143 囲いの中の小鳥(ヤード・バード)
『おうじょさまになんかなりたくない! わたしはぼうけんしゃになりたいんだ!』
そうだ、久しく忘れていたがヒルデガルド……親しいものにはヒルダと呼ばれているが、彼女が子供の頃に老パウルにわがままを言ったことがあった。城の中にあった古い冒険譚、子供の頃はその本を読むことが密かな楽しみだった。
子供の憧れ、というのは古今東西変わることはない、一度は夢見る……冒険者となって心躍る冒険を楽しみたいと。そして大人になっていくに従って、現実を見て親の職業を継いだり、平凡な人生を送っていく。これが当たり前の光景だった。
ヒルダはそれでも、ジブラカン王国の後継者としての責務をなんとか放棄しようと考えていた時期があった。いつか冒険者となって……世界を見て回りたいと、心の奥底でずっと考えていた。
ただ、現実はそれほど甘くなく……彼女の役割はすでに滅んだ王国に縋る家臣たちに傅かれる立場……王族だから、姫だから、少女だから仕方がない。そうやってヒルダは段々と自分の運命を受け入れるようになっていた。
目の前で笑っていた男は、あの裏切り者の
諦めと共に押し込めていた本当の気持ち、自由に旅をしたい。そんな小さな願い事。そのことに気がついたヒルダは少し気恥ずかしさを感じて、自分の気持ちに戸惑っていた。
目の前のロランという戦士が仲間だというこのチグハグな面子をもう少し見てみたい。小さい頃から教えられてきた話が本当だったのか、もう少しだけ知ってみたいと思った、いや思ってしまった。
「私は……王女になんか、なりたくなかった……」
少女の小さな呟きはロランには聞こえていなかったが、それでも何かを言おうとしていたのがわかったのか、ロランが尋ねる。
「ヒルダ、なんか言ったか?」
「別に……」
ヒルダはそっぽを向いて黙ってロランの隣で歩いている。ロランは少し訝しむ表情を浮かべるが……気のせいだったかな、と前を向いて歩を進める。俺は……その後ろでロスティラフと一緒に縄で縛り上げた山賊たちを連れて、先頭を歩く二人を見ている。
「クリフ、気がつきました? ロランは彼女のことヒルダって呼んでましたね」
アドリアが少し悪戯っぽい笑顔で俺に耳打ちをしてくる。そういえばそうだな……昨日野営の準備をした後、ヒルダとロランは少しだけ会話をするようになっていた。
彼女の縄を解いてほしい、と頼んできたのもロランだった。彼女が逃げない、と宣言したと話していた。ロランが言うのであれば……と俺たちが了承したことにお姫様はかなり驚いていた様子だったが、その後に改めて逃げないと明言した。
名誉にかけて、〇〇しない。と言う宣言は普通の立場の人が言ってもあまり説得力がない言葉だ。ただ彼女は自らをジブラカン王国の王家の姫だと名乗っている。王族の名誉にかけて宣言したことを守らないのは、自分自身がその名誉に値しないと宣言するようなものなので……俺たちは信用する気になったわけだ。
「なあヒルダ、君らの城にはもうそろそろ着くかい?」
「お前に私をそう呼んでいいと許可した覚えはないぞ、平民」
振り返ったヒルダに殺気の篭った目で睨みつけられて、俺は少し肩をすくめて軽い感じで謝罪をする。なんで……捕虜なのにこんなに偉そうなんだろう、この娘は……。
しかし歩いているヒルダを見ると……王族の血を引いている、と言われてもおかしくないくらい整った容姿をしているのがわかる。この世界では珍しい黒髪を長く伸ばしており、今は腰までストレートにおろしている。そう、黒髪の人物をこの世界に転生してきて初めてみた気がする……。黒っぽい色の人物はたまに見かけるのだが、ヒルダは漆黒と呼ぶに相応しい見事な黒髪だった。目はエメラルド色で、とても大きい。顔の作りも幼さが残っているがとても愛らしい顔立ちで……体つきは細身だが、華奢すぎず成長途中なんだろうな、と言う体型だ。あと数年したら見事な体型になっていくのではないだろうか? と予感させる何かがある。
「王族か……確かにそう見えるよなあ……」
「着いたぞ」
ヒルダの言葉に俺たちが前を見ると……そこにはとても城と呼ぶには朽ち果てた……古めかしい古城が聳え立っていた。防衛施設のようなものはここからは見えないが……炊事の煙だろうか、いくつかの煙が立ち上っており……くたびれた門の前には、帝国ではない独特の意匠の鎧を着た門番が立っている。
「これがマーロ城……いつ朽ちてもおかしくないですな……」
ロスティラフが少し困惑気味の顔で城を眺めている。そうだな……これ古城というよりは廃城にしか見えない。
門番が森からぞろぞろと歩いて出てくる俺たちに気がついたのか、角笛を鳴らして警戒体制を取り始める。
「ヒルダ、俺たちはまず会話がしたい……荒事は避けたいんだ。だから君のいうことも聞いている」
俺の言葉に、頷くヒルダ。野営の時に彼女を交えて食事をしたのだが、その時にこちらの意図は伝えており、名誉にかけて約束をさせる、という取り決めを交わしてある。
ちなみにロスティラフが狩りで仕留めてきた数頭の猪を焼いて食べたのだが……山賊も含めて、一番量を食べたのはヒルダだったりもする。相当普段は困窮しているのだろうな……と思えるような食べっぷりで、俺たち全員が少し彼女達の境遇に同情してしまった。
「だからお前には許可をしてないというのに……まあいい、私が話すので黙っていてくれ」
近づいてくる俺たちの先頭にヒルダがいることを門番が気がつき……笑顔で手を振っている。
「姫様! 遅かったですな……そいつらは一体……?」
「……待たせたな。パウルとこいつらを合わせたい。ロラン、仲間を解放してくれ……」
ヒルダは俺たちに仲間の縄を解くように伝えてくる。その言葉に合わせて俺たちは山賊たちを縛り付けていた縄をほどき……敵意がないことを表すかのように手を振る。
解放された山賊たちは、俺たちを睨みつけながらだが……門番の方へ移動すると、悪態を吐きながら城へと入っていく。ヒルダは門番や山賊たちに聞こえるように……少し大きめの声で宣言する。
「この者たちは私の名誉にかけて安全を約束した。だから手を出すな」
今俺たちは、マーロ城の謁見の間……とはいっても中はボロボロで、ところどころから日の光が差し込んでいるような場所にいる。
「こんな場所で……五〇年間って……彼女もここで生まれたんでしょうが……酷すぎますね」
アドリアが悲しそうな顔で朽ち果てた謁見の間を見回している。アイヴィーも壁にかけられている虫食いだらけで、穴の空いた壁掛けに触れて……悲しそうな顔を浮かべている。
「想像以上に……ひどいな……」
ロランも周りの状況を見つつ、素直な感想を口にしている。周りにいる衛兵……いやどう見ても山賊にしか見えない彼らは、ロランを特に敵視する視線を向けている。
「お待たせした……
その時、謁見の間に姿を表した……完全武装でこちらを油断なく見つめる老人がそう名乗った……そしてその後ろには服を着替えて髪を高く結い上げた……黄色みがかった衣装を纏ったヒルダが立っていた。
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