126 黒鴉(ブラックレイヴン)

 ……炎が踊る。まるで生き物のように、その煌めきを見つめている1人の男。


「……望みを言うといい。心の奥底に眠る、其方の望みを……」

 そしてその男の横には桃色の髪をもつ少女が座っている。年端もいかない少女のように見えるが、美しい顔立ちと金色の山羊のような目を持つ……混沌の戦士ケイオスウォリアーネヴァンだ。

 ネヴァンの隣に座り、炎を見つめる男の名は黒鴉。アドリアを誘拐し拷問した暗殺者の成れの果て。


「私は……戦って死にたい……」

 黒鴉の目はどことなく惚けたような、空虚な目だ。ネヴァンによる精神汚染を受けた人間は自我を失っていく。ネヴァンは満足そうに小さな口から紫色の舌を伸ばし、黒鴉の頬を舐める。

 思ったよりもこの男は心が弱かった。クラウディオが使っている手下の中でもそれなりに腕が立つ、ということだったが拍子抜けしているくらいだ。


「戦いの果てに死ぬことで、神の元へ……」

 口の端から軽く涎が垂れ、黒鴉自身の自我が崩壊し始めていることがわかる。アドリアを誘拐するときに使った仮面も被っておらず、彼の疲れた素顔が見えている。ネヴァンは黒鴉の胸元を白い指で撫でると、耳元に口を寄せて囁く。

「力をやろう……混沌ケイオスの力をな……」


 黒鴉が何かに気がついたように立ち上がる。ネヴァンはそれと同時に塵となって崩れ、姿を消した。彼はあたりを見渡し、警戒を続ける。先ほどまでの惚けたような表情ではなく、鍛えられた暗殺者としての顔に戻っている。

 パチパチと焚き火の炎が音を立て、あたりは静寂が支配している。

「つ、疲れているのか俺は……力……力だと?」

 黒鴉は頭を抱え何かに怯えるようにその場に座り込む。彼の記憶にはネヴァンの姿はない。心を支配され、汚染されていく彼はもはや現実と夢の区別がつかない感覚に陥っていた。

 ふと自分の座っていた丸太を見ると、小さな小瓶が置かれているのに気がつく。


『力をやろう……戦士のような、そして……』


 ふと女性の声が頭に響く。瓶の中には蠢く黒い液体のようなものが入っている……不思議な感覚で眺めていると、瓶の液体の中にこちらを見つめる目が見えた。目は黒鴉の目を見つめ、ニヤリと笑う。

「ーーッ!」

 驚いてその小瓶を取り落としそうになり、もう一度確かめるように小瓶を見るが黒い泥のような液体が中に入っているだけだった。全身に感じる寒気と震えを我慢しつつ、黒鴉は恐怖に慄く。

「ど、どうなっているんだ……俺は……こ、これを飲めと言うのか……」

 抑えきれない強い誘惑を感じて、黒鴉はゆっくりと小瓶の中身を口へと含んでいく……どろりとした液体の中に先ほど彼を見つめていた笑う目が見えていた。




 デルファイの冒険者組合ギルドの依頼掲示板前、そこに夢見る竜ドリームドラゴンのメンバーが立っていた。その姿を見てデルファイの冒険者たちが憧れを込めた目で見つめている。

 彼らの功績は素晴らしい。この街に流れ着いてから数多くの事件を解決し、魔物を倒し続けている。つい先日も巨大な九頭大蛇ヒュドラを倒し村を守った。その前は食人鬼オーガに攫われた子供を救った。など活躍は今や他国へと英雄譚として広まっていると言われている。

 古参の冒険者たちも今やこのパーティがデルファイで最高の冒険者パーティの一つであることを認めざるを得ない状態だ。しかし彼らは目下非常事態へと追い込まれているのだった。


「し……仕事がない……」

 俺は依頼の張り出された掲示板を見て愕然とする。その様子を見て、受付担当が話しかけてくる。

「すいません、デルファイ近郊で夢見る竜ドリームドラゴンの皆さんが受けれるような難易度の高い仕事が今なくなってしまったのですよね……」

 担当は申し訳なさそうな顔で俺たちに頭をさげる。確かに最近急ピッチで高難易度の依頼を片付けていたのは確かだが……それにしても急に平和になりすぎなのではないだろうか?


「いや、依頼はたくさんあるんですよ。ただ、皆さんのランクを考えたときに、下水道に蔓延る鼠人ラットマンの退治をお願いするわけにもいかず……」

 鼠人ラットマンはこの世界の下水道などに住み着く、ネズミのような人種で臭い、汚い、危険と3Kが揃った種族だ。暗闇でも目が見えることから、野外の洞窟などにもいるが、ある程度の知能があり武器も扱えるが、確かにゴールド級の冒険者が退治しにいくような敵でもないのだ。


「それと皆さんがある程度難しい依頼を数多くこなしてしまっていて、他の冒険者が不満に思っているのですよ……」

 担当は周りを見ながら小声で俺たちだけに聞こえるように囁く。その言葉で周りを見ると、確かに俺たちを見る目は羨望の眼差しが3割程度、残りの6割が嫉妬のような視線、1割が無関心と行った具合なことに気がついた。

「し、仕方ないな……」

「どうします? クリフ……」

 アドリアが不安そうに俺の顔を見ている。治療院から戻ってすっかり元気になったアイヴィーも不安そうな顔だ。ロランは……頭を掻いて苦笑いを浮かべ、ロスティラフは相変わらず何を考えているのかわからない表情で顎に手を当てている。そこへ慌てた様子で1人の男性が飛び込んできた。

「た、助けてください! 村が、村が滅んでしまう!」




 ある程度落ち着いた男が受付担当と俺たちに話たところによると、この男の名はタンタ。聖王国にほど近いネデル村に住んでいる農民だという。ネデル村は広大な葡萄畑から作られるワインが名産で、聖王国などへ輸出して財を成しているのだという。

 数週間前に村を黒い霧のようなものが覆うようになり、化け物が出現するようになった……とタンタの話の内容を整理すると、そのような内容だった。化け物は村人を襲って食べた後活動はしていないが、霧は晴れておらずまた村人が襲われてしまうのではないか? という。


「クリフさん……依頼を受けてくれませんか? これは明らかな異常事態です。冒険者組合ギルドからも特別報酬をお出しします」

 受付担当が相談を終えて俺たちに依頼を出してくる。まあ……都合が良い話だが俺たちも仕事を探していたのだから断る理由があまりない。仲間を見ると、皆が頷いている。俺は笑って受付担当に、そしてタンタへを告げる。


「大丈夫です、俺たち……夢見る竜ドリームドラゴンがやりましょう」

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