愛の伝道師になってしまったクラスメイト

睦月文香

愛の伝道師になってしまったクラスメイト

 私が言うのもなんだけど、うちのクラスは変人ぞろい。

 元々変人が多く集まるとされる、県立の進学校の中でも「あのクラスは異常」と言われるくらい、変な子がそろっていた。

 私自身、中学の時は変人扱いされることは多かったけれど(私は数学の難しい問題を解くのが好きで、休み時間はクラスの男子と一緒にネットで見つけた難問に頭を悩ませて過ごすのが好きだった)このクラスではどちらかというと常識人の側だった。

 変と言っても、何か特別な才能を持っていたり、問題児が集まったりしているわけではなく、ただ何というか……空気感が独特で、理系クラスなのに、妙に文学が好きな人が多くて、しかも弁が立つ人ばかりだったのだ。

 下手をすると先生たちすらついていけないような、高度なのか高度じゃないのかよく分からない哲学的な話で盛り上がり、派閥に別れて論争し始めたと思えば、急に頭が悪い祭りみたいなのを企画し始めて学年全体を巻き込んだりする。何かよくわからない宗教を創始したこともある。飽きたらしくすぐに終わったけど。

 そんなことをしつつも、それぞれが他者への配慮というものを理解していて、他のクラスの迷惑になることをしたり、先生を困らせることはしないようにしていた。何度か校則のラインを超えてお説教を食らったこともあるが、同じ過ちは二度と繰り返さない。皆、己の本分は忘れていなかった。

 私たちは、なんだかんだ言って高校生らしい真面目さと悪ふざけを最大限楽しんでいるだけだった。

 他のクラスの人たちが言うには「漫画の中の高校生よりも高校生してる」とのこと。確かにその通りだと、私は思った。



 その一週間は、あるテーマで、休み時間のたびに喧嘩かと思うほど激しい議論がなされていた。クラス全体が巻き込まれ、誰もが立場を決めることを強要された。それを嫌がる子もいたが、そういう子も『議論自体が嫌派』としてなぜか議論に入っていくことになってしまい、そのうち楽しくなって『議論自体が嫌派やめます』と言い出してしまう始末。本当に嫌な子はそもそも別のクラスの友達のところに逃げ込んでいたようだ。その時の私自身は、中立の立場で議論全体をまとめる役割だった。そういう役が好きな人は私の他にも何人かいて、話したそうにしてる人に話を振ったり、論点がずれすぎたときに修正するのが主な仕事だった。


「お前らは結局のところさ、なんでもかんでも『遺伝子』だの『本能』だのって片付けるけど、それこそ独断じゃん。なんつーかさ、まだ科学的にも分かってないことたくさんあるのに、そういうことも忘れて今ある知識だけで『絶対だ』って判断すんのおかしくない?」

 そう語る朝木空さんは、長身で、バレー部で活躍中の、クラスの中心人物。声が大きくて、自己中心的。地頭はいいけれど、提出物は大体友達に丸写しさせてもらっているタイプ。予習も復習もさぼってばかりだけど、テストの点数は平均的。一夜漬けするタイプかと思いきや「一夜漬けなんて馬鹿のすること」と一蹴し、テスト期間だけは計画を立てて普通に勉強する意外と真面目な女子。

「いや俺らは別に『絶対だ』なんて言ってねぇよ。ただ、今ある情報から判断すれば『愛はしょせん人間の遺伝子に刻まれた本能のひとつに過ぎない』っていうのが、答えだろって話。それ以外の答えは全部宗教的というか、根拠がない決めつけっていうか、そうとしか思えねぇだろって」

 そう反論するのは牧野颯太君。文学部に所属していて、ジャーナリストを目指しているという。とても批判的な思考をしていて、基本的に朝木さんに反対していることが多い。二人は仲が悪いと思いきや、その激しい議論自体がとても楽しいらしく、ふたりきりで休日カラオケや買い物に行ったりすることもあるらしい。ただ恋愛的な感情は二人とも即座に否定するので、私をはじめとした周りの人間は二人の関係を少し奇妙なものだと思っている。

「そのさぁ、遺伝子に刻まれた本能っていうのが何か気持ち悪いっていうかさ、まるで私たちの心や行動が全部予め決められているって言われてるみたいなんだよね。そんなわけじゃないじゃん」

「いや俺はそういうもんだって思ってる。俺たちがこうやって考えて議論することでさえ、人間の遺伝子にそう仕組まれたものであり、その細かな内容は、全部偶然によってそうなってるって俺は主張する」

「それだと、私たちとゲームのキャラクターの間には全然違いがないことになるけど」

「それは違う。ゲームのキャラクターは、人間が自分の都合のために産み出した存在で、俺たち人間は自然が偶然産み出した存在だ」

「運命とか必然とか、そういうものは全部人間の勘違いだっていうんだね?」

「あぁ」

「でもそういうお前の意見が勘違いかもしれないって思わないわけ?」

「それが勘違いである根拠が俺には見つからないからな」

「平行線だね。これは他の子の意見を聞かないと」

「でも聞ける人にはもうほとんど聞いたくない?」

「うん……あ、今日北山ちゃんいるじゃん。おい北山ちゃん!」

「うん?」

 北山史は、滅多に学校に来ない大人しい女の子だった。いつもニコニコしていて人当たりがいいけれど、本人曰くそれは「調子がいい日しか学校に来ないことにしているから」とのことだった。家ではいつもゲームをしたり本を読んだり気ままに過ごしているらしく、なんだかんだ皆から好かれていた。

 議論の時に話を振られても、びっくりするくらい丁寧かつ慎重に答えるので、「森の隠者」なんてあだ名が付けられていたこともあった。

「今私たち、愛とは何かっていう話で議論してるんだけど」

「へー。愛? 愛っていっても色々あると思うんだけど、どの愛?」

「えっとねぇ。愛全般なんだけど、牧野の主張は、愛っていうのは全部本能とか遺伝子とかがそうあるべしって定めたもので、しょせんそれは人が子孫を残したりうまく社会生活を送っていくという明確な目的があるっていうやつ。で、私は『そうとは限らないんじゃないか』って疑問を呈してるけど、うまくそれを否定する根拠がないから、もやもやしてる。他の子の意見としては『そもそも男の感じる愛と女の感じる愛は違う派』とか『愛っていうのは一時的な感情でしかない派』とか色々あるけど、基本的に牧野の主張を否定できてる派閥はない。いや、ひとりだけ『愛は神から与えられたものです派』もいて、それにふざけて追従してる子たちもいるけど……まぁそれはスルーで」

「んー。それじゃあ、私はどうすればいいの?」

「北山女史は、愛についてどう思われますか? 思う存分語ってください」

「えー。それなんか恥ずかしくない?」

 私は聞いてて、それはもっともな感覚だと思った。北山さんは、髪型が奇抜だし学校に厚い化粧をしてきたりするちょっと変なところもあるけれど、やっぱり根は常識的なのかもなぁと思った。

「言われたみたら愛について語るってちょっと痛いよな」

 別の男子がここぞとばかりにそう突っ込んだ。

「おいおいおい! 今はそういうところに論点があるわけじゃないんだよ」

 朝木さんは、強引に話を戻す。

「ん。じゃあ私が思う愛について語ればいいんだね?」

 皆、しんと静まり返って北山さんの話に耳を傾ける。本人は少しも緊張していない様子だった。それどころか、少しも恥ずかしがっていなかった。

「私、愛っていうのは行為であると思うんだ。つまり、誰かのことを好きだって思うことが愛なんじゃなくて、誰かのために何かをするということ自体が『愛』と呼ばれているんじゃないかって思う。つまりさ、愛っていうの内的な何かじゃなくて、行動で示される外的なものなんじゃないかって。ほら、愛の誓いって言うじゃん。誓いのキス。あぁいうのを、『愛』って呼ぶのであって、その裏側に何かがあるって考えるのは、ちょっと違うんじゃないかなって」

 それを聞いた皆は、それぞれその意見について自分の中で思いを巡らしている様子だった。私はというと「そういう見方もあるのかぁ」という驚きで、うまく頭を回すことができなかった。

「でもそれなら、恋愛映画とかで演じてる主演の二人は互いに愛しあってることになっちゃうんじゃない?」

 朝木さんはやはり頭がいい。確かにその疑問はもっともだ。

「愛し合ってるように見えるように演じてるわけだから、そうだね。私の考えだと、人間の本質はその『演技』にあると思う。つまり行為っていうのは、演技的に解釈することができるから、それらを本質的にわかつことはできないと思う。だから、演技の中で愛し合ってる人と、誰も見ていない場所で愛し合ってる人の違いは、あくまでそれを見ている人がいるかいないか、それをする目的の違いしかないんじゃないかなぁって。つまり、俳優さんたちは、仕事だから、愛し合う。そうじゃない人たちは、何か別の目的があって、愛し合う。寂しいから愛し合う人もいれば、エッチなことがしたいから、愛し合う人もいると思うよ」

 何人かのクラスメイトは『エッチな』という言葉の響きに顔を赤らめ、うつむいた。北山さんの低くて抑揚のある声は魅力的な響きだったし、容姿が整っている女性が恥ずかしげもなくそういうことを想起させたという事実が、教室の空気に何か違うものをもたらした。

 そういう教室の雰囲気を感じにくいタイプの男の子である草野君は、言葉が途切れてしんとしたタイミングで、はっきりと疑問を呈した。

「じゃあ北山さんは、愛には常に、愛とは別の目的があると、そう思うの?」

 北山さんはリラックスしている。表情は豊かで、首を少しひねって瞬きをした。

「んー目的? 目的はあくまで属性だよ。たとえば、そうだねぇ……戦争って、外的なものじゃん? 戦争に内的な要因を見出しても、それは戦争の本質じゃないじゃん? 戦争っていうのは、対立があって、そこで衝突することが、本質なわけじゃん。で、戦争に常に目的があるかって言われると、どう答える? 私は、愛は感情よりも戦争に似た概念だと思ってる。戦争の演技と、愛の演技も雰囲気としては似てるしね。見てる人を興奮させる作用がある。戦争映画と、恋愛映画」

 北山さんは、自分の話している言葉のせいか、それとも本人が実はそういう性格だったのか、顔を紅潮させていたし、いつもより早口だった。ところどころどもっていたし、手も震えていた。でもそれは緊張や恐怖ではなく、興奮と喜びから来るものであるのは皆が察していた。

「私、思うんだよ。本能とか、遺伝子とか、そういうのは単に説明にすぎない。だってそれを『神』って言葉に翻訳したって、同じことが伝わるんだから! いやいや! 大事なのはそういうことじゃない! 大事なのは、美しい愛を求めること! 美しい愛を想像して、それにせ、精神を浸して、体中でかか、感じて、楽しむこと! そうだよ! それが何であるかなんてどうでもいい! 愛っていうのは、素晴らしくて、美しいものなんだよ……」

 言い切った後、北山さんはあはは、と小さく笑った。そして我に返ってか、顔をさらに赤くして、両手で覆った。そして小さく「ごめんなさい忘れてください。あはは……」と泣きそうな声で笑った。

 私は、心の中で失礼にもこう思った。えっ、何この子、可愛すぎる……

 教室は静まり返っていたが、互いに顔を見合わせては、にやけて、北山さんかわいいなぁと、そういう気持ちを皆で共有した。


 その後、北山さんに新しいあだ名がついた。愛の伝道師。


 それまでは物静かではっきりものを言う賢者キャラであった北山さんが、その日、情熱的な一面を皆に見せた。そのことで、皆はそれまでの議論のことなどどうでもよくなり、その日は北山さんのかわいさの話でもちきりとなった。

 北山さんの方はといえば、いつもの微笑みを維持しようと努めている様子だったが、うまくできず、何度も顔から湯気が出そうなほど真っ赤にして、そのたびに顔を手で覆い、我々を萌えさせた。彼女がそういう反応をするたび、私たちはもっとからかいたくなってしまう。

 とはいえ、あまりやり過ぎるのもよくないので、その日の終わりには「今日のことは、忘れること!」というのに皆が同意した。でもきっと誰も忘れないだろうし、北山さんのいないところで、北山さんの愛の伝道師っぷりは語り継がれていくのだろうなぁと思った。

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