アスクレピオスの杖

木の陰に隠れ、畑を観察していると、黒いスーツの男が巡回していた。


「ウィンディ、あれってNPCじゃないのか?」

『魔物です。彼氏さんの索敵範囲に入れば、反応しますよ』

「薬草を貰えるように交渉は出来ないのか?」

『テイムのスキルが有れば可能ですが、現状では無理ですね』


やはり強奪するしない。

畑の周辺は視界が開けている為、コッソリ採取する事も無理そうだ。


「流生、どうする?強行突破する?」

「う〜ん、凛の魔法、畑の奥の方まで届く?」

「試してみないと分からないけど、多分届くと思う」


俺が陽動して、凛が採取するのもありだが、凛では逃走の際のスピードが不安だ。

逆は、もっと危ない。


「畑の奥に火を放って、ヤツらが消火活動している間に手前の薬草を採取しよう」

「私は魔法で、流生の逃走を援護すれば良い?」

「いや、火を放ったら、直ぐに逃げろ」

「えっ?流生を置いて逃げるの?」

「予め、逃げる方向を決めておこう。直ぐに追い付く」

「でも…」

「大丈夫、戦闘はしないから」

「……」

「俺を信じろ」

「…気を付けてね」


凛が正面から抱きついて来た。

俺も凛を抱き返し、背中をトントンと叩く。


『チューしちゃいます?』


ウィンディが茶々を入れて来た。

俺はハッとなり、凛から離れた。


『あちゃ〜、邪魔しちゃいました?』

(もう…、良い雰囲気だったのに…)


揶揄うウィンディに、凛が小声で何か言っている。


「準備OKだ。火を放ったら、直ぐ南西方向行に逃げてくれ」

「分かった」


凛が斜め上方に向けて杖を構える。


「ファイアボール」


火の玉が山なりに放たれ、畑の奥に着弾する。

畑から火の手が上がった。


「凛、走れ!」


凛が南西に向かって、走り出す。

巡回していた黒スーツが、燃えている畑の奥に集まって行く。

俺は体を屈め、畑に近づいた。


先ずはショウアサを刈り取る。

身体を屈めたままケシシに近付いた所で、索敵スキルが反応した。

畑の奥に集まっていた黒スーツの何体かが、こちらに向かって来ている。


(気付かれた!)


俺は急いでケシシを刈り取り、南西方向に向かって走り出した。

段平ダンビラを片手に黒スーツスジモノが追って来る。


(怖ぇ〜)


魔物とは違う脅威を感じる。

索敵範囲にいるのは4人、いや4体か。

足場の悪い森の中を木を避けながら、スピード上げて行く。


凛はどの辺まで逃げたかな?

索敵範囲から敵はいなくなっている。

だいぶ引き離しと思った時、前方からウィンディが飛んで来た。


『彼氏さん、カリンちゃんが牛に襲われてます!』


メニューウィンドウを確認すると、凛のHPが4分の1程減っていた。


「どこだ?」

『こっちです』


ウィンディを肩に乗せ、全速で走る。


「ンモォォオオオ!」


一角牛の鳴き声が聞こえる方向に向かって走る。

索敵スキルが反応する位置まで迫ると、杖で応戦する凛の姿が見えた。

前衛不在で、魔法が撃てないようだ。

凛が転がりながら、牛の突進を交わした。


「リィィィン!」


之定を鞘から抜き、一角牛に突撃する。


「バーティカル!」


剣の初級スキルを放つ。

垂直に斬り下ろすだけの単純なスキルだ。

派手なダメージエフェクトを散らし、一角牛がノックバックする。


「ファイアボール」


凛の火の玉が直撃し、一角牛が吹き飛んだ。

倒れた一角牛を斬り付けた所で、背中に衝撃を受けた。

追い付いて来たスジモノに、背後から斬り付けられたようだ。


振り向いて応戦しようとすると、スジモノの顔面に火の玉が直撃した。

倒れ込んだスジモノに追撃を加えると、再び索敵スキルが反応した。

追手が増えている。


「凛!」


俺は凛を抱き上げ、走り出した。

凛が俺の首にしがみ付く。


『キャァァァ、お姫様抱っこ!』

「ウィンディ、ふざけてる場合じゃない!」

『ふざけてませんよ。吊橋効果でテンション爆上がりですね』

「もう良い!勝手に騒いでろ」


凛を抱えたまま、森の中を走る。

どの位引き離せば、タゲが外れるのか分からない。


「凛、壁出せるか?」

「もう、MPがすっからかん。マジックポーションもない」

「俺のマジックポーションを飲め」


マジックポーションをストレージから取り出し、凛に渡す。


『彼氏さん、そこは口移しで飲ませる所ですよ』

「黙ってろ!」


MPを回復させた凛が、土魔法で幾つも低い壁を作った。

これで追手のスピードが鈍る。

俺はストライドを小さくし、細かいステップで木を避けながら走る。


「キャァァァ!ぶつかるぅぅうう」


木が目前に迫る度に、凛の抱きつく力が強くなる。


「大丈夫だ。怖かったら、目を瞑ってろ」


凛が目を瞑り、ギュッとしがみ付いた。

どれくらい走っただろうか?

索敵範囲からは、随分前に反応が消えている。


「ウィンディ、まだタゲ外れないのか?」

『とっくに外れてますよ』

「おい、なんで黙ってた?」

『カリンちゃんが、幸せそうだったから?』

「なんだ、その疑問系は?」

『良いじゃないですか、可愛い彼女にサービスですよ』

「「……」」


スジモノを振り切った後は、散発的に現れるゴブリンやコボルトを倒しながら進んだ。

暫く歩くと、海岸まで辿り着いた。

レジャーシート代わりの皮コートを敷いて、2人で腰を下ろしスマホを確認すると、親父からの不在着信に気付いた。


「凛、親父からの着歴がある。ちょっと電話するぞ」

「はーい♪」


何故か凛の機嫌が良さそうだ。

気にはなったが、取り敢えず親父に電話した。


「もしもし、電話出れなくてゴメン」


「ああ、ゲームしてる」


「うん、凛もいるよ」


「分かった…それじゃあ」


用件だけ話して、電話を切った。


「凛、親父達、今日帰って来ないって」

「うん、知ってる」

「知ってたんだ?」

「さっき、ママからメッセージ来たから」

『あらぁ〜、今夜は2人きりですね』


また、ウィンディがはしゃぎ出した。

もう放っておいて、ポーション作ろう。


「ウィンディ、ポーションを作るにはどうしたら良い?」

『素材を並べて、カリンちゃんがスキル発動するだけですよ』

「それだけで良いのか?」

『はい、空の瓶を一緒に並べておけば、その中に出来ます』

「やってみるね」


集めた素材と空の瓶を並べる。


「調合」


凛がスキルを発動すると、空の瓶がポーションで充たされた。

初期のスキルで作れる3種類の薬を全部作った。


『おめでとうございます。ミッション達成1番のりです』


突然のウィンディの言葉に、ちょっと驚いた。


『彼氏さん、良い勘してますね。カリンちゃん、ユニークアイテムをゲットですよ』

「マジで?こんな簡単で良いの?」

『いえいえ、ここまで辿り着くのに、早くて1ヶ月程度を想定してたんですよ。第1期のβでは、戦闘系のプレイヤーしか招待されてないんです。他のゲームで錬金術師や薬師の経験がある人がいないんです。初日からポーション作ろうなんて考えたの彼氏さんだけですよ。そもそも今のレベルじゃ、スジモノは倒せませんから』

「逃げて正解だったんだな」

『逃げ切るのも想定外です』

「…確かにキツかったな。それより凛、何貰えたんだ?」

「ちょっと待って…、え〜とコレ」


凛の手には、一匹の蛇が巻き付いた杖が握られていた。


「アスクレピオスの杖?!」

『流石、彼氏さん。物知りですね』

「流生、何それ?」

「アスクレピオスはギリシャ神話の医療の神様だ。回復系のチートアイテムを狙っていたけど、かなりの大物じゃないのか?」

『その通りです。レア度10のユニークウェポンです。まだレベル1ですけど、大事に育てて下さいね』

「…これ、私が貰うわけにいかないよ」

「何で?凛が手に入れたんだよ」

「だって、流生の言う通りにしてただけだよ」

「凛が装備した方が、効果的だよ。それ使って、俺のサポート頼むよ」

「…分かった」

「早速だが、装備してみてくれ」


凛がアスクレピオスの杖を装備した。


「どうだ?」

「使える魔法が増えた。ヒールとデトックス」

「HP回復と毒消しか」

「うん、最大MPと魔力も上がった」

「マジでチートだな」

「流生、この後どうするの?」


スマホで時間を確認すると、19時を回った所だった。


「まだ、ご飯炊けてないな。このまま海岸沿いを探索しよう」

「ご飯って?」

「炊飯器のタイマーを入れておいた。21時に炊き上がるから、そうしたらログアウトしよう」

「お昼も作ってくれたのに、夕飯も準備してくれたの?」

「ああ、下拵えは済んでる。帰ったら、直ぐに食べられるよ」

「…やっぱり流生は、弟じゃなくてお兄ちゃんなんじゃないの?」

「弟だって、メシくらい作るよ」

「……」

『海岸でデートの後は、彼氏さんの手料理ですか?カリンちゃんは幸せ者ですね』

「…うん」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る