169 導く者(ドゥクス)

「クリフ……クリフぅ……」


 別の部屋から号泣しながら戻ってきたヒルダが俺にしがみついて泣き続けている。何があったのだろうか? 一緒についてきたセプティムさんがちょっと困ったような顔をしている。

「クリフ、すまない。陛下からその娘……ヒルデガルド殿へ向けた過去からの言付けを送られてな……」

 セプティムさんは頬を掻きながら、言いにくそうに話している。……なんとなくだが、ヒルダがジブラカン王族の末裔であることがバレて……ということだろうか? でもそれにしてはセプティムさんも丁重にここまで送り届けてくれていたしな……。

「その、この娘の秘密は陛下と私の間だけに留めている。安心して帝国で滞在してほしい。それと次はロラン殿をお連れするようにと」

 その言葉にロランは頷くと、ヒルダの頭を優しく撫でた後、セプティムと一緒に部屋を出ていく。


「大丈夫ですかね?」

 アドリアが心配そうにロランとセプティムの背中を見ているが……俺は頷いて彼女に答える。大丈夫、セプティムさんは信頼できる。彼が秘密を守ると言ったのであれば、必ず守ってくれるだろう。俺はヒルダをあやすように、彼女の頭を優しく撫でて……抱きしめる。号泣していたヒルダが思い切り鼻をかんだことで……俺の礼服は色々な意味で大変なことになった。




 一度着替えを挟んで、俺が呼ばれる番となった。他の仲間はそれぞれ満足のいく報償をもらっていたようで、戻ってきた時に少し安心と満足感を感じさせる表情を皆浮かべていた。後で聞けばいいのかな? と思って特にその場では話をしていないのだが。

 部屋に入り……セプティムさんは俺の顔を見るとすぐに部屋を出ていった。なんだろう? と思っていると椅子に座っていた紅の大帝クリムゾンエンペラーが口を開く。

剣聖ソードマスターには席を外すように命令した。今ここには私とお前しかいない、使徒よ」

 その言葉で……俺は紅の大帝クリムゾンエンペラーと二人しかいない状態を作り出した、彼の意図に気がついた。セプティムさんがいると非常に都合の悪いことがある、それと俺が何者かバレているのだ。

 どこまでだ? どこまでが彼は知っているのだろう? 全くわからないのが凄まじく恐怖心を煽っている。


「使徒……そう言われましても、私にはわかりませんね」

「安心しろ、お前の飼い主とは私も話している。遠慮は無用だ」

 紅の大帝クリムゾンエンペラーはそういうと、椅子へ座るように促し……ゆっくりと仮面を外す。そこには燃えるような赤い髪に、赤い目をした……つい先日伯爵領であったあの男の顔があった。

「ま、マルティン……」


「案外バレないものなのだよ。私は素顔を見せておらんからな」

 紅の大帝クリムゾンエンペラーは意地悪く笑うと、緊張で固まっている俺にカップに入ったお茶をすすめてきた。俺は緊張したままだが……表情を変えずにカップに口をつけて、全く味のわからないお茶を啜る。

「それで……私に素顔を見せて何を求められているのでしょうか?」


「お前が欲しい」

「ゲフッ……」

 俺は思いかけない言葉に軽くお茶を噴き出してしまい……慌てて懐に入れていたハンカチを使ってテーブルについたお茶を拭き取る。

「失礼しました……なぜでしょうか?」


「順を追って話そう。お前は混沌の戦士ケイオスウォリアーと戦っておるな?」

 混沌の戦士ケイオスウォリアー……アルピナ、ネヴァン、道往く者ロードランナー、そして先日遭遇したカマラ。積極的に戦っているという認識はないのだが、結果的に彼らとの戦いになっていることは否めない。さらに言えば……俺のチート能力が発動するタイミングは混沌ケイオスの眷属と戦う時が多い、というのも最近気がついた。

「その混沌の戦士ケイオスウォリアーが今帝国で起きている事件と関連している、とすればどうだ?」


「そ、それであってもセプティムさんや帝国の戦士がいれば……」

 俺が苦し紛れに発した言葉に……紅の大帝クリムゾンエンペラーはため息をついて首を横へ振る。

「ダメなのだ、セプティムは確かに強い。だが……彼では勝てないものがいる『導く者ドゥクス』だ」

 導く者ドゥクス……初めて聞いた名だ。俺は本当にわからなかったため、あえて紅の大帝クリムゾンエンペラーへと訪ねる。

「それはどのような者なのでしょうか?」

「世界最古の魔王ハイロードだ。あの女から勇者ヒーロー魔王ハイロードの関連を聞いたであろう?」

 あの影のような少女っぽい神……俺はそう呼んでいるが、紅の大帝クリムゾンエンペラーはあの女、と呼んでいるのだから多分他の人から見ても女性に見えるのだろう。


導く者ドゥクスは最初の神を知る者ラーナーでもあり、首魁でもある。当初は神の代弁者としての存在だったが……野望を抱き神の座を目指し、怒りをかってほとんどの神を知る者ラーナーは滅びた。だが、最初の魔王ハイロードとして復活した導く者ドゥクスは滅びなかった。あの女も内心焦っただろうな、まさか彼が最大の敵として立ちはだかるとは思ってもいなかったのだろうから」

 意地悪く紅の大帝クリムゾンエンペラーは笑うと、話を続ける。

「かくして導く者ドゥクスと神の知恵くらべが始まった。神は勇者ヒーローを使って彼を滅ぼすことを思いついた。この世界の素質あるものを選び出しては導き育て、導く者ドゥクスと戦わせることにした。だが人は盲目なる主従ではない、神の元を離れ魔王ハイロードへの道を選ぶものも現れた」


 薄々は感じているが……目の前の紅の大帝クリムゾンエンペラーは、人としての匂いがしない……人ではないもう少し上の存在のように感じていたが、彼の口からそれが発せられた。

「私も魔王ハイロードの道を選んだ一人だ。マルティン・テスタ、それは私の最初の名前だ。私は最初神に導かれて導く者ドゥクスと戦う運命にあった。だが……私は己の運命を神の示した道ではなく己自身で切り開くことを目指した。そこでマルティンという勇者ヒーローは死に、赤い頭テスタロッサという魔王ハイロードが誕生した」

 紅の大帝クリムゾンエンペラーは俺のカップが空になっていることに気がつき……わざわざ彼自身の手でカップに茶を注ぐ……恐縮しながらも俺はそのお茶を軽く啜ると彼の言葉を待つ。


「すべての魔王ハイロードは業を背負う。導く者ドゥクスは神への挑戦を業として背負っている。幾度かの挑戦の後に彼は狂気へと陥り、この世界における禁忌……混沌ケイオスと手を結ぶことを思いついた。混沌ケイオスは泥濘としてこの世界を飲み尽くし、虚無ヴォイドへと帰す存在だ」

 この世界における絶対悪、それが混沌ケイオスだ。子供の頃から何度も俺は教えられている、混沌ケイオスは全てを壊す、混沌ケイオスは全てを飲み込む、神は混沌ケイオスを滅ぼせと教える、と。

虚無ヴォイドへと帰る世界がどうなるかはわからん、神……あの女は重要なことは何一つ教えようとしない、自分が何なのかもだ。私はあの女を信用しない、だが混沌ケイオスは私の支配する、そして愛する帝国をやがて泥濘へと飲み込むのだろう。だから滅ぼすと決めている」

 紅の大帝クリムゾンエンペラーはそこまで喋ると、俺の目をじっと見つめる。美しいまでのルビーのように輝く目とは別に強い、俺を値踏みするような視線を感じる。


勇者ヒーローは神の敵への怒りによって行動する、魔王ハイロードは自らが背負う業のために生きる……お前はどちら側だ?」

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