199 立ち込める黒雲
「お、おい俺たち本当にあんな大軍と戦うのか……?」
トゥールイン守備隊は眼前の平野に広がる帝国軍を見て、身が凍る思いをしている。トゥールイン守備隊は一五〇〇人程度の小規模な軍隊でしかなく、帝国の都市を守備する軍隊としては比較的規模が大きいものの、その四倍近い軍を目の前にするとその差は歴然としていた。
「こっちにはレヴァリア戦士団もいるんだぞ? あいつらがついた軍は負けないって噂になってるじゃないか」
別の兵士が先ほどの言葉に返すように答える……ただその兵士の顔も恐怖に歪んでおり、彼らとしても先日まで仲間として立っていた頼り甲斐のある帝国軍が敵に回ったという事実を今改めて思い知らされているのだ。
本音としては帝国と敵対なんかしたくない、という気持ちとこれまで必死に彼らを食べさせてくれていたトゥールインの支配者であるラプラス家への恩義の間で揺れ動いているのだ。
次第に小波のように兵士たちの話し声が増えていく。
「そこ、私語は禁止だ。まずは相手の出方を見極めるぞ」
守備隊隊長が話していた兵士を注意する……が、彼の顔も緊張で強張っており、兵士たちはその顔を見て余計に不安を掻き立てられている。
あまりに落ち着かない場に隊長が流石に号令をかけようとしたその瞬間、彼に声がかけられる。
「隊長、そこまで緊張しなくていいのよ?」
いきなり声をかけられて……隊長は慌てて声の方へ向き直ると、礼をする……この声はあの混沌の……。彼の背後には
手には不気味な意匠の施された
「い、いえ……我々守備隊は今回実戦となると初戦でございますので……」
アルピナが隊長の顔を見つめながら、ニヤニヤと笑いを浮かべるのを見て兵士たちは心底味方についた異形の女性の笑みに更なる不安感を感じる……。
こいつは怪物だ……心の奥底に感じる恐怖と闘いながら、なんとかその不気味な視線に耐える。
「うふふ……大丈夫よ、数の差は私たちが埋めるのだから」
ゆっくりと
「さあ、戦いを始めましょう。昔々、遠き神の御世において私たち
彼女の手の動きに合わせて、黒雲がそれまで晴れていた空を埋め尽くしていく……これは何の奇跡だろうか? トゥールイン守備隊が急に空を埋め尽くしていく黒雲を見てざわめき始める。
その様子を見て、アルピナはぐにゃりと歪んだ笑顔を見せて笑う……爛々と輝く眼光と恐ろしく純度の高い魔力がアルピナの体を包んでいる。
「うふふ……久々に呼び出すわぁ……血を、暴力をそして絶望を帝国軍へ与えてほしいわ」
「急に天候が変わったな……」
セプティムは馬上で急に黒雲が広がっていくのを見て、思わず口に出してしまう……これは魔法だろうか? トーマス・マコケール将軍が彼の隣で不安そうな顔を浮かべているのを見て、表情を変える。
「将軍、実戦指揮はお任せしますが、私は遊撃として動きたく、よろしいか?」
「ええ子爵……お気をつけて」
将軍は馬上で簡略化された帝国式の礼を行うと、馬首を返してその場から走り去っていく。その様子を見ながら彼のそばにいなければいけないはずの副官……アイヴィーの姿を探すと、少し離れた場所で白い馬に跨って何事かをぼんやりと考えているところだった。
美しい彼女の姿を近くにいる兵士たちは女神でも見ているかのように見惚れているが、彼女自身はそんな視線など気にならないという様子で遠くを見つめている。
「アイヴィー、何をしている移動するぞ」
セプティムの声に反応すると、アイヴィーは彼の隣に馬をつけ、二人はその場から移動を始めていく。数日前に彼女は副官の任務を放棄して、何処かへと移動してそして何事もなかったように戻ってきた。
詰問をしても彼女は頑として応えようとせず、セプティムもある程度予想はしていたため、それ以上の質問を避けていた。
それから副官と
「……救えたのか?」
周りに聞こえないようにポツリとセプティムが呟く……その声に少しだけ驚きを隠せない表情でアイヴィーは少しだけ答えるかどうか迷った様子だったが、意を決したように頷く。
「はい……怪我を負ってはいますが、もう戦場にも立てるでしょう……」
その言葉に安心したように頷くとセプティムは少し馬をゆっくりと走らせながら、彼女を見ずに口を開く。
「お願いできる立場じゃないのはわかっている……だが、
セプティムは少しだけ肩を落として彼女へと命じた……その言葉に、アイヴィーは驚いたようにハッとすると、すぐに表情を変えて敬礼をすると、その場から馬を走らせる。
「拝命しました! 」
「頼んだぞ……アイヴィー……」
セプティムは彼の弟子の走っていく姿をほんの少しだけ見つめると、すぐに馬を走らせて自ら戦場へと移動していく。彼の心の中に広がる不安を押し殺すように、胸を何度か叩くとセプティムは目指す場所へと走っていく。
「戦いはもう始まる……魔法や奇跡があるのであれば、我々の頭上に降ってこないことを祈るよ……」
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