163 灰色の竜(ドラゴン)

「ここから渓谷の外に出れそうですね」


 アドリアが指さす方向を見ると渓谷が切れて、青空が広がっているのが見える。あの後俺たちはかなり右往左往した挙句、この渓谷に住む獣魔族ビーストマンに襲撃を受けつつなんとか渓谷の出口らしき場所までたどり着いていた。

「よ、ようやく出れるな……」


 正直言えば俺たちはもう結構ボロボロの状態だ。怪我などは治癒魔法でなんとかなるのだが、疲労はどうにもならないケースが多い。俺も含めてだが、かなり疲労しており今の状況下で戦闘が発生した場合万全の状態で戦えるとは言い難い状況だ。

「街に戻ったらまずは湯浴みしたいわね……」

 アイヴィーが泥だらけになった顔を擦りながら……苦笑している。アドリアも服についた泥やら血やらを見て少し不満そうな顔をしている。

「せっかくこの間新調したばっかりなのに……クリフといると服がすぐダメになっちゃいますよ」


「冒険者は服がすぐにダメになるって俺がなりたての頃はよく言われたよ?」

 なんとなくだが反論してみたくなってアドリアのぼやきに対抗してみるも、実際俺も服は散々ダメにしてきているので、特にこのパーティが遭遇している脅威を考えると仕方のないところなのだろう。

「ヒルダも服買い替えないとダメだな、結構な匂いが出てる」


 ロランが前を歩いていたヒルダ……例の首掛けヘッドハンガーの返り血があちこちについた服を見てそう告げる。俺から見ても……格好だけなら既にいっぱしの冒険者と言ってもいいくらい汚れていて、とてもではないけど王女様のようには見えない気がする。

「ロラン、そんなに私ひどい匂いをしているの? オーペさん少し嗅いでもらっていい?」

 ヒルダがオーぺに手を差し出すが……オーぺはイヤイヤをするように顔を振ると、少し距離をとって歩いていく。そんなオーペの対応を見てヒルダが少しショックを受けたような顔をしている。

「大丈夫よヒルダ。私たちみんなすごい匂いしてると思うわ」

 アイヴィーが苦笑しながら……ヒルダを安心させるように語りかける。そうだな、今俺たちは鼻が麻痺しているだけで相当に汗と血と、そして汚れに塗れた格好をしているのだと思う。


「出口だ……っ! なんだ!?」

 峡谷が開けて……ついに混沌峡谷ケイオスキャニオンより抜け出た……と思った俺たちの目の前に一人の少女が立っている。傍らには七〜八メートルほどの灰色のドラゴンが座っている。

 少女は魔法使いの帽子ウイザードハットと呼ばれる鍔の広い帽子をかぶっており、白く長い髪を腰まで垂らしている。体型は……ヒルダ程度というべきか、一五〜一六歳程度の女性に見え、さらに顔は彫刻を削り出したように整った容姿をしている。特徴的なのは……アイヴィーや帝国人のものとは違う、まさに宝石のような光沢を帯びた赤い眼だ。


「待っていたわ。私の可愛いペーチャにクセニアを殺したのがまさか使徒だったとはね……」

 少女はぎらり、と獰猛な笑顔を浮かべて俺を見つめている。こんな少女に知り合いはいないが……この不気味な雰囲気は記憶にある。

混沌の戦士ケイオスウォリアー……か?」


「そうよ、私は第一柱カマラ……あなたの想像した通り、混沌の戦士ケイオスウォリアーよ」

 目の前の少女はクスリと笑うと傍らに座るドラゴンを撫でる。その手の動きを喜ぶようにドラゴンは喉を鳴らすと、甘えるように少女の手に顔を擦り付ける。

「ペーチャとクセニアって……」


「あなた方が殺したのでしょう? ペーシャはあなた方が名づけるところの首掛けヘッドハンガー。クセニアは人喰い花マンイーター。私がこの混沌峡谷ケイオスキャニオンで育てていた魔獣よ」

 カマラはぎりぎりと歯軋りをしながら俺を睨みつける……が、すぐにその怒りの表情を消し余裕のある微笑を浮かべながら、ゆっくりと俺に向かってくるカマラ。

「まあ、死んでしまったものは弱かった、と思うしかないわね。マリアンヌ……ああ、九頭大蛇ヒュドラなのだけど、あなたが殺したのよね?」


 カマラは無防備なまま俺に近寄ると、全員が警戒で固まる中俺の頬に細い指を添える。

「ま、マリアンヌ? あんな化け物に随分と御大層な名前をつけているな」

 なんとか言葉を絞り出して……俺は目の前の少女にしか見えない化け物を見る。俺だけじゃない、多分この場にいる仲間全員が感じている。目の前のカマラという少女はその横にいるドラゴンよりはるかに強い、ということ。

「ほお、私の力がわかるようだな。お前……気に入ったわ」


 カマラは目を輝かせて俺にぐいと顔を寄せる。ちょっと、近い近い、敵なのに近いんですけど! 俺はカマラに見つめられつつ、必死に目を逸らさないように踏ん張る……魔獣とか獣は目を逸らしたら負けって言うし、こう言う時にリーダー的存在の俺が踏ん張らなくてどうする! 恐怖で口がうまく回らないが……なんとか言葉を絞り出す。

「んぎぎ……お前は何をしたいんだ?」


「私……? そうだなお前に名前をつけてペットにしてやろうと思っている。名前もつけてやるぞ」

 カマラは俺の頬を愛おしそうに撫でる……俺に触れている手が、奇妙なくらい体温が高い気がする。人間より数度体温が高いのか、ぼうっと暖かい感覚がある。

「お待ちください……あなたは……いや、君はラヴィーナではないのか?」


 横から突然……ロスティラフがカマラに話しかける……全員が呪縛から解かれたように彼の顔を見る。ロスティラフは、とても懐かしい人を見るかのように、そして彼には珍しいことだがとても信じられない……という驚いたような表情を浮かべている。

「ふん……? ああ……体の記憶にあるわね。野犬のように彷徨っていた竜人族ドラゴニュート放浪者ヴァガボンド。名前をつけてもらったのでしたっけ? 二〇〇年ぶりね」

 カマラはロスティラフを見て薄く妖艶に笑う。ロスティラフは少し体を震わせながら、口を開く。

「ラヴィーナ……私に名前をつけた少女よ……なぜ……なぜ混沌の戦士ケイオスウォリアーに……」

 その問いを聞いてカマラが笑う……あのアルピナやネヴァンと同じ、凄まじく不気味に歪んだ顔で、ロスティラフを嘲笑うかのような表情で。


「だって、この子の魂は私が美味しく食べたのよ、とてもおいしかったわ。だからラヴィーナという少女はもういないの」

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