248 淫靡なる負の感情
——その気持ちに気がついたのはつい最近だ、私はクリフに恋をしている。
ヒルデガルド・マルグレッタ・ジブラカンの隣に立っている金色の髪を靡かせる女性……アイヴィー・カスバートソン、帝国伯爵令嬢にして
金髪の剣姫の異名を持つ帝国有数の剣士であり、クリフ・ネヴィルの愛人かつ飼い主……と世間では噂されているらしい。
飼い主ってなんだ? と思っていたけど、彼女の身分とクリフの出自を考えれば、確かにそういう噂が流れてしまうのは仕方がないところだろう。
「……ではモーガンという魔女が現れたのは最近というわけではないのですね……」
シャアトモニア
アイヴィーは美しい……金色の髪は二つに束ねられているがそれでも長く伸ばされており、サラサラと靡くことで金色の光を放っている。
スタイルも見事だ……湯浴みを共にした時に見たけど驚くほどに豊かな胸と、くびれた腰、そして肉付きの良い体……私にはないものをもっていて、服の上からでもその見事なプロポーションは人目をひく……健全な男性であれば通り過ぎる彼女を思わず見てしまうだろう。
「モーガンは一〇年以上前にこの沼へと……元々は……」
私がはっきりとクリフへの気持ちを自覚したのはつい最近……私がそれまで過ごしてきていたジブラカン王国軍、帝国から見れば残党軍だったそうだが、そこから連れ出してもらった当初はそれほど気にしているわけではなかった。
冒険を共にしていて、苦しい時や辛い時にそっと優しく頭を撫でてくれたり、野営の時に細かな気配りをしてくれたり、寝ずの番で一緒になった時にそっと見守っていてくれたりと、彼の優しさに気がつくまでには時間はそれほどかからなかった。
それでも、私は彼のそばにいるアイヴィーとアドリアの二人を羨ましいと思ったことはないし、いつか彼とは良い関係を築ければいいとだけ思ってきていたはずだった。
恋と呼べるのかわからないが……冒険をしている途中、宿へと宿泊した時に私は偶然だが夜中、たまたま彼らの部屋の前を通る時にクリフとアイヴィーが睦み合う姿を見てしまった、扉の影から部屋の中を覗く自分の目の前で行われている淫らな行為。
王女としての一通りの教育は受けていたが、男女のそういった行為を実際に見たわけではなかったので、実際の行為自体がどういうことなのかわかっていなかった。
寝台の上でアイヴィーが普段絶対に見せないような表情を浮かべ、甘ったるい声でクリフを求める姿……見てはいけないものを見てしまった気がしたが、私はその場から離れられずに二人の情事を見ながら自分自身を慰めていた。
ジブラカン王国最後の王女としての教育の中で自分の体がどういう機能を果たすのか、などは教えてもらっていたが、そんなことをしたのは生まれて初めてだった。
淫らだとか、はしたない、と思ったのかもしれない……でもその時の羞恥心を超える快感は未だに自分の体に刻み込まれている……慰めるだけでは足りない、クリフを自分へと受け入れたい。
目の前の女性が自分であると想像して……彼に抱かれ嬌声を上げる自分に置き換え、心臓が跳ね上がるのを感じて私は自分の抱えている気持ちに気がついた……そうだ、私はクリフに愛されたい。
その夜以降クリフを求めるアイヴィーの姿を自分に置き換える夢を見ている……彼は私をどう優しく扱ってくれるだろうか? 彼は私の体を見てどう思うだろうか? 私は、アイヴィーよりもアドリアよりも愛してもらえることができるだろうか? 彼は私だけを見つめてくれるだろうか? それが一夜の出来事だったとしても。
私は彼が大好き……身も心も、誰よりも……私だけの、私だけのクリフが欲しい、私のことを見て欲しい。
「ヒルダ? 聞いてる?」
「……ん? な、何?」
「モーガンのこと聞き終わったわ、あんまり情報としては質は良くないけど、無いよりマシね……戻りましょう」
アイヴィーが羊皮紙にまとめられた写しをヒラヒラと揺り動かして苦笑いのような笑みを浮かべる……その笑顔があまりに美しくて、私は少しだけ彼女に見惚れてしまうが……それでも何か余裕のようなものを感じて心の奥底に小さな嫉妬心を感じてしまう。
彼女やアドリアは愛されて、私は引率される子供のような扱いを受けている……私だって、彼を受け入れられるというのに。
「じ、じゃあ……クリ……あ、みんなの元に戻る?」
「そうね……他の人も心配するだろうしまっすぐ戻ろうか」
アイヴィーの言葉に私は黙って頷くと、彼女は私の前を歩き始め……慌ててその後ろをついていくことになる。私より背が高い……そういえば昔よりも肉付きが良くなったって湯浴みの時に話していたっけ。
アドリアもアイヴィーの成長が羨ましいと愚痴を溢していたのを覚えている……前を歩く彼女を見て、私は内心嫉妬心を覚えてしまう。
女性としても、貴族としても彼女は堂々としていて立派だ……周りの男性冒険者が彼女を見る目は、下心を込めたものが大半だが、尊敬のような眼差しを向ける人も少なくない。
「……ねえアイヴィー……周りの目、気にならないの? その……下世話な話をするのも居るじゃない……クリフに色目を使う人だって出てくるし……」
唐突に後ろから話しかけられて、彼女はおや? という表情を浮かべて私を見てから、クスッと笑う……その笑顔がまるで私にはない大人の余裕のようなものを感じて少しだけ心がざわつく。
違う、私は彼女が憎いわけじゃない、でも嫉妬のような感情が心の中にささくれ立っていくのを感じて、ほんの少しだけ奥歯をギリギリと噛み締める。
「周りがどう見てようと、私は私の信じるものを貫くだけ……それと別に彼が誰を愛そうとも問題ないわ」
「……ど、どうして? 他の女に取られるかもって……」
「……私の父もお母様とは別の女性を囲ってたわ、それでも子孫を残す、家を残すのだから問題ない、そう教えられてきたから……私はアドリアと平等に彼を愛するだけ、他に何人増えようとも彼は私をちゃんと愛してくれるから、それでいいの」
アイヴィーの言葉に私は……心の中にひどく醜い自分の本性を知った気がして、顔には出さないが動揺する……私は、クリフを独占したいと思っている、アイヴィーよりもアドリアよりも自分を愛して欲しいと願っている。
目の前にいる美しい女性は、平等に彼を愛すると口にしている……そんな気持ちにどうしたらなれるんだ?
下を向いて黙り込んだ私を見て不思議そうな顔をして居るアイヴィーだが、私は彼女に自分の顔を、今浮かべて居る表情を見られたくないと思って早足で歩き出す……今私が浮かべている表情は、たぶん自分でもわからないくらい醜い欲望に塗れた表情だろうから。
「わ、私少しだけ街を散策する……ッ! アイヴィーは先に宿に戻ってて!」
「……おや? 淫靡なる負の感情……随分と青臭く乳臭そうな匂いだが、これは気になるな……」
「なんだよ、せっかくお忍びで街に来てるってのにお前単独行動するってのか?」
「
「はぁ?」
「お前のその『なんだその気持ち悪い本能』……という感情もまあまあ旨いな、後で覚えておけ」
ネヴァンはニヤリと笑うと、本心を見抜かれたカイはうげっ、と言いたげな表情を浮かべる……レヴァリア戦士団本隊とは別に、二人はこのシャアトモニアへとお忍びでやってきている。
ネヴァンはじいっとフードの奥からその金色の眼をグリグリと回して先ほど感じた感情の出どころを探す……見つけた……黒髪の少女、どこかで見た気もするが細身で美しい少女が下を向いたまま必死に何かから逃げるように小走りで通り過ぎていく。
「弱い心……あれか……随分と恋焦がれて、これは醜い、随分と醜い本心だ……いいなあ……少し悪戯をしてやろう……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます