憶が残ってるよりも苦しいことなんじゃない?」


 ミーアが言おうとしたことをシャロが引き継いだ。


「だって、全部忘れちゃうんだよ。関わり合う以上、きっといろんな時間を共にするのに、それが全部なくなっちゃう。あたしはそれ、嫌だな……。リッタはそうは思わない?」


「んー、確かに。言われてみればそっかーって感じ。特にミーアの【女子高生】みたいに学生なんかだと、1年近い付き合いになるもんなあ。その記憶が丸々消えちゃうとなると、キツイね」


 それはミーアも同じ想いだった。

 残念ながら今回の実習で人間の学生と深い関係を築く予定はないが、もしシャロとリッタと過ごした1年間が丸々なくなってしまうと考えると、大好きなポレシェーの味も分からなくなりそうだった。


「でもやっぱり、リッタが考えてるみたいに記憶が残るのも辛いけどね……。だって実習が終わったら、人間と天使だから一生会えないんだもん。好きになった気持ち抱えたまま、一生会えない……。うーん、そう考えると切ないなあ……。あたし耐えれるかな?……ん、いや、そうか!魔法で記憶変えちゃえばいいのか!」


「いやいや、記憶操作の魔法は禁術でしょ。ていうか、恋した時点でダメって話でじゃない」


「え、あ、そうだった忘れてた〜。あはは」


 少ししんみりとした空気になったところで、小ボケを入れるシャロ。

 ちなみにである。恐ろしい。

 バレてるかもしれないが、この天才はアホでもある。


 改めて、恋に関するこのルール。

 あるとないとでは確かに違うが、ミーアはそこまで心配していなかった。

 実習先で誰かと深い関係を築こうとは思っていないし、そもそもミーアは異性に対して恋愛感情を抱いたことがなかった。それは、周囲に味方よりも敵と呼べる天使の方が多かったことにも起因するのかもしれないが。


 どちらかというと、ミーアが心配しているのは他のルールで。


「それよりも、わたしは天使バレの方が怖い」


『人間界に送られた実習生のうち、誰かひとりでも人間に天使がいると感知されたら実習生は全員天界に強制送還』


 これもまた、数ある定めのうちのひとつ。通称『天使バレ』

 初めてこの文面を見たとき、ミーアは戦慄した。これこそ一番ヤバイ決まり事ではないかと、直感的に思ったのだが、


「えー?天使バレなんて今まで一度もなかったって話でしょ?そんなに心配することないって〜」


 シャロの言う通り、天使バレは人間実習の歴史で一度たりとも起きたことがないということになっている。


 冷静に考えてみれば、こちらが何かおかしな行動をしたところで人間が何をもってそこから「こいつは天使だ!」と看破するのかという話なのだ。


 また、実習生は人間界では条件付きではあるが人間の身体で生活する。

 魔法は指定されたものしか使えなくなり、その魔法の使用中は同時に幻術が展開されるため、魔法の使用うんぬんで天使バレすることはないと、そういうことになっている。


 なので、天使バレのリスクなんてこれっぽっちもないのだが、もしかしたらを考えるとミーアはどうしても心配になってしまうのだ。


 それにはちゃんと理由があり、


「でも、二人とも【女子高生】で実習するわけじゃないから……」


 そこである。

 シャロとリッタは【女子高生】として人間実習に臨むわけではない。

 それが、ミーアが天使バレを心配する理由の一つだ。


【女子高生】つまり学生として人間実習に臨まないとはどういうことか。

 それは人間実習ついて改めて説明を加えるとハッキリとしてくる。


 人間実習に臨む天使というのは、その大半がミーアのように学生として実習に臨む。

 なぜか。それは単純で、実習先に学生を選択しないと「特定の高位職業への就業確約」という報酬が発生しないからである。実習に臨むのはその多くが持たざる天使。ほとんどが自身の未来の安寧のために、学生をしながら人間界での1年を過ごす。なので本来は、学生を実習先に選ぶのが定石ではあるが、


「うん、あたしは【書店員】を選んだ」


 たまに、こういうのが現れるのだ。


 これは、人間実習のルール的にはアリである。

 19歳以下の人間が就業可能な職業や身分であれば、基本的には実習先に何を選んでもいい。さらに言えば、


「わたしはそもそも実習先を選んでないしね〜」


 これも、アリ。

 実習先を選ばないで、人間界に降りて1年間ずっとフラフラしていることも許されるのだ。


 白状してしまうと、人間実習とは実習生に選抜される道のりこそ地獄だが、実習自体はルールに抵触しなければ基本的には


 学生であっても俗に言う赤点を回避しながら問題を起こさず生活し、実習後に人間界についての報告書を提出すれば実習は完遂とみなされる。それ以外の実習先に至っては、報告書の提出だけで完遂扱いだ。


 ただやはり、学生の実習生には生活に緊張感が出るもの。あらゆる可能性を考えると、気を緩めてばかりではいられない。なんと言っても未来がかかっている。


 一方、それ以外の実習生はどうだ。その生活に緊張感は出るのだろうか。最初から報酬がないのだから、完遂する士気は学生ほど高くない。なのでどこかで下手をうって、ルールを犯すリスクがある。つまりミーアにしてみれば、


「あなたたち二人がポカをした時に、巻き込まれかねない」

「えー!なんか酷くない!?」

「そうだー!はい残りのポレシェー没収ー!」


 もちろん、冗談半分だ。

 不躾ぶしつけに伸びてきたリッタの手をはたき落としながら、そう思う。


 でも、半分は本気である。

 だって、何の見返りもないのにあの地獄の選抜をくぐり抜けてきたこの二人はハッキリ言って頭がおかしい。親友にこういう言葉を使うのもどうかと思うが、狂っている。狂っている天使は、めちゃくちゃをやりかねない。


 シャロに言わせれば「だって、ふたりと一緒にいたいんだもーん」リッタに言わせれば「16から17歳の乙女は最も自由を必要とするのだよ」らしいが、それが地獄の選抜を耐える理由になるのか、正直ミーアには分からない。純粋に二人の頑張り、特に座学がそこまで得意ではないリッタの頑張りには感服したのだけれど。


 思い返すと、シャロに関して言えば座学においても天才だからその点あまり苦労しなかったように思えてきた。アホなのに。


「とにかく、実習中は大人しくしてて」

「大丈夫だって!」

「ひーん、右手の感覚がないよー……」


 それに、この二人には前科がある。

 やりかねない、とミーアに思わせるような輝かしいやらかしのキャリアがあった。


 まあそのやらかしも、わたしのためってことだったんだろうけど。


 そういう面も含めてミーアは二人のことが好きなのだが、今回ばかりは自重して欲しいというのが切実な想いであった。

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