254 なあ? 素直になれよ

「いないな……」


 星幽迷宮アストラルメイズを進む俺たちは、生きているかのように変化していく通路と、部屋に苦しみながら奥へと足を進めている。

 迷宮は当初まっすぐに伸びた通路だった……ところがその通路の壁はまるでパネルを組み替えるかのように、有機的な動きを見せて右へ左へとその形状を変化させていくのだ。

 それはまるでこちらを誘導するかのような不気味さがあり、通路が突然変形して部屋のような形へと組み変わっていく姿を見ると、自分が本当に前に進んでいるのか分からなくなってくる。

「き、気持ち悪いよ……」


「大丈夫、俺から離れるなよ?」


「……うん……」

 隣で俺の腕にすっかりとしがみついているヒルダが少し青い顔をしながら口元を押さえているが、安心して欲しい俺も正直言って三半規管が狂わされて先ほどからひっくり返りそうな胃袋と格闘しながら歩いているからだ。

 でも年長者でそれなりに経験を積んだ冒険者としての体面もあって、不安と疲労で表情が曇っているヒルダを勇気づける必要があると考えて、俺はあくまで表情を変えないように必死だ。

 ヒルダは俺の腕にしっかりとしがみついている故に、俺の腕には彼女の柔らかい部分が常に当たっていてそちらに気を取られて集中できなくなってきているのも確かなんだけど……がんばれ俺の理性。

「な、なあ……ももう少し離れて歩けないか?」


「……ダメなの?」

 俺を見上げるヒルダの表情を横目で見て、俺は思わずドキッとしてしまう……それ反則だよ! 美少女が不安の入り混じった少しだけ潤んだ目で自分を見上げているシチュエーションなんて転生してもそうそうお目にかからない。

 俺は一瞬硬直しそうになるが、軽く首を振って黙って微笑むとそっと彼女の頭を撫でる……ダメだ、何かがおかしい……そういえばヒルダは普段とは違う匂いを少しだけさせていて、その匂いが鼻につくたびに俺は心臓がドキリと動くような感覚に襲われている。

「ダメなわけないよ、俺が悪かったごめんな」


 ヒルダはその答えを聞くと嬉しそうに俺の腕に改めて腕を絡ませる……その感触の柔らかさに俺の中にある欲望のようなものが首をもたげて俺に話しかけてくるような気がして背筋がぞくっと冷えた。


『……この娘はお前に好意を抱いている、手に入れることは容易い』


 ダメだ、俺にとって彼女は保護する対象だ……ヒルダを手に入れたいなんて思ったことはない。

 それに彼女は王族だぞ……サーティナ王国でも散々言われたじゃないか、貴族や王族に手を出すと待っているのは死だけなのだと。


『お前はすでに帝国貴族と聖王国名家の令嬢を手中に収めている、怖いものなどないだろう?』


 死ぬのは怖い……死にたくない、前世でくだらない死に方をしてしまった俺が一番怖いこと、それは何もなし得ずに死ぬことなのだろう。

 それにアイヴィーを抱いたのは俺も彼女もお互いを愛しているから……アドリアと肌を合わせたのも俺も彼女もお互いを愛することができたから。

 でも冒険者としてその刹那の時間がお互いが生きている証明として感じられるから、俺たちはお互いを求めているだけなのだ。


『……望めば手に入るぞ? 今お前の横にいる娘は無防備だ、それにお前を愛している娘だ……』


 違う、ヒルダは今不安になっているだけだ……滅びた王家の娘として、世界を知らないままに育てられ、仲間を失って絶望して、俺たちについてきただけの哀れな娘だ。

 俺は歩きながらそっとヒルダの様子を見る……最初に会った頃より栄養状態も良くなっているし、次第に女性らしい体つきへと変化してきている。

 アイヴィーやアドリアが簡素ながら旅の中でもできるレベルで化粧を教えたり、経験を積んで姿勢や表情が変わったのだろう、驚くくらいに魅力的な女性へと変化しつつある。


『欲しいだろう? お前の中にある欲望を曝け出してみろ……なあ? 素直になれよクリフ・ネヴィル……』


 一瞬どこかで聞いたことのある女性の声にも聞こえ、俺は思わずハッとして立ち止まる……誰だっけこの声……アルピナでもなく、それでいて少し前に聞いたことがあるような……いきなり立ち止まって目を見開いた俺に驚いたのか、ヒルダは俺を見上げてじっと黙ってこちらを見つめているが、俺は軽く頭を振ると大きくため息をつく。

「どうしたの? どこか痛いの?」


「なんでもない……昔俺が知っている人から話しかけられたような気がして……でも気のせいだと思う」


「……そうなんだ……でも大丈夫私も一緒にいるから」


「……う、うん? ってお、おい……」

 ヒルダはそう答えると、少しだけ逡巡したかのように何度か左右に視線を動かすが、次の瞬間に俺の胸元に顔を埋めるようにしっかりと抱きついてきた。

 俺が驚いて身じろぎすると、ヒルダは先ほどとは違った少しだけ微笑を湛えた顔で俺を見上げて、ほんのりと頬を染めている。

 俺は大きくため息をつくと、ヒルダの頭にそっと手を添えて艶やかな彼女の髪の毛をそっと撫でると、嬉しそうに俺の胸元に再び顔を埋め、大きく息を吐くとそっと俺につぶやいた。


「一緒にこの迷宮から脱出しようね、私も頑張るから……」

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