story1-13 運命の分岐点
気まずさが蔓延する。
いろいろと聞きたい話はあるし、向こうも話したい件はあるだろうけど、とりあえずは。
「怪我はありませんか?」
「……はい、ありがとうございます」
手を差し出すと、彼女はそれを掴んで立ち上がろうとする。
だけど、腰を上げる前にフィナがアリサさんに飛びついた。
「アリサさん、大丈夫ですか!?」
「え、ええ。おかげさまで何ともありません」
「よかったです……本当に……」
そう言ってフィナはアリサさんの胸に顔をうずめる。
その声はいつもよりわずかにくぐもっていた。
さっきの瞬間。フィナは冒険者として初めて人の死を近く感じ取ったのだ。それも親しい相手となれば、彼女の頭によぎった不安は大きいものだっただろう。
「アリサさん」
「ええ。すみません、ご心配をおかけしました」
彼女は優しくフィナの頭を撫でる。
めでたしめでたし……と終わりそうないい雰囲気だが、そういうわけにはいかない。
アリサさんも理解しているからこそ、まだ緊張を解いていない様子でこちらを見ている。
いつもなら愛の言葉でも投げかけているところだが、あいにくとそんな気分ではない。
「アリサさん。どうして受付嬢のあなたがここに?」
「……私が理由を言うとでも?」
「冒険者や王国騎士団以外がダンジョンへ潜ることは禁止されているのは知っていると思いますが」
「…………」
視線は交差し、互いに譲ることはない。
だから、よくわかった。
いつもは気丈で、ゆるぎない我を内包しているアリサさんの瞳が震えていることに。
数分の静寂の後、溜息を吐いて先に折れたのは俺だ。
「……わかりました。今回は見なかったことにします」
「……私が言うのもあれですが、いいのですか?」
「話したくないんですよね? だったら、俺はここであったことは黙っておきます」
俺はアリサさんと目を合わせるようにしゃがみこむ。
ほんの僅か潤んだ彼女のきれいな瞳が眼前にあった。
抱きしめれば壊れてしまうくらいに、今の彼女は儚く思える。
毎日アリサさんを観察している俺が言うんだから間違いない。
よっぽどの事情がない限り、ギルドの受付嬢が一人でダンジョンにいるわけがないのだ。
「それに俺とアリサさんは将来的に夫婦になるんですから、その時にでも聞きますよ」
「その未来は絶対に来ませんので迷宮入りですね」
「なので、言わなくて大丈夫です。結婚した後に、いっぱい聞きますから」
「話がかみ合いませんね。……わかりました。ご厚意に甘えます」
「ですが、もちろん条件はありますよ」
「私の身体を許すつもりはありません」
「アリサさん。今は真面目な話をしています」
普段よりも低くなった俺の声にアリサさんは思わずと言った形で顔を上げた。
話は聞かない。無理やり聞き出す真似はしたくないから。
だけど、彼女が引退した身でダンジョンへ入ったことは許すつもりはない。
「命を失う危険があったのは理解していますよね」
「……ええ。もちろん理解したうえでの行動です」
「アリサさん。もしかして自分は死んでもいいと思っていませんか?」
「…………」
「そんなこと、亡くなったパーティーメンバーの人たちは望んでいないと思いますよ」
「……は?」
ギロリと普段の冷たいとは意味が違う、鋭い強者の圧がこもった瞳が俺をにらみつける。
「会ったこともないあなたに彼女たちの何がわかると――」
「――わかりますよ」
「っ……!」
初めて怒りの感情を見せた彼女の言葉を遮って、断言する。
アリサさんは責任感の強い人だ。
自分だけが生き残り、仲間たちが死んだことに罪悪感を抱いているのではないかと薄々感づいていた。
残りの人生をパーティーメンバーの無念を晴らすために捧げるほどの罪悪感。
彼女はきっと俺より魔王軍幹部の活動が活発になっていたのを知っていたはずだ。
そして、おそらく噂になっている幹部の正体……そいつが彼女の復讐相手なのだろう。
でなければ、アリサさんがこんな暴走をする理由が考えられない。
「同じ……いや、負けないくらいにアリサさんを大切に想っているからこそ、絶対にそんな最期は望んでいないと思います」
そう言って、俺はアリサさんの手を包み込むように握る。
俺に流れる血が、温もりが、想いが彼女に伝わるように。
「アリサさん。あなたがいなければ死んでいた命が目の前にあります」
「そして、あなたが救ってくれた命はまた新たな命を救っている。あなたが教えてくれた正義は今も俺の中で生きている」
「だから、あとは弟子の俺に任せるくらいのつもりで、アリサさんは自分の人生を楽しんでいいんですよ」
「俺はもっとアリサさんの笑顔が見たいです」
アリサさんからの返事はない。
だけど、きっと俺の心からの願いはちゃんと届いているはずだ。
俺の知っているアリサさんは【氷結の冷嬢】なんて呼ばれる血も涙もない人物ではなく、人の気持ちを理解できる優しさを持ち合わせている人だから。
「……っ…‥!」
アリサさんは俺から目をそらすように、顔をそむけた。
気まずさからだろうか? 確かにあんな風にアリサさんと真面目な空気で会話をした経験はない。
ともかく、いったんこれで重苦しい話は終わりだ。
空気を換える意味も兼ねて、俺は何事もなかったようにいつもと変わらぬ調子で話しかけた。
「……さて。今回は俺がアリサさんを助けたわけですし、何かお礼が欲しいですねぇ。デートでいいですよ?」
「わかりました」
「ええ、わかってます。でも、ゴブリンは勘弁……え?」
用意していたリアクションにそぐわぬ返答に、思わず間抜けな声が漏れてしまう。
「ア、アリサさん? 今、なんて?」
「あなたの要望を受け入れると言いました。今度の休日で構いませんよね」
「え、あ、はい」
「それでは決まりということで」
アリサさんは【氷結の冷嬢】の名に違わぬ雰囲気ではっきり言い切る。
ちょっと待ってくれ。
展開が急すぎて、ついていけない。
今までの苦い思い出が目の前のアリサさんは偽物だと警報を鳴らすが、このスベスベな手はアリサさんのもの。
「……平手でいいですか?」
「優しくしていただけると助かります」
「はぁ……いえ、私もらしくないことを言った自覚はあります。けど、それはレイジさんへの好意などではありませんから。私自身のためです」
そう言って、彼女は俺の手からスルリと抜ける。
抱き着くフィナをそっと離すと、自分の力で立ち上がった。
「私はレイジさんのことは信用しています。あなたは私にだけは誠実な人間だ」
「アリサさん!」
「私がわがままを言えば、あなたはそれを飲むでしょう。私はあなたからの愛情を利用している。打算しかないんです。先のデートを受けた行為にも、あなたへの好きは含まれていません」
「アリサさん……」
「レイジさんにはきっとお似合いの方がいます。あなたみたいに純粋に愛を語れる人はそういません」
フィナと初めてクエストをこなした、あの時のように。
彼女は一瞬だけ冷たい雰囲気を崩す。
けれど、浮かべる笑顔は悲しみに暮れ、もがき苦しんでいた。
「醜い私には、あなたは眩しすぎる」
どんな感情が彼女の中で渦巻いていたのか、俺には理解できない。
でも、今の言葉はアリサ・ヴェローチェの心の器からあふれてしまった心の声だとわかった。
ならば、俺のすべきことはただ一つ。
「アリサさん。俺はあんな心のこもっていない罵倒の羅列で諦める男ではありませんよ」
彼女に俺という光に慣れてもらうまでだ。
「……そう、ですか」
「というわけなので、さっそくお姫様抱っこでもして地上に」
「それは許可しません」
すでに冷嬢モードに戻っていたアリサさんはスッと横を通り抜け、出口へ続く道を歩いていく。
その場に取り残され、行き場の失った俺の手。
「えっと……お願いします、王子様」
フィナがそっと手を乗せて、代わりに応えてくれる。
愛弟子の優しさに心打たれた俺は彼女を抱きかかえ、アリサさんのあとを追いかけた。
隣に並んだあとは口説き文句を連発するが、いつものごとく悪口で返される。
そんなやりとりは今までと変わらないように思えたけど、罵倒にはキレがないように感じた。
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