団欒は、よに満ち足りて

 奇乃あやのは目の前の食卓に並べていかれる献立に目を輝かせて、口の端から涎を垂らしていた。


 魚の煮つけに小松菜の胡麻和え、冷奴に、お漬物は更に何種類か盛られていて。

 今、最後のお味噌汁とご飯が景隆かげたかとその娘の手で配膳されていく。


 奇乃は飯匂いいにおいに胃を刺激されて、切なくお腹を鳴らした。


「ねぇ! なんでこいつが姉さんの服着て座ってるのさ! おかしいでしょ!」


 配膳を終えるまで行儀よく座っていた景胤かげたねが、耐え切れなくなって人差し指を奇乃に突き付けた。


「こら! お客さんに失礼でしょ!」

「失礼なもんか! 父さんに勝ったからって居座るなんて、強盗みたいなもんじゃないか!」

「ぐーの音も出ませんわねー」


 姉に叱責されても尚言い募る景胤に、奇乃は遠い目をした。

 約束を先に交わしたとは言っても、娘と決闘したい、滞在費がないから宿泊させろというのは中々にあくどい。


「景胤。君の考えは間違っている。勝負は勝負、交遊は交遊だ。今までも、出稽古でいらした方が家に泊まったことがあるだろう。それとも、私を負かした相手だから気に食わないというのなら、それは尚更、武に生きる者として恥ずべき心根だ」


 そこに、景隆が岩に滴り落ちる雫のように静かな、しかし有無を言わさぬ気高さを含んだ声で景胤を窘めた。


 景胤も言葉を詰まらせ、浮かびかけた腰を落とし、正座に戻す。


「お恥ずかしいところを見せて、申し訳ない」

「家族の団欒に割り込んでいるのですから、なにも気にしませんわ。それに、本来は食事は自分で用意しろと言われても仕方ない立場と弁えてますから、ご相伴に預かるだけで感謝しておりますわ」

「家に迎えると決めた客人に食事も出さないとあっては、我が家と先祖伝来の流派の名折れになるから、そちらこそ気兼ねなく召し上がってほしい」


 家族三人、手を合わせるのに奇乃も混じって、食事が始まった。


 奇乃はまず白米を一口咥えて、身を震わせる。


「ご飯がおいしいですのー」

「米は炊飯器で炊いただけだが、お替わりもあるよ」

「これ全部、男性が作っただなんて、驚きですわ」


 そう、今食卓に上がっているものは全て、景隆が作り上げたものだった。娘の方は出来上がりを運んだだけである。


 奇乃はほろほろと崩れる魚の煮つけを口に運ぶ。これも甘辛いタレが絡まる弾力ある身が美味しい。


「これはなんていうお魚ですの?」

「ヒラマサっていうのよ」


 奇乃が顔を横に向けて訊ねれば、月見里の娘がすぐに答えてくれた。


「なんだか、昔やっていたドラマの主人公みたいな名前なのですわね」

「え、それって、契約結婚のやつ? 見てたの?」

「今年のお正月にやった特番も見ましたわー」


 月見里の娘は好きなドラマを奇乃も見ていたと知って、会話に花を咲かせる。

 そこだけを切り取れば、同世代の女子が楽しく食事をしているようにも見えた。


 実際は、片方は一人の師範を片手で投げ捨てる乙女であり、もう片方も同レベルの実力者と目を付けられている訳だけども。


「あなたは何歳なの? もしかして同い年?」

わたくしは今年で十七になりますわ」

「うそ。ほんとに同い年じゃない。こんなところにいて、高校は休学してるの?」

「高校には進学しませんでしたのよ」

「働いてるの?」

「就職したのか、という意味でしたら、いいえですの。家の手伝いとか、畑を荒らす獣の駆除とかでお金を貰ってはいますけれど」


 奇乃の話す奇抜な身の振り方に、月見里の娘は目を丸くした。

 今どき、高校に行かないだけでも珍しいのに、働きもせずに家にいるだなんて、少しも将来性がない。


「これからどうしていくの? 丹堂のお家って、許婚に嫁ぐとかいう決まりでもあるの?」

「いえ? 別に家に引き継がないといけない資産も土地もありませんし、特に相手もいませんわ」

「大丈夫なの?」

「まぁ、食べれなくなったら、山に入って山菜と肉を狩ってくれば幾らでも生きていけますから。ああ、それに畑仕事を手伝うとお野菜ももらえますの。ばっちりですわね」

「それものすごくダメな生き方じゃないかな?」

「ですわねー」


 奇乃は自分の生活のことなのに、まるで他人事みたいに呑気に脇において、景隆の料理に舌鼓を打っている。


「あの、お聞きしていいか不安なのですけれども、このお家の奥方はいらっしゃいませんの?」


 奇乃は他に人の気配を感じないのを首を巡らして辿って、景隆に問いかけた。


「ああ、私の妻は今、海外にいるよ。仕事が何より好きで、その、私が頼み込んで一緒になってもらった相手でね。家にほとんど帰れないけど、それでいいなら結婚してあげよう、とそう言われたのさ」


 そう語る景隆はどこか誇らしげで、妻への愛情が自然と奇乃にも伝わって来た。

 素敵な結婚をしたのだな、と奇乃はお米の甘味を噛みしめて、お味噌汁の香りと一緒に飲み込んだ。


 質問が口を吐いて出てしまったものの、亡くなったとか言われなくて内心でホッとしている。


 その一方で脳の隅では、男手一つで二人の子供を育てて大きな母屋と広い道場をこんなにも綺麗に保っているのに、かなりの苦労をしているだろうとも考える。


 それで、奇乃が少しだけ本気を出せるくらいの強さなのだ。

 もし一人直向きに己を鍛えたとしたら、どこまで至っていたのか、なんてところまで思いを巡らせかけて、奇乃は首を振った。


 普通の人間は、奇乃みたいに、強さだけを求めて生きてはいけないのを、理解はしている。

 家族、恋人、友人、恩人、先輩後輩、同志、競争相手、人はいろんな縁で人と繋がり、その絆を大切にする。

 いろんなものを取捨選択して、自分の時間を何に費やすかを決めて、割合を定めながら生きていく。

 その割合において、強さを求めるというのは、大抵上位には上がらない。そもそも項目として書き出さない人だって多くいるだろう。


 だから、誰も彼も、奇乃には物足りないくらいの強さでしかないのだろう。


 奇乃は端目はしめに彼女を見る。


 目を合わせなくてもはっきりと分かる。奇乃が望んで止まない存在がやっと見つかった。


 自分の我儘でここに居座っているのに、気持ちいいお風呂に、美味しいご飯を頂いて、きっとこの後の寝床もしっかりと快いものを用意してもらえるだろう。


 そのことに、まるで強盗に入ったのにもてなされてしまったような罪悪感が奇乃の胸に渦巻いていた。

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