story1-17 二度目の恋

 互いに一言も発せず、ただ指先にある体温だけをつながりにして、道を歩く。


 アリサさんの歩く速度に合わせて、彼女が進みたい方向へと従うだけ。


 やがて彼女は住宅街を抜けた先にある小さな一戸建ての前で足を止めた。


「ここでよかったですか?」


「はい。……その、今日は……ありがとうございました」


 アリサさんは羞恥を感じると、露骨に顔を背ける癖があるようだ。


 照れを紛らわすためなんだろうが、元がクールな分、微熱を帯びた頬に子供らしさを感じる。


 ギャップとして現れた新たな魅力にまた心惹かれた。


「お恥ずかしいところも見せてしまいましたし……」


「……何かありましたっけ?」


「……あなたの言う通りですね。ごめんなさい。私の勘違いだったみたいです」


 俺がすっとぼけると、彼女もそれに合わせる。


 俺たちはただ二人で歩いていただけ。それ以外の事実はない。


 そういうことにしておいた方が互いに幸福だろう。


「ええ。それに恥ずかしいと言うなら……普段から俺の方が恥ずかしい姿をお披露目しているので気にしないでください」


「……ふふっ。そうですね。私がいちばん知っていることでした」


 アリサさんはこらえきれない風に笑い声を漏らした。


 今日のアリサさんは表情豊かで、とてもかわいらしい。


 ひとしきり笑った後、満足した彼女は表情を硬くすることなく、俺と目線を合わせる。


「すみません。どこまでも変わらぬ姿勢を貫くあなたを見ていると、自分自身が少し馬鹿らしく思えてしまって」


「そんな高尚なものでもないです。俺はアリサさんが好きというだけで」


「それでも、ですよ。あんなにフラれて、切り捨てられても態度を変えない精神力だけは……少し尊敬します」


 それは未だに過去を清算できない自身への自嘲のようにも聞こえた。


「でも、俺はアリサさんとああいうやりとりをするのも好きですよ」


「……そういう実直な優しさも、ですね。きっとあなたは私を諦めさえすれば、すぐに恋人ができると思います」


「ははっ。それはないです」


「過大評価ではありませんよ。現にミリアさんだって」


「――そっちではなくて。アリサさんを諦めるという可能性の方です」


 アリサさんを好きになっていなければ、そもそも今の俺もいないわけで。


 きっと故郷の村で両親と一緒に鍬を振り下ろしているだろう。


 レイジ・ブルガンクの人生からはどうやってもアリサ・ヴェローチェは切り離せない。


 アリサさんがいたから魔法学院を目指して、アリサさんに近づきたくて勉学に励み、アリサさんを幸せにしたくて冒険者になった。


 他人からすれば、こういうのを狂っていると言うのだろうか。


 だけど、俺は狂っていても貴女を愛したい。


 全身全霊の愛をアリサさんに伝えたい。


「……どうあっても、私を諦めるという選択肢はないんですね」


 そう言う彼女の面持ちは今までの暗く、冷たいものじゃなかった。


 俺の瞳をのぞき込んで、アリサさんは柔らかな微笑みを浮かべる。


 氷で作られた仮面むひょうじょうを取り外して、彼女は素敵な素顔を見せてくれる。


「レイジさん……あなたはやさしくて、残酷な人だ」


 以前から変わった彼女からの評価。


 泣きながら発狂してしまうところだが、彼女の言葉にはまだ続きがあった。


「多くの愛情を向けられて、受け入れるのが怖くもあります。私はあなたの愛に応えられる高尚な人物じゃない。でも……」


 アリサさんは初めて自分から指を絡ませてくれた。


 感じる震え。緊張している。きっと二人とも。


 恐る恐る指先を触れ合わせて、きゅっと軽く包み込む。


「……少しずつ、あなたの愛に頼っていきたいと……そう思ってしまっている自分がいるのも確かです」


「アリサさん……」


「時間はかかると思います。相応しい女になれないかもしれません。ただ、もし私が自分を許すことができたなら……」


 ゆっくりとアリサさんは顔を上げる。


 紅に染まった頬。


 月明かりの反射した紺碧の瞳。


 吸い寄せられる桃色の唇。


 夜風にたなびく金色の髪。


 すべてが重なって、画家によって描かれた絵のような神々しい美しさに目を奪われる。


「……その時はあなたの愛に甘えてもいいですか?」


「――はい、もちろん」

 

 思考が回る前に、返事は口から出ていた。


 この世の中に、彼女の精いっぱいの優しさを振り払う奴がいるというのだろうか。


 初めて語った愛に対して返ってきた、わずかな親愛が隠れた遠回しな言葉に。


 俺の心はまた魅了されていく。


 今、俺はもう一度、彼女に恋をしたのだ。

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