190 帝国地下水道へ

「逃げられそうだな……かなり混乱しているようだし」


 俺とカレン、ベッテガは屋敷から脱出し、街の屋根の上に降り立つと周りの状況を確認して、お互いの顔を見て頷く。街は混乱していた。火事自体は大きくはなかったが、衛兵隊と裏組織の戦士たちの軽い小競り合いがスタートしており、各地で喧騒が起きている。

 それと同時に街のはずれでは、轟音や爆発音なども聞こえており何かが起きている……というのは間違い無いだろう。


「予想外に暴れているのがいるな……早めに脱出しよう。こっちだ」

 ベッテガが先行して屋根の上をジャンプして越えていく……トゥールインは比較的密集した石造の住宅が多く、屋根の上を伝って移動しやすいのだそうだ。

「ま、暮らすにはいいけどね……脱出路の防衛はなかなか大変な街だよね」

 カレンも屋根から屋根へとジャンプして、俺の顔を見て笑う。ここ数日の、少し頬を赤らめて恥じらいの表情を浮かべながら、とても距離の近い打ち合わせをこなしてきた後だと、とても魅力的に見える。

「な、なあカレン……その、なんかごめん」


「あ? 急に何言い出してんだ?」

 カレンは突然走りながら謝り出した俺に違和感を感じたようで、眉を顰めて俺を見つめる。

「あ、その……なんか君にその気がないのに……あの……いい匂いで我慢できそうになくて……」

 俺が言いにくそうに言い淀んでいると、その顔を見てカレンははぁっ、と大きく息を吐き出す。ガリガリと頭を掻いた後に、彼女は俺に走りながら近寄ってきた。

「え? な、何……?」


 少し不満そうな顔のカレンは何も言わずに、そっと俺の頬に手を添えると自分の方に強引に顔を向けさせて、じっと見つめた後……何も言わずに口づけをしてきた。え? と驚いた俺は思わず立ち止まってしまい、すぐに顔は離れていったが、カレンは俺の顔を見ながら悪戯っぽく笑う。

「嫌じゃねえよ……ほら、ぼうっとしてないで早く走れ」

 俺は頷いて……再び走り始める……俺に歩調を合わせるようにカレンが再び横に付くと、そっと俺の腕に自分の腕を添える……も、もしかしてこれは再びのモテ期到来ですかね、僕の!

「お前……あの姫さんだけじゃなくて、剣聖ソードマスターにも言い付けるぞ?」

 顔が緩んだ俺を振り返ってみながら、ベッテガが呆れたような顔をしている……。

 俺たちは、そのまま屋根を伝って走り……、目的地となる家の屋根を降りて、トゥールインの街へと降り立った。




「ここから街の外へと出れるはずだ」

 ベッテガが松明に火を灯して……薄暗くじめじめとした地下水道への階段を降りていく。俺も剣杖ソードスタッフに魔法のトーチをかけて明かりを灯すとぼんやりとした光が辺りに広がる。

「便利なんだねえ……魔法ってのは」

 カレンは感心したように俺の杖を眺めている。

 ……今使ったトーチは便利だけど正直松明ほどの光量は出ないし、明かりの調節は光量をしぼることしかできないという残念感極まりない魔法の一つだ。

 似たような魔法に小さな火種を発生させる発火ティンダーがあるが、まあそれは別の機会にでも話そう。

 魔力をほぼ消費せず簡単に使えるので、魔法の素質がない人間でも覚えることができる例外的な特性もあったりするのだが、魔法使いに求められているイメージというのがあって、例えば光を出す魔法であれば、圧倒的な光量の出るライトとかが普通使用されたりもする、見た目もいいしね。


 ただ、ライトは光量が強すぎてかなり先からその光に気づかれたりするので、最初から隠れる気がない状況ならともかく、今の状況では『ここに不審者がいますよ』と大声で宣伝するようなものなので使えない。

 結局のところTPO状況の考慮に応じた魔法の使用が魔法使いには求められるのだが……まあ、そういう地味な努力はあまり認められないのが現実だ。


「まあ……便利だけど、万能じゃ無いからな……」

 俺はカレンに苦笑いを向けて……彼女を先に進ませる。ベッテガが先導し、カレンを中央にそして俺が後衛。俺が魔法支援に特化した方が良い、という判断だ。

「ベッテガ兄……この地下水道はどのくらいで抜けられそうだい?」


「そうだな……夜が明ける前には出れるんじゃないか?」

 ベッテガは少し思案の後にこともなげに話す……俺たちが脱出したのがまだ深夜になる前だったので、あと数時間はかかりそうということか。

 壁に手をつくと、ヌメっとした苔の感触が伝わって少し嫌な気分になりながら階段を進んでいく。昔聖王国でアイヴィーと探検した地下下水道はこんなじめじめしておらず、トゥールインは地下水道にはあまり手入れをしていないのがよくわかる。

「聖王国は下水とかもちゃんと整備してたんだなあ……」

 俺が思わず口にすると、ベッテガが苦笑いを浮かべる。

「そりゃ国によって扱いは違うさ……お前確かサーティナ王国出身だろ? 王国ではどうだったんだ?」

 その言葉に……王国の下水道事情を思い出して、少し悪寒を感じ過去の記憶を思い出して俺は気分が悪くなって口を抑える。

「……言いたくないです……」


 いや実家と村は結構しっかりしてたんだ、前世の記憶から考えるととても野生的な処理の仕方ではあったが、肥料にするために村の郊外にそういった施設があって、みたいなやり方だったんだが。

 王国の首都で下水道というものが初めてこの世界で見ることができたので、下水道に住み着いた鼠人ラットマンの集団を倒すという任務を冒険者初心者時代に、別パーティの支援として参加した。

 管理もされておらず悪臭が凄まじい状態の下水道に俺……だけではなく、パーティメンバー全員が何度も胃のなかのものを吐き出してまともな戦闘ができず……無理矢理出口に近い場所まで敵を誘い込んで殲滅した、という残念な記憶がある。


 それから比べたらまだマシ、という匂いなので今のところ我慢できるけど、その時の記憶は軽いトラウマになっているのが正直なところなのだ。

 とても気持ち悪そうにしている俺を心配してカレンが見かねて俺の隣にきて……背中を優しくさすってくれる……ありがとう……。


「帝国は比較的マシだぜ……清掃業者みたいなのがいる都市もあるし……ここの状態を見るに、下水とかは流してないだろうが管理は行き届いているとは言えないがね」

 ベッテガは笑いながら……俺の国はもっと酷かったよ、と呟く。その言葉にカレンも頷いているので、彼らの祖国でも似たようなものだったのだろう。

「なあ、ちょっと気になってたんだけどベッテガとカレンってどこの出身なんだ?」

 その言葉に少し困ったような顔を浮かべてカレンを見るベッテガ、ん? 俺は何か余計なことを言ったのだろうか? だがカレンはベッテガの目を見て頷くと……ベッテガはため息をついてボソリ、と身の上の話を始めた。


「俺たちは大荒野のさらに南西に位置しているシャールド地方にある、ブランソフ王国の出身だ……」

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