160 混沌渓谷(ケイオスキャニオン)からの脱出

「まあ、わしの仕事としては貴族間の取りまとめ、のようなもんじゃよ。一年前にここに連れてこられた時は流石に焦ったがの……」


 オーペはロスティラフに背負われたまま、ひたすら独り言のように喋り続けている。その中で俺たちは……混沌峡谷ケイオスキャニオンからの脱出を図って走り続けている。

 当初はできるだけ静かに逃げようと考えていたのだが……獣魔族ビーストマン蠍人族スコーピオンマン鼠人ラットマンなどこの谷の名前にふさしいレベルで、混沌ケイオスの眷属の襲撃を受け続けている。

「オーペ、今聞いている余裕がないよ!」

 俺は流石に空気すら読まずにひたすら喋り続けているオーペに反論する。その言葉でオーペは少し不満そうな顔で一旦は黙る。


「もうキリがないわ……」

 アイヴィーが息を切らせながら……迫ってきた鹿頭の獣魔族ビーストマンを斬り伏せると、再び走り出し俺たちへと再合流する。体の各所に血がついているが、大きな怪我などはなさそうだ。しかし……この状況が続けば彼女とて人間……疲労で体が動かなくなり、一気に押し切られる。

「強力な魔法を撃っても音で敵を集める可能性もあるからな……何かで足止めをしなければ……」


石壁ストーンウォールは使えるか? 足止めにはなるじゃろ」

 オーペの言葉に……俺は頷く。ほとんど使わない魔法なども含めて、俺はそれなりの数の魔法を記憶している。石壁ストーンウォールは文字通り石壁をたてて……いや、立てるだけの魔法だ。属性系の壁魔法と違って、物理的な壁を出現させることができるので、足止めくらいにしか役立たず……しかも一度出現させると解除しても壁だけは残ってしまうという謎の縛りがあり、使い所が難しい。

「そういえば、習ってから数回しか使ってないなこれ……石壁ストーンウォール!」


 俺は仲間が脇にそれた小道に入ったところで……石壁ストーンウォールを詠唱し、足止めを試みる。

 突然出現した魔法の石壁ストーンウォールに衝突して鼠人ラットマンの悲鳴が上がり、壁がかなり大きく振動する……狂乱状態なのか、次々に壁に何かがぶつかる音がしている。

「こりゃ長くもたないな……急いで離れよう」

 俺の言葉に、仲間全員が頷き……急いでその場を離れていく。オーぺが満足そうに俺を見て、再び喋り始める。

「お前さん蛮族のくせに魔力のまとめ方が上手いのう……陛下が直接命令した、というのもわかる気がするわい」


 行きでは使用していなかった小道の先を抜けると……谷から少し離れた場所らしいが、とても美しい花畑が広がる広場へと抜けた。もうすでにマッピングしてある場所からは大きく進路がずれてしまっており、俺たちは今どこにいるのかさっぱりわかっていない状況になっている。

「ここはどこだ……」


 アドリアが俺の独り言を聞いて、肩をすくめている。手に持っていた記録用の羊皮紙も意味がないとばかりにポイ、と投げ捨ててしまう。

「わからないですね、色々な方向に逃げ回る羽目になったから、今私たちどこにいるかさっぱり」

「ええ……? 私たち迷子なんですか?」

 ヒルダがそりゃまずいだろ、という顔でアドリアを見ているが……その視線に気がついたアドリアは、少し気まずそうな顔で再び羊皮紙を拾い上げ、咳払いをして俺の顔を見ている……なんか言えってことか。

「あー、うん。大丈夫……俺たちならちゃんと街まで戻れるよ」




 花畑の中を進んでいく……この場所にある花は図鑑などで見たことのあるものではない……美しいが、造形の一部に不安感を与えるような歪さを感じて、素直に美しいと感じられない。

「なんだろう……この不快感は……」

 俺は花弁の一部が不可解な歪みを見せている花を見ている。どうしてこんな……不自然に歪みが生じているのか、理解できない造形なのだ。しかも一つとして同じ造形の花ではない……色すらも微妙に異なっており、その全てが不快感を感じさせる微妙な色合いなのだ。

混沌の花弁ケイオスフラワー……じゃな。帝国ではもう二〇年ほど目撃されていなかったが……この混沌峡谷ケイオスキャニオンは人が立ち入らんからな……見つからんわけじゃよ」

 オーペは花を手にとって……蹄を器用に使って花を切り取る。茎からどろり、と黒い刺激臭を伴う液体が溢れていく。それを見てアドリアとヒルダが顔を顰めている。


「昔はこの花をすり潰した薬を使って、儀式などで使ったそうじゃよ。幻覚や興奮作用があったりすると文献には書かれておったな」

 オーぺが匂いを嗅いで……相当に刺激が強かったのか、顔をしかめて切り取った花を放る。花は地面へと触れると、灰になったかのようにいきなり崩れ……煙のように消えていく。その際も刺激臭が広がり、俺たちは咳き込む。

「ひどい匂いですね……これが薬になるとは思えないですけど、本当なんですか?」


 匂いにアドリアが咳き込みながらオーぺに尋ねる。

「なるらしいぞ、帝国では禁制品として扱ってるがな。この大陸の中だと……大荒野のデルファイなら高く売れるのではないか?」

 オーぺが記憶からその薬のことを引き出すように、少し考えながらアドリアの問いに答える。そういえばデルファイの裏路地とかでは幻覚薬とか興奮作用のある薬を販売しているモグリの店があると聞いたことがあるな。

「効能として媚薬効果も発揮できるらしくてな、一時期はこの花の需要は非常に高かったらしいぞ。ただ、依存性が強すぎて大国ではほぼ流通不可能になっていたはずじゃ」

 この世界に来て久々に媚薬、なんて聞いたな。王国魔法大学の図書館に何冊かそういう本が混じってたことがあって、知り合いと試しに作ってみたことがあったが、なんてことはない滋養強壮薬レベルの効果しか出なくてがっかりした記憶がある。


「ちょ、ちょっとなんでそんな危ない花の煙をみんなに吸わせたんですか、エロ大王だってここにはいるんですよ?! おかしなことになったらどうするんですか!」

 媚薬、という言葉に反応してアドリアがオーぺの胸ぐらをつかんでゆすり始めた。オーぺは直立二足歩行する金毛羊ゴールデンシープだが、体重はそこまで重くないしく、ぐわんぐわんと金色の毛を靡かせてゆすられる。

「ちょ、おま、安心せいお嬢ちゃん。媚薬効果を発揮するには特殊な工程が必要なんじゃ。茎から出てる液体程度ではそんな効果は出ない! ただ臭いだけじゃよ!」

 振り回されたオーぺはひどい目にあった、という顔でアドリアを睨みつける。まあ、説明不足なオーぺが悪い気もするが……俺たちはそんな感じで騒ぎながらも花畑を抜けていく。


 一時間ほど歩き続けると、再び混沌峡谷ケイオスキャニオンに生えている捩れ曲がった不気味な木の生えている林へと入っていく。

「入り口に近い場所にあった樹木に近いですね」

 アドリアが自分でメモしていた羊皮紙の記載を見ながら呟いた瞬間、近くの木々の後ろから何かが這いずるような音が聞こえる。さらに木々も揺れており、何か大きなものがこちらに向かって動いていることがわかる……。

「何かきます!」

 ロスティラフの声に反応して、俺たちは武器を構える。そして……進行方向から、巨大な花のような外見の……触手を大量に胴体から生やした不気味な化け物が迫ってくるのを見た。


「な、なんだあれは……」

 大きさはかなり巨大で一〇メートル近い高さだろうか、複雑な色合いの花弁の中心に巨大な牙の生えた口が見えている。明らかに……肉類が食料な気がする。だってよだれめっちゃ出てるし……。

人喰い花マンイーターじゃな。主な食料は人間……だったはずじゃ」

 オーぺが物珍しそうな顔で……ヒルダの背中に隠れながら、人喰い花マンイーターと呼んでいる化け物を観察している。ヒルダの細い腰に両手をしっかりと添えているのが気になるが。



 人喰い花マンイーターは俺たちを……どこの感覚で見ているのかわからないが、大きく口を広げて甲高い咆哮を上げて向かってきた。

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