149 王女の覚醒(アウェイクニング)
ヒルダは泣き疲れて寝台の上でボロボロになって寝息を立てている。
俺はそんな彼女の姿を見ながら……疲れ切って床に座り込んでいる。ヒルダは……必死に叫んでいた。この街の住人を帝国軍を誰も許せないと。
必死になって彼女を止めて……俺やロランは彼女が暴れた際につけられた爪痕だらけだ。ロスティラフは尻尾に噛みつかれて……悲しそうな顔で尻尾を撫でている。
アドリアはあまりに騒ぎすぎて、慌ててすっ飛んできた宿の主人に必死に頭を下げに行き……アイヴィーは疲れ切って窓際に座り込んで、謝罪が終わって帰ってきたアドリアと一緒にすっかり寝てしまっている。
「これからどうしたものか……」
俺は今後のことを考えるために……痛む顔を撫でながらこの先のことを考えていく。キールにカスバートソン伯爵からの迎えが来たらすぐに、ここを出た方が良いだろう。ヒルダにはこの街に居続けること自体が苦痛でしかないだろう。
この街を出てから……別の街でヒルダの意思を聞いて、そしてその後彼女を一度セルウィン村に預ける……か? 思考がまとまらない。
「クリフ様……すみません……」
いきなり声をかけられて、俺が目を開くとそこにはいつの間にか起きていたのかヒルダの顔があった。ギョッとして彼女を見ると彼女は疲れ切った顔だったが、いきなり俺にしなだれかかるとそっと俺の背中に腕を回す。ロランとロスティラフがこっちを見て、心配そうな顔で……ヒルダを見つめる。
「ヒルダ……何を……」
「私……捨てられたくない……もう私には居場所がなくて……」
ヒルダは嗚咽を上げながら……俺にしがみつく。ああ、この子は……俺はヒルダをそっと抱き寄せて頭を撫でる。パウルは優しさから、彼女の居場所がない、と伝えた。
彼女に生き残って欲しいから、もっと幸せな人生を今からでも楽しんでほしいとそういう意味で。でも彼女は判ってはいるだろうが、心のどこかで拒絶されたと受け取ってしまったのだろう。
「大丈夫だよ、俺たち
俺は優しく彼女を撫でると……安心してもらうように背中を優しくぽんぽん、と叩く。これはセプティムが子供だった俺を優しく叩いた時に安心感を感じていたから、同じことをしたらこの娘も安心するかもしれないと思ったから。
しばらく嗚咽を漏らしていた彼女だが、思い出したように呟く。
「……私は何をすればいいですか? 私は……何をすれば皆様に捨てられないですか?」
ヒルダの問いに俺は……困惑する。いや、何かをしてもらおうなんて……俺はヒルダをパウルに託された。だから彼女の本当の望みだという、世界を見せて回るという遺言を実行することしか考えていない。
俺を信じて彼女を託されたのだ、だから俺は彼女に何かをしてあげないといけないから。
アドリアも、アイヴィーも物音に気がついて起きて……俺にしがみついているヒルダを見て、何となく見ちゃいけないようなものを見た顔をしているが……俺は無言で口を動かして、手を振って『何もしてねえよ!』と何とか伝える。
その仕草が伝わったのか、安心したように息を吐いた二人は心配そうな顔でこっちを見ている。
「……ヒルダはやりたいことはないかい?」
ヒルダは俺にしがみつくのをやめ、床に座り直すと……混乱したように考え始める。俺はため息をついて……音がしたので顔を上げると、そっとアドリアが扉から出ていくところだった。あ、あれ? 大丈夫かな、と思いつつヒルダの返答を待つことにする。
「私……もしできるのであれば……知らない場所を見たい……」
それを機に、彼女はぽつりぽつりと口を開く。
子供の頃に冒険譚を読んで心を躍らせたことを、パウルに何度も怒られながらも、隠れて冒険譚を何度も何度も読んでいたことを、でもパウルはわざわざ新しい冒険譚の本をそっと置いてくれていたことを、ずっとパウルが優しかったことなどを。とても懐かしい思い出を思い出すように。
その言葉に、ロランが涙ぐんで目頭を抑えている……アイヴィーはそっぽを向いているが肩が震えている、泣いてるな、これは。ロスティラフは床を見つめてじっとヒルダの言葉に耳を傾けている。まあ、俺も似たようなもんだ、こんなに涙腺ゆるかったっけな。
扉が開き……アドリアがお湯を張った盥と布を持ってきた。
なぜか泣いている俺たちを見て驚いた顔をしていたが、何となく場の空気を察したのか何も言わずに部屋へと入る。そうか彼女のために……アドリアはヒルダの顔を拭くための用意をしてきていたのか。
「ヒルダ……顔を少し拭くわね……」
アドリアはヒルダの横に座ると、優しくお湯を絞った布で顔を拭いていく。見た目的にはアドリアとヒルダは同年代に見えるが、実際にはアドリアの方が年上だし、色々な意味で経験値も多い。ヒルダはされるがままの状態だったが、アドリアが彼女の顔を拭き終わると、ヒルダはアドリアにペコリと頭を下げる。
「ほら、綺麗になった」
アドリアは優しく笑うと、ヒルダの頬をそっと撫でる。その瞬間に再びヒルダの目から、涙がボロボロとこぼれ落ちていく。慌ててアドリアが手に持った布を絞り直して、そっと涙を拭う。ヒルダは泣きながら、絞り出すように呟く。
「私……私……パウルたちにお礼を言っていない……お願い……お礼を言わせて……」
深夜……俺たちはパウルたちが晒された街の外れにある処刑台に来ていた。俺は見張りをしていた衛兵達に、袖の下を渡して三〇分だけでいいからここから離れてくれ、と頼んだ。衛兵達は元冒険者で、噂になっていた
「クリフ殿……死体は動かさないでください。何かあった場合、我々も捜査をしなければならないので……」
俺が了承すると、衛兵たちは俺たちに手を振ってその場を離れていく。
「さて……大丈夫だ」
俺が手を振ると、物陰から仲間とヒルダが出てくる……我慢しきれなかったように、ヒルダは走りだし……ボロボロに損壊しているパウルの足にしがみつくと、声を殺して泣き始めた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……私は……みんなを……」
そんなヒルダの様子を見て、仲間達が悲しそうな顔で見つめている。アイヴィーが俺にそっと寄り添って……呟く。
「私は……今まで帝国のやり方に疑問は持っていなかった。でも……これは違うと思う……死体を晒すなんて……」
アイヴィーは唇を噛み締めて、晒された死体に縋り付いているヒルダを見つめている。俺も……王国でこんなことをしている軍隊を見たことがなかった。
いや、たまたまだろうな……実際には戦争中や俺たちが見えない場所で同じことが行われていただろう。
それは前世でも同じようなことが行われていたから。しかしそれは映像やニュースでの知識だけであって、実際に見ると……とてつもない嫌悪感を感じるものなのだと分かった。
ヒルダがパウルの死体にそっと何かを語りかける。そして晒されている死体に順番に近付いて、何かを話しかけて優しく彼らに触れていく。
その姿を見て彼女が本当に王族の誇りを持っているのだな、と何となくだけど感じた。慈愛というか……彼女が女王となったジブラカン王国が存続していたとしたら、もしかして幸せな国が作れたのではないか? とも思える。
一通り回ると、ヒルダは晒されている死体に向けて、深々と頭を下げると再び俺たちの元へと戻ってきた。
「クリフ様……私を冒険者に……私を仲間にしてください」
彼女の頬やあらゆる場所に、死体にこびりついていた血がついている。でも彼女はその汚れを拭おうともせずに……俺をまっすぐ見つめた。正直……ヒルダの目に戻った強い光に気圧されそうになった。彼女はそんな俺たちを見つめたまま、話し始める。
「私は……もはや王国復興など出来る身ではありません。ですが、私だけが生き残ったことに何かの意味があるのであれば……私は滅びた国の最後の王女として、私の知らない世界を見て……そして彼らの墓前に報告をしたい。だから……私を仲間にしてください」
もはや先ほどまで泣いていた少女の面影はなく……そこには王族としての誇りに満ちた一人の女性がいた。
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