230 溶け合うように、混じり合うように

「結果的にあれで良かったんでしょうかね」


 夜の街道を進む馬車の御者台にならんで座っているロスティラフがぽつり、と呟いたのを聞いて俺は彼の顔を見上げる。隣に座っているロスティラフはあくまでも前を向いたまま、馬車をゆっくりと走らせている。

 次の街……街道をブランソフ王国方向へと進んでいくと、ヒドラ山脈の辺りにある小規模な都市であるアーヴァインが存在しているらしい。地図上の記載でしかないのだけど……。

「わからない、でも放ってはおけなかったんだよ……もしあのまま全滅させていたら俺は多分一生後悔したと思う」


「ヒルダのこともありましたかな……あの時は上手くいかなかった」

 ロスティラフの言葉に俺は黙って頷くと、荷台で毛布に包まって寝息を立てているヒルダや他の仲間の様子を目で確認すると、懐から一房の毛の塊を取り出して眺める。

 これはドドロバス達狼獣人ウェアウルフの尻尾の毛を一部刈り取って集めたもので、討伐証明のために冒険者組合ギルドへと提出するものだ、俺はそのままそっと懐にその塊を入れ直す。

 彼らはすでに知恵者ウィズダムの領地へと送り届けた、あとは彼らが定住する場所を手に入れてどの様に変わるのか? だけを信じるしかない。

知恵者ウィズダムも受け入れは問題ないと話していた、だけども戦士の血が彼らを再び殺戮へと駆り立てるなら殲滅するとも……でも俺は人は変われるって信じてる」


「……まあ、知恵者ウィズダム狼獣人ウェアウルフ如きでは殺せないでしょうしな……あのドドロバスという戦士ですら、赤子扱いになるでしょうよ」

 ロスティラフが軽くため息をつくと、ほんの少しだけ馬を進める速度を上げると軽くガタン、と音を立てて馬車自体が軽く跳ねる。

 荷台で誰かが息を呑むような声が上がるが、すぐに規則正しい寝息に戻る……馬車での旅に慣れてきている俺たちはこんなに乗り心地の悪い乗り物の上でもちゃんと眠れる様になっている。

 冒険者の移動手段は徒歩、馬、馬車の三択……俺たちのように大所帯になると、それは一つの隊商キャラバンと同じような装備が必要になってくる。

 今俺とロスティラフが御者と警戒をつとめ、他の仲間は仮眠を取ってもらっている。

「しかし……案外到着しないものですな……」


「地図もそれほど精度が高いわけではないからね……それでもあの丘を越えればそろそろ見えて来ても良いくらいだけど……」

 俺とロスティラフはお互いに顔を見合わせて苦笑すると、その後はお互い黙ったまま前を見つめている。

 帝国を出発する際に、もう少し高級な馬車を……とセプティムさんや、カスバートソン伯爵は申し出てくれたのだけど、俺たちはあくまでも冒険者であることを説明し、最もシンプルで頑丈な作りをしたこの馬車を手に入れた。

 見た目はお世辞にも洗練されているとは言えないものの、要所要所の補強や頑丈さ、そして幌付きであることで天候の変化にも耐えられるという理由で今の馬車を選択している。


 御者台に座ると毎回思うのだけど、この世界の馬車……乗り心地は本当に良くない。

 道も整備が行き届いているわけではないので、路面は荒れているので撥ねたりもする、この馬車は帝国で乗った様な最新型のものではなくどちらかというと荷物運びに使うような質実剛健なものだ。

 それ故に歩かなくて良いというレベルの代物でしかなく、このとんでもなく乗り心地の悪い馬車で移動をするというのはかなりの苦痛だ。

 緊張感の中行う野営とあまり変わりはないし、仮眠から起きると体はバキバキになっていることもある、それでも冒険者や兵士として慣れてくるとそういう状況でも休息を取ることができる様になる。

「思ったより時間かけちゃったからなあ……早く街に入って宿で休みたいところだよね……」


「そうですな……お、灯が見えますな……」

 ロスティラフの言葉に前を見ると、丘の先にぼんやりと何かが道の先で光ってるような灯火のようなものが見えている、この世界の街も夜は非常に暗く、照明器具の類もそれほど明るいわけではないわけで、野山などは本当に真っ暗だ。

 街道をとぼとぼと歩いているときに薄ぼんやりとした灯火を見つけた時の安心感といったら……恥ずかしい話だが、こう言う夜道を進んでいるときに見える灯には毎度胸が高鳴る。


「なんとか、宿にはたどり着けそうだよね……」

 その瞬間にいきなり視界が灰色になったかと思うと、全ての時間が恐ろしくゆっくりと進むようなそんな感覚に包まれる……まるで記憶がフラッシュバックするかのようにノイズをともなった光景が、俺の視界いっぱいに広がった。

 その光景は俺がまだ見たことがない、街の中で俺を見上げるように卑屈な笑みを浮かべる初老の男が話しかけてくる光景だ。

 だが俺の感覚にはこの光景が少し前の光景であること、を告げている。これは記憶? 俺自身はこの辺りに来るのは初めてなのに……どう言うことなのだろう……これは誰かの記憶なのだろうか?


『……御心のままに、王国は導く者ドゥクスの御心に従っております……』

 初老の男は怯えのような感情の入り混じった目で俺を見つめているが、その顔には全く見覚えがなく、初めて会う男性のようにも見える。

 俺自身は目の前の男に軽蔑のような感情を持って口元を歪ませる……彼の視線が俺の胸の辺りを行ったり来たりすることに、軽い嫌悪感を感じつつもそれでも俺はその視線に耐え、気にしていないと言わんばかりに軽く鼻を鳴らす。

 そして口を開いてでたその声は、俺ではなく女性……戦いの中で俺が殺したはずの混沌の戦士ケイオスウォリアーアルピナの声が発せられる。

『それならそれでいいわ、ブランソフ王国は導く者ドゥクスの意志の元に踊ればいいのよ……あなたは役目を果たせばいいの、騎士団長……ジロジロ見てないで早く行きなさい、指令は伝えたわよ』


 怯えたように初老の男は何度か頭を下げながら、その場を離れていく……俺は手元に持った羊皮紙を再び広げると、その中に書かれている文字を見つめてうっとりと笑う。

 そこに書かれている文字を見て、俺はクスクス笑い始める……ようやく、ようやく時が来た、混沌の戦士ケイオスウォリアーである自分達が何年もかけて導く者ドゥクスの意志を浸透させた結果だ。

 この王国はある意味忘れられている……そうなるようにずっと仕込みを続けて来たのだから、そうなるのは当たり前なのだ。再び混沌ケイオスの存在が世の中に浸透するように、俺たちはずっと暗躍し続けて来たのだから。

 最後にぐらり、と視界が歪んだ気がすると周りの景色に色が戻っていく……それと同時に俺の意識が暗闇の中に掻き消えていくのがわかった。


『さあ、この王国を足がかりに、私たちは目的を成就しましょう……世の中に混乱を、そして愛するものには永遠に混じり合う愛情を……溶け合うように、混じり合うように』

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