182 新しい依頼(リクエスト)

「クリフが敵の大将らしき騎士と戦って戻ってこない!?」


 帝国軍傭兵部隊の敗走と壊滅は、帝国軍本体と後方の支援部隊にも伝わっていた。その報告を目の前で痛々しい治療の跡を残すロスティラフから聞いたアイヴィーは、倒れそうになる自分の体を椅子にしがみつくようにして必死に支える。

「申し訳ない……彼が逃してくれなければ、私たち全員が捕虜になるか、死ぬしかなかっただろう」

 アイヴィーに話しかけているのはカレン……彼女も逃走の際に細かい傷を負って、体のあちこちに包帯を巻いた状態だが……それでも悔しそうな顔で目の前の美しい女性に報告している。


 この女性は……この金髪の美しい帝国貴族の娘は、ロスティラフの話によるとクリフ・ネヴィルの恋人なのだそうだ。貴族にちょっかいを出して殺されていない、という事実に多少の驚きを感じるが、どうもあのクリフ・ネヴィルという魔法使いは独特の雰囲気と魅力を持っているらしい。

「少し……気になるわね……そんなにいい男なら……」

 軽く舌なめずりをしたカレンが小声で呟く……自己犠牲の精神、あの男はカレンが言いたいことを理解して頷いたと思う……仲間にできたらこれからの彼女たちのやろうとしていることに役立つだろう。

 そんな彼女に気がついていないのかアイヴィーは椅子に座り直して何事かを考えたあとに独り言のように口を開く。

「私だけでも……助けに行かないと……」


「それは許されん、許可はできない」

 いきなり声をかけられて……全員が天幕の入り口を見ると、そこには帝国が誇る剣聖ソードマスターであるセプティム・フィネルが立っていた。

 慌てて傭兵と、ロスティラフは膝をつくがアイヴィーは理解ができないという顔で、師匠へと詰め寄る。

「なんでですか?! 師匠せんせいだってクリフのことが……彼が心配なはずです!」


「お前は帝国軍の……どういう立場で参戦している? 答えてみろ」

 セプティムは普段の柔和な、優しい表情ではなく……あくまでも帝国貴族として、軍人としての厳しい表情でアイヴィーに問う。

 そうだろうな……とベッテガが二人の様子を見ながら考えていた。どうやらあのクリフは剣聖ソードマスターとも知己の人物らしいが、感情的になっているアイヴィーという娘よりも、剣聖ソードマスターは立場と状況を理解していると感じた。

 あくまでも一傭兵の救出に戦力など裂けない、のはこれはもう帝国軍の軍規からしても仕方のないことなのだろう……剣聖ソードマスターは右手を痛々しいほど握りしめている。

 彼も辛いのだろう……クリフを救いに行きたいと思っているのは何もアイヴィーだけではないのだ。

「私は……師匠せんせいの補佐官として……参戦しております」


 アイヴィーはこの時初めて、目の前の敬愛する師匠せんせいが本気で憎いと思った……どうして私がやりたいことを、させてくれないのか! と声を荒げてしまいたかった。

「よろしい、ではトゥールインへの進軍がある、荷物をまとめて準備をしたまえ。傭兵諸君……治療が終わったら報酬を受け取って、自由にしてよろしい」

 その言葉に、傭兵とロスティラフは首を垂れて……了承の意を示す。セプティムはそのまま天幕を出ていくが、それを見送ったアイヴィーはあまりの悔しさに近くにあったテーブルに拳を叩きつけ、肩を震わせる。

「私は……私は……」

 そのままテーブルに突っ伏して、震えるアイヴィー。ロスティラフは彼女を宥めるように声をかけながら優しく彼女の背中をさする。


「ベッテガ兄……あの剣聖ソードマスターは、『治療が終わったら、自由にしてよろしい』と話していたね」

 カレンはそんな二人の様子を見ながら、一人呟く。長年行動を共にしていたベッテガはカレンの顔を見て……そこに浮かんでいる表情を見て、呆れたような顔を浮かべる。

「おい……まさか、助けに行くなんていうんじゃねえだろうな? あとは帝国軍に任せて俺たちは別の場所へ行こう」


 カレンはそんなベッテガの言葉に首を振る……わかってはいたが……カレンは一度こう言い出すと彼のいうことは聞かない。

「クリフを救出したら、褒美がたんまりでるんじゃないかい? なら私らの目的に合うじゃないか……それにあのクリフ……そこらへんの魔法使いよりも遥かに信頼できるやつだったろ? 今度は私らが力になる番さ」

 ベッテガはじっとカレンの目を見つめる……兄と妹と名乗ってはいるが、彼らは本当の兄妹ではない。とはいえ傭兵家業も長く続けてきた彼女が何を言いたいのかは理解していた。

「仕方ねえな……俺もあいつがこのまま死体になっちまったら、目覚めが悪い。やるか」


 その言葉に嬉しそうに頷くと……カレンは肩を落としているアイヴィーとロスティラフに声を掛ける。

「なあ、提案だけど……私らがクリフを助けに行くよ。あんたが動けねえってなら、力になりたいんだ」

 その言葉に驚いたような顔で、カレンを見るアイヴィー……本当に綺麗な娘だ、とカレンは思った。赤い目は、おそらく帝国でも有数の名家の生まれなのだろう。昔そんな話を聞いたことがあったな。

「ほ、本当ですか? あの人を……クリフを助けてもらえるんですか?」


 必死に懇願するような顔で、カレンの手を握りしめるアイヴィー……、その必死な顔を見て、この娘が本気であのクリフのことを心配していることがわかる。その顔を見て、少し心にちくりとした痛みが走る……私は彼女ほどあいつのことを心配しているわけじゃない……どちらかというと利用するために救い出そうとしているのだ。

「任せてよ、ベッテガ兄と私はあいつに命を助けられた……だから恩返しくらいさせてほしい」

 カレンはにっこりと笑って……アイヴィーの手をしっかりと握る。それを見たベッテガは心の中でため息をつくと、苦笑いを浮かべてその様子を黙って見つめて心の中で呟く。


「本当に助け出せるかどうかは、わからないがな……もう死体になってる可能性だってあるんだぞ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る