249 五〇年の謀略の果てに
「……私アイヴィーの前であんなこと考えて最低じゃない……何やってるんだろ……」
シャアトモニアの街中から少し外れた路地をトボトボと歩いているヒルダ……艶やかな黒髪に冒険者風の格好をしている彼女が一人で歩いているのはかなり目立つのだが、それでも彼女に声をかけようという人物は現れない。
女冒険者に軽率に声をかけてはいけない、これは割と不文律に近く、冒険者同士なら許されるものの、そうではない人物が声をかけて何かあった場合は報復が恐ろしいからだ。
戦闘能力が高く、流れ者……犯罪者スレスレの行動をとるものも多く存在し、仕事によっては殺人すら厭わない……世間一般のイメージは決して明るいものではないのだ。
そのおかげで目を見張るような美少女でありながらヒルダに声をかけようなどと思う不届きものはそれまで現れなかった……今までは。
「……恋をしているな? それも強い肉欲に塗れ、奪い取りたい魂がある、と」
「……っ! な、何を……」
いきなり声をかけられてヒルダはその言葉に驚いて後ろを振り返る……彼女の前に藍色のローフを深く被り、ローブの中から桃色の髪を垂らした彼女とそう変わらない背丈に見える女性が立っている。
ヒルダは直接相対したことがない
そしてそのネヴァンのローブからのぞく口元がニヤリと少し歪んだように見える……ゆっくりとネヴァンが近づくと、少し細くて鋭く尖ってはいるが、手入れの施された爪が伸びる手が優しくヒルダの頬を撫でる。
「隠さなくていい……お前の手に入れたい男……これは、ああ……これはこれは……クハハッ」
「……な、なんでわかるの……?」
「わかるさ……私はお前の考えていることならなんでも……彼を手に入れたい、彼に抱かれたい……彼の逞しいものを受け入れ快楽に溺れたい……それがお前の心だな?」
ネヴァンはニヤニヤと笑う口元だけを見せながら、ヒルダの頬に沿わせていた指を優しく、愛撫するかのように首筋へ、そして鎧の上からそっと彼女の小ぶりな胸を撫でるように動かしていく。
その動きに抗い難い何かを感じて少しだけ身を震わせながらされるがままになっているヒルダ……彼女は気がついていないが、周りには誰もいなくなっている。
「……ど、どうしたら……彼を手に入れられるの……私を愛してもらえるの……」
「そうね……私のいうことを聞けるかしら?」
その言葉に黙って何度か頷くヒルダ……すでに危機感や警戒感が薄れてきている……この娘は操りやすい、昔相対したクリフ・ネヴィルの隣にいる
やつも罪作りな男だ、とはネヴァンは思う……記憶を軽く覗いてみてクリフの態度は明らかにこの娘の望むものではない、まるで保護者のような立場を保っている。
「……よろしい……私の名を伝える、私の名前はネヴァン……あなたの味方で魔法使いよ」
「ネヴァン……さ、ま……魔法つか……」
「私は今クリフを欲している人の元にいるわ、今受けている仕事が終わったら、この薬を彼に飲ませて……方法はなんでもいいわ。それが終わったのを私は確認してクリフを連れていく……そのあと場所は用意してあげる、二人きりで愛し合える場所をね」
ネヴァンは微妙に焦点の合っていないトロンとした目で渡された薬を眺めるヒルダを見て、魔術が完璧に動作していることに満足感を覚える。
ふとヒルダの目がネヴァンの背後を見たのに気がつき、彼女は口元を歪める……そこには
「おい、確かに俺はクリフを手に入れたいって言ったが、それは正攻法で口説くつもりなんだ……これは、その」
「クリフをお前の眼前に引き出す、それだけよ……ヒルダ、いやヒルデガルド。彼のことは忘れなさい」
「忘れ……ま……す……彼は見……てない」
「お、おいこれまさか俺にかけたりしてないだろうな? 側から見てるととんでもなく怖いぞ」
カイが素直に頷くヒルダを見てネヴァンに話しかけるが、「安心しろ」とばかりに彼女は指を立てて横に振ると口元を歪める……さて最後の一押しだ。
ネヴァンは深く被ったフードを捲り上げて、山羊のように不規則に回転する金色の目をむき出しにすると、ヒルダの目を覗き込みながら、眼球を回転させていく。
その動きに合わせて、ヒルダの顔に恐怖が浮かぶ……だが動くことができない、ネヴァンの精神操作は若い彼女に抗えるほど優しくはないのだ。
「気になるわ……お前の秘密を話しなさい、お前の髪、
寂しげな表情で宿の方向へと小瓶を大事そうに抱えて歩いて去っていくヒルダを眺めつつ、ネヴァンとカイは少しだけほっと息を吐く……ジブラカン王国最後の血統、王族の血を引く亡国の姫……アルピナが手がけた計画にその名前があったことを今更ながらに思い出し、ネヴァンは少しだけ表情を歪める。
クリフ・ネヴィルはその姫の血を自らの元に囲い、権力を得ようというのか? ジブラカン王国は確かに滅びた、そして絶滅した血統ではあるが……ジブラカンの血脈が何を意味しているのか、クリフは考えてもいまい。
「
「……神の直系? そのうち神様になるとか?」
「違う、神と人間の間に生まれた子孫というだけ……黒い髪、東方人とも違う月夜に似た髪色は王家の証……今更気がつくとはな……五〇年前に
ネヴァンは少し遠い目をしながら王国と帝国の戦争を思い返す……楽しい経験だった、憎しみの連鎖、負の感情の爆発、悲しみ、絶望、そして恐怖。
ジブラカン王家の血は神の血を引く……
「……どうやら
「な、なんだよ急に訳のわからないこと言い出して……気持ちわるいなあ……」
「かの国に伝わらん、大きな火種。火種に見えるのは、仮面の王、剣持つ男、竜の末裔、道征く者、赤き衣の賢人そして、さ迷える魂。行く末は見えぬ。ただ破壊と混沌の中にこそ再生の道が示される……聞いたことはないか?」
カイは黙って首を振る……ネヴァンはふむ……と顎に手をやって少し考えるような仕草を見せる。
伝説の中に埋もれた
そしてそのクリフを愛してしまった少女ヒルダ……
「……面白い、面白すぎるぞ……一度死んだ時には馬鹿馬鹿しいと思っていたのに、今は最後のその瞬間、最終戦争を見たいと思ってしまっている……」
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