188 戦闘の気配(インディケーション)

「クリフの様子はどうだった? メイドのカレン様」


 メイドの業務を終えて隠れ家へと戻ってきたカレンに、ベッテガがいつもの笑みを浮かべて状況を確認する。カレンはニヤリ、と笑うと後ろを向くように指でベッテガに促すと、メイド服から普段の服へと着替えていく。

 ベッテガは黙って後ろを向いて待っていると、カレンが着替えながらだが話し始めた。

「ああ、クリフには会えたよ。城の中で随分厳重に匿われていたね」


「怪我はしてたのか?」

 カレンは着替え終わると、メイド服を綺麗に畳んで埃を払う。本来の持ち主に返却しなければならないので、丁寧に扱っているが本来なら追跡を防ぐ上でも使い捨てで焼いてしまいたいところだ。

「軽く見ただけど、身体中に拷問された後はあった。火傷とかね……でも動くことには問題なさそうな状態だったよ……着替えたから大丈夫」

 ベッテガはカレンの言葉で後ろを向いていた椅子を直して、カレンの対面へと座りなおす。いつものカレンの服装になっているが、化粧などを落としているわけでは無いので傭兵らしく見えないな、とベッテガは素直に思った。

「拷問されたのを治したのか……混沌の戦士ケイオスウォリアーってのも優しいんだな」

 ヘヘッと笑いながらベッテガは、目の前にトゥールインを模した簡易地図を机に広げる。そこには幾つか彼が入れたであろうなんらかの指示の記載が記録されている。


「どうも混沌の戦士ケイオスウォリアーは裏でなんかしてるらしくてな……裏組織の連中は反抗する機会を窺っていたようだ。こっちに協力してくれるってよ」

 記載を一つ一つ指差しながら……そこで何が起きるかを彼の中で確認しているようだ。カレンはそんなベッテガにクリフが話していたことを伝える。

「そういや装備がねえって言ってたよ、なんでも取り上げられたままになってるとかで……当日はそれも探さないとダメだね」


「あいつの装備って結構高価なものが多いよな……だとしたらそんな遠くには置いていないはずだ。あいつが匿われてる部屋の近くを探すといい」

 カレンはベッテガの言葉に頷く……どちらにせよあの城から逃げ出すにもクリフの魔法が必要になるだろう。どう言った生活を送っていたがわからないが、本人も動けないことに相当な不満を持っているような表情を浮かべていたので、戦いには不安はないだろう。

「ベッテガ兄、うまくいくかね? 私はクリフを助けたいって思ってるけど、今更ながらちょっと後悔してるよ……」

 カレンは少し不安そうな表情で、地図を見ているベッテガに話しかける。正直言えば、クリフを助けるために彼が匿われている城の中にある屋敷の中へと突入する役目は、ベッテガとカレンしかいない。

 戦闘能力的には自信がある二人だが、それは人間相手の戦いに限った話であって、混沌の戦士ケイオスウォリアーなどの規格外の化け物相手の戦闘ではないのだ。


「ま、なんとかなるんじゃねえか? ……当日は裏組織の連中が派手にやるって言ってたんで、衛兵も少なくなるだろう。それと俺としては、お前がクリフにあんまり熱を上げてもらっても困るんだがよ」

 ベッテガはヘヘッと笑うと、心配そうなカレンの頭を優しく撫でる。

 そうだった……いつもベッテガ兄のいうことは正しかった。彼女が土地を追われた時も、旅の中で傭兵として生計を立てると決めた時も、ベッテガは正しいと思ったこと、その先の道を指し示してくれた。今回も、正しいと思うことをしてくれている。


「そ、そこまでじゃないよ! 第一あの姫さんに勝てるとは思えないからね……」

 金色の髪と赤い目をしたあの美しい貴族の令嬢は、本当に心の底からクリフを心配していたように思える。あんなに真剣な顔で人から頼まれたのはカレンの人生で初めてだった。

 何年も傭兵として生活をしているが、カレン自身は色恋に興味を持ったことはなかった……それでも初めて興味を引かれた男性はクリフであり、そのクリフにはあれほど美しい女性がそばにいる、と思うと少しだけ胸が締め付けられたような気分になる。

「そうか? お前の本当の血筋を考えたら……あの姫さんとも引けは取らねえと思うが……それと俺から見てもお前は本当に綺麗だよ、カレン」


「ベッテガ兄に言われてもな……」

 ベッテガの言葉で苦笑いを浮かべたカレンは、自分の武器の手入れをするために席を立つ。そんなカレンの様子を見ながら……ベッテガは彼女に聞こえないようにそっと呟いた。

「謙遜しなくてもいいのに……傭兵稼業が長すぎたかもな。あの方に叱られちまうな……」




「……トゥールインの様子がおかしい」

 クラウディオは窓から夜の闇の中、しんと静まり返った街を眺めてつぶやく。その言葉に机を囲んでワインを飲んでいたアルピナとカマラが窓際に立つクラウディオを見る。

「一体どうしたの? 揉め事?」


 アルピナの問いにクラウディオは窓の外を見たまま……顎に手を置いて何かを考えるような仕草をしている。

「これまでと空気が違う、何か起きるぞ」

 クラウディオはニヤリ、と笑って窓の外を眺めて一人満足そうに笑う。全くこの男は……とカマラは呆れたように手酌でワインのボトルから、自分のグラスへとワインを注いで、軽く煽る。

「それって戦士の勘ってやつ?」


「貴様にはわからぬか……この空気は戦場の気配だ、戦いの準備を整えよ。アルピナは閣下を守れ」

 クラウディオは大股で部屋を出ていく……今彼は儀礼用の服装をしており、本来の板金鎧プレートメイルを着用しにいったのだろう。アルピナもその言葉に従い、グラスに残ったワインを煽って飲み干すと、すぐに部屋を出ていく。


 カマラはいってらっしゃい、とニコニコ笑いながら一人部屋へと残る。どうせ彼女の仕事は今夜戦うことではない、どちらかといえば帝国軍との戦闘時に全力を出すと決めて……今回は完全に高みの見物を決め込むつもりだった。

 カマラはつまらなさそうに大きくあくびをすると、椅子の上で伸びをして独り言を呟く。


「ネヴァンは導く者ドゥクスに呼ばれてるのか、ま……揉め事はクラウディオに任せればいいわね」

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