174 嘘と香水(パフューム)
翌朝、俺は食堂で食欲もないまま目の前にある食事をつついていた。
昨晩俺はダニエラの言うところの
『癒しが欲しければまたおいで、あんたの恋人にはバレないようにね』
ダニエラが粗末な寝台の上で俺を見る視線がとても熱っぽかったのを思い出して、少し胃がムカムカする思いをしている。いや、彼女はとても……アイヴィーやアドリアとは違った魅力を持っていて、その魅力に強く惹かれたことは確かだ。
しかし、俺は二重の意味で罪を重ねた気がする……一つは戦士でもない人の魂を滅ぼしてしまったこと、もう一つは俺は恋人であるアイヴィーとアドリアをある意味裏切ってしまったことだ。
冒険者になってからも俺はアイヴィーとアドリア以外の女性と何かをしたことはない……そうしたいとすら思わなかったし、はっきり言えばこの世界に来てから恋愛やお付き合いというのをしたのはアイヴィーが初めてなのだ。
だからこそ二人と同時に付き合っている現状以上のことは望んでいなかったし、そんな気にもならなかったのに……自分がとても卑しい人間なのではないかという気分にすらなっている。
「俺はなんてことをしてしまったんだ……」
頭を抱えて……後悔を噛み締めている。あの男性は、確かに横領をしたのだが、ある意味他人から騙されて借金を背負うことになっており、別の意味では被害者だった。
確かに横領をしたことは悪だろう、でもそれは悪事に身を染めることでしか解決ができなかった問題だったのかもしれないし、止むに止まれずの犯行だったかもしれないし。考えれば考えるほど、自分がとんでもない罪を犯したのではないか? という自己嫌悪に襲われる。
「あ、いたいた。クリフ、一人でご飯食べてどうしたの?」
朝から明るいアイヴィーが笑顔で俺の隣に座る……彼女の笑顔を見て俺はびくりと体を震わせる。俺は彼女を裏切ってしまったんだと言う罪の意識が脳裏に強く焼き付いて……俺は彼女の顔を見れずに、目の前の朝食を必死に口に入れて、喉に詰まらせて咳き込む。
「ど、どうしたの? 大丈夫?」
「だ、大丈夫だよ……ごめん」
明らかに動揺した俺を見て、少し訝しげな疑うような顔をするアイヴィー、少し鼻をひくひくと動かして……彼女は俺をじっと見つめる。
「……昨日どこに行っていたの?」
目が……彼女の魔力を持った目が俺を射抜くように見つめる。まずい、これは明らかに疑っている目だ。何度かこういう目をした時に、嘘を見抜かれているので俺はその目を見ないように、視線を外して誤魔化すことにした。
「し、下町に少々……」
彼女の目を見ないようにして、俺は呟く……嘘じゃないし、これは大丈夫だろう。じーっと俺を見たアイヴィーはホッと息を吐いて、少しだけ安心したような顔をして笑う。
「嘘じゃないわね……なら安心した」
「そ、そうだろう? 俺が君に嘘を言うことなんかないよ、今までもそうだろう?」
アイヴィーは少し考えるような仕草をしたのち、にこりと笑って俺を見つめる。その笑顔を見て、俺はとても後悔した……信じてくれているんだ、こんな明らかな嘘でも。ズキリと胸が痛み俺は思わず口を開いた。
「あ、あの……本当に信じてくれてる?」
俺が不安になって彼女に尋ねる……その言葉にアイヴィーは急に笑顔をやめて真顔で頷いて答える。
「あなたのいうことなら信じるわ、むしろ私が嘘を見抜こうとしているのが悪いのだし。クリフ、なんでも相談して、とは言わないわ。でも言えるタイミングになったら必ず話してちょうだい、一人で抱えないで」
アイヴィーは俺の頬に華奢な手を添えて、ものすごく真剣な目で俺を見つめる。赤い紅の眼が少し潤んだように見える……俺の明らかな嘘に理由があるとわかって、彼女はそう言ってくれているのだろう。
「大丈夫……ちゃんと話すよ」
そんな彼女の真剣な眼差しに俺が頷いて答えると、彼女は笑ってその場を去っていく、少し早足で逃げるように……。
「ちょっと用事があるの、また後でね!」
急に立ち去っていくアイヴィーを見て、俺はとても不安感に襲われる……もしかして気がつかれたのだろうか? それとも彼女を裏切って別の女性と同衾したことに感づかれただろうか? いやちゃんと匂いは落としたとはずだし、そんな陳腐なミスはしていないはずだ。
堂々巡りになりそうな思考をまとめようと必死になるが、どうにも思考がまとまらない……朝食はもう冷めていて、これから食べても美味しくはないだろうけど、俺は残りの食事を口に詰め込んで無理やりに飲み込む。
食堂から逃げ出すような格好で廊下へと出たアイヴィーは、壁にもたれかかったまましばらく動けなかった。
「クリフのバカ……本当に嘘ばっかり……」
口からこぼれる言葉は……愛する男が恐ろしく下手くそな嘘を、眼の力など使わなくても明らかに動揺を隠せない視線で、アイヴィーですら気がついてしまった嘘を口にしたクリフへの言葉だった。
「聞いちゃったら私があなたを軽蔑すると思ってるんでしょうけど、私はあなたを見捨てない。あなたが私を見捨てなかったように、私もそうするの……だから……」
アイヴィーはぎりり、と奥歯を噛み締めるとそれでも心の底から愛する男を支えるにはどうすればいいのか? と考える。そもそも……彼は昨晩誰かと一緒にいたのだろう。男性が絶対につけないような香水の匂い……本当に微量の匂いだったが、それを感じた。
昨晩自分のところに来ることができないくらいの出来事があったのだろう……それを紛らわすために、ある意味自分とアドリアを裏切ったことを後悔しているような気もする。
でも自分からしたら、精神的に動揺していれば、仕方のないことじゃないか? とは思う……そう言う時に選んでくれなかった、という少し失望ににた感情に弄ばれそうになるが、グッと堪える。
普段なら隣に座ってじっと見つめるだけで、ちょっかいを出してくるような男性なのだ。それが全くそういう仕草も見せずに、何かを隠すように、隠し物をバレないように必死に守っている子供のような行動をとっている。
そんな子供のような行動が愛おしいとは思う、でも同時にもう少し正直になんでも話してほしい、とは思ってしまう。そして嘘が下手くそな彼のことは信じてあげないと、彼自身が不安ですぐに折れてしまいそうな気になる。
そして先ほどの行動が……彼の罪悪感を考えると仕方のない行動なのだろうとは思う、彼は根本的には根の良い人間でしかなく、その場の雰囲気に流されやすい一面も持っている。
「私が最後まで信じてあげなければ、彼は生きていけない。だからどんな裏切りをしても私だけは彼を信じる……けど」
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