173 無法者(アウトロー)

 月の都ムーンパレスの薄暗く、少し汚れた路地裏に俺の足音が響く。


 この世界の街にはどこへ行っても必ずこういった薄暗く、誰もが立ち寄ることを躊躇うような路地裏が存在している。一番それを意識したのは、デルファイの裏路地……アドリアが攫われてしまったような場所よりもさらに深い、本当に危険な一帯に入ってしまった時だ。

 そんな場所に近い、帝国首都の裏路地の一番奥、一般人は誰も近寄らないようなそんな場所に俺は一人で来ている。


 俺はとある廃屋にしか見えない扉を開けて……中に入りすぐに立ちどまる。なぜなら俺の首に短剣が突きつけられていて……あと一歩でも前に出たら短剣が俺の首に傷をつけ……塗られている猛毒で俺は死んでしまうのだろう。

「誰だ」


 女性の声だ……俺よりも少し上かもしれないが、声の感じからするとそう大きく離れていない気もする。俺は両手を顔の高さまであげて敵意がないことを示すと、オーペから聞いた合言葉を呟く。

「月夜の晩には、ワインとそして一欠片のパンを。ダニエラさんですね」

 その合言葉を聞くと短剣が俺の首筋から離れていき……そして暗闇から銀髪、緑眼の美しい女性の顔が現れる。白い頬には少し刀疵のような引き連れた傷があるが、それでも美しいと感じる顔立ちだ。

 この女性、オーペより聞いている名前はダニエラというらしい。帝都の闇組織の一つをまとめている無法者アウトローだ。

 彼女の緑眼……アドリアのような明るい色ではなく、深緑ダークグリーンというのだろうか? あまりに深い色に少し見惚れてしまう。女性は俺がじっと見つめていることに気がつくと、少し辟易したような表情を浮かべる。

「その合言葉は少し古いのだけどね、それと何ジロジロ見てるんだい?」


「そうなんですか? オーペから聞いたんですけど……それと目が綺麗だなって」

 目の前の女性はとても懐かしそうな顔で口を開く。

「よく見たら結構いい男じゃないか……オーペ様の依頼と紹介なら合言葉が古くても仕方ないね……話は聞いているよ、ついてきな」

 彼女が少し警戒するような表情を浮かべたまま、俺についてこいと合図をして、俺はゆっくりと廃屋の中へと足を踏み入れる。そこは小さな空間で、床に地下へと降りる階段が設置されていて、彼女と俺はその階段を降りていく。


 階段を降りた先には小さな部屋があり、そこにはテーブルと椅子が一脚だけ置かれている。彼女は顎でそこに座るように促してきたため、俺は黙ってそこへと座る。彼女もテーブルを相対して置かれていた小さな椅子へと腰を下ろし……懐から木製の細い管、この世界ではそれほど目にしないパイプを取り出して、火をつけ軽く蒸すと、煙を吐き出して俺に語りかける。

「さて……オーぺ様より聞いているけど、もう一度あんたの望みを言いな、その人の道から外れた卑しい望みをね」




 俺の望みを聞いたダニエラは汚物でもみるような、そんな汚いものを見るかのような表情を浮かべると、頷いた。もう一度パイプをひとふかしして、ゆっくりと煙を吐き出すと、侮蔑も込めた視線を俺に向ける。

「国に関わらず、魔法使いってのは本当にクズだね……人の命をなんだと思ってるんだい。私らと変わらないじゃないか」


 俺の望みとは、切開クリーヴの実験台を見つけること。

 オーペには過去に文献を漁っていて、覚えた魔法があってそれの実験をしたいと話をした……嘘だって絶対わかってたはずなのに、オーペは少し考えるような仕草をすると、それ以上は何も言わずにダニエラを紹介すると話してくれた。

『わしも人体実験をしたことがあるからな、そういう時に頼む組織があるんじゃ……だが、お前さん他人には知られてはいかんぞ……特にお前さんを信じているお嬢ちゃんたちには絶対にな』

 なぜ? という顔をした俺にオーペは……あまり表情の変わらない顔だが、とても真剣な口調で俺を見つめて話した。

『わからんか? ……お前がそんなことをしたと知ったあの娘たちがどう思う』


 俺が黙ったままなのを見て、ダニエラはため息を吐くと椅子から立ち上がる。

「ま、ついて来な……実験台を用意してあるよ」

 その言葉に従って、俺も椅子を立ち上がり……ゆっくりと歩き始めたダニエラについて、暗闇の中を歩いていく。ひんやりとした地下の空気の中に、じっとりとした湿気を感じて少しこめかみに汗が滲む。


 ダニエラに案内された部屋には椅子が一脚だけ置かれており、そこには目隠しと猿轡をされた中年の男性が縛り付けられていた。音に気がつくと、その男性は一生懸命に唸るが……猿轡のせいでうめき声にしか聞こえない。俺がその男を見つめていると、ダニエラが表情を変えずに喋り始める。

「こいつはね役人なんだけど、管理していた金を横領して逃げようとしたクズさ。ようやく捕らえてね……掟に従えば、殺すしかないんだけど、ちょうどあんたの実験の話を受けてね、まだ生かしておいたのさ」

 殺す、とか実験とかの言葉を聞いて男が身じろぎをしながら、うめき……目隠しの下から涙が溢れる。ダニエラがペッ、と地面に唾を吐いて侮蔑の表情を浮かべる。

「全く……肝っ玉の小さい男だ。横領なんかしなければこんな場所にはいないんだよ。さあ坊や……」


 少し……自分がとても恐ろしいことをしているのではないか? と思って体が震える。その様子を見てダニエラがクスリと笑う。

「怖気付いたならやめといた方がいいんじゃないかい? あんたはそういう覚悟がなさそうに見える。冒険者だろうから人は殺したこともあるんだろうけど……これはそういうのではないからね、一方的な殺人だよ」

 いや……俺はこの先にやらなければいけないことがある。俺はゆっくりと手をかざすと切開クリーヴの魔法を準備する。

 手のひらにあの時見たような鮮やかな、そして時折不気味すぎる色合いの光が漏れ出す……その光を見て、ダニエラが少し、たじろぐように後退する。椅子に縛られた名前も知らない男は、違和感を感じたのか必死に声にならない悲鳴をあげている。

 一瞬脳裏に浮かんだアイヴィーとアドリアの笑顔が恐ろしく曇り、俺を見つめる目が悲しく、そして軽蔑したような表情を浮かべたように思えたが……俺は奥歯を噛み締めて魔力を解放する。


「……切開クリーヴ


 俺の言葉と同時に、光が男を柔らかく包む……一瞬男の体がびくりと震えた後、俺の脳裏に凄まじい量の、男の記憶が流れ込んでくる。

 優しい目で見つめる女性、愛するべき女性の顔……そしてなぜ横領に至ったかの記憶が、騙されて自分の家族が背負ってしまった借金を返すために、怯えながら帳簿をいじった記憶が流れ込んでくる。罪悪感、恐怖感、そしてそれでも犯罪に手を染めなければいけなかったやるせなさが流れ込んで来ては、すぐに粒のように消えていく。

「嘘だろ……この人も被害者だっていうのか……」


 何かがパリン、と崩れるような音がしたと思った瞬間……目の前の男性の四肢が、髪の毛が塵のように大気へと溶け込んでいく。悲鳴をあげながら、男がどんどん崩れ落ちていく。

「に、人間の魔法じゃない……坊や……あんた何者なんだい……」

 そんな様子を見ながら、ダニエラは目の前で起きている出来事に恐怖感を感じてへたりこむ……男が完全に塵と化して消えていった後、俺は彼女に向き直る。


「俺は……なんてことを……」

 俺の目から一筋だけ涙がこぼれる……自分が行ったことの罪深さを改めて理解した。犯罪者とはいえ戦士ではない人を、一方的に殺したようなものだ。こんなことあの二人には喋れない……話したら最後、確実に軽蔑されてしまう。俺は力無く、その場に座り込んで両手で顔を覆い……震える。

 座り込んでいたダニエラが……立ち上がると震えている俺をそっと、とても優しく抱き寄せる。むせかえるような香水の匂いで、俺は少し目が眩む。


「あんた普通の人間を殺したのは初めてだったんだね、私も初めて殺した時はそうだった……」

 俺は取り返しのつかない何かをした気がする、それと相反して俺の体に彼の魂の一部が吸収されたように恐ろしく体が熱い。そこで俺は理解した、切開クリーヴは魂を破壊するだけじゃない、魂を自らの魂へと吸収し、力としていく魔法なのだと。ダニエラが俺の胸に手を添えて、耳へと口を近づけると艶かしく囁いた。


「……私が知ってる傷ついた男を慰める方法は一つしかなくてね、一緒においで」

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