127 人の顔をした巨鳥

 ーー視界が赤黒い。夜だっただろうか?


 黒鴉は赤い視界の中、頬に風を感じている。下を見ると、地面がはるか彼方に見えている。空を飛んでいる? 左右を見渡すと腕だった場所には巨大な黒い翼が見える。どういうことだろう? 少し混乱する思考の中に声が響く。


『肉を喰らい、大空を制する。まさに鴉と呼ぶに相応しい姿へ生まれ変わったのよ……』


 その声は、少し前に聞いた少女の声……あの誘惑するような何か。薄桃色の髪と金色の目が記憶にある。

 ふと、空腹を感じて黒鴉は下を見下ろすと村が見えた。葡萄畑に囲まれた小さな村。

 ここはなんという名前の村だろうか? 初めて見るような気がする。私の空腹を満たせる何かはあるだろうか?


 興味を掻き立てられ、黒鴉は大きく翼を羽ばたかせて急降下していく。視界に人間の女性の姿が見えた瞬間……思考が肉を、そして血を喰らいたいというシンプルな欲求にすり替わっていく。

 降下していく黒鴉の姿を見つけ、獲物が恐怖に目を見開く。黒鴉は大きく開くと一気に食いつき、そして再び上昇していく。口に広がる血の味、そしてまだ動いて悲鳴をあげている獲物を感じる。無理矢理噛み砕く……口に広がる甘美な感触、美味しい、美味しい、オイシイ。黒鴉は近くの岩場に降り立つと夢中になって肉を貪っていく。

「クウ……コロス……クウ……」

 思考が徐々に塗り変わっていく、これほどまでに美味な肉をどうして今まで食べていなかったのか? もっと食べなければ……足に押さえつけられながら痙攣している獲物を満足そうに見つめると、大きな口を開いて笑みを浮かべた。




「ここがネデル村ですかあ……随分と……なんていうか、あの」

 アドリアが無理に感想を言おうとして言葉に詰まる。……言わなきゃいいのに、と思いつつも彼女の顔を見て仲間と一緒に苦笑いを浮かべる。そんな皆の顔を見て、少し頬を膨らませるアドリア。

 ネデル村は葡萄畑に囲まれた、丘陵地帯の中に建設された小さな村だった。俺たちが聖王国からデルファイへと向かった際には別の街道を使っているが、このネデル村を通るルートもあったのだ、とタンタは話してくれた。


「まあ、化け物騒ぎで今は普段の雰囲気ではないだろうな」

 ロランがアドリアのフォローに回る。実際俺も前世のワインを作っている村のイメージというのは、おじさんが笑顔で葡萄摘んだり、ワインを昼間から飲んで笑顔でチーズ食ってるイメージなのだが、今この村は誰もが家の中に篭ってしまって暗い印象しかないのだ。

「村人には冒険者を連れて帰ってくる、とは言ったのですが……もはやそういう雰囲気でもないですね……」


 タンタが申し訳なさそうな顔で俺たちに謝罪している。まあ、葡萄畑の手入れもできていない状態なので、少し荒れた印象を与えてしまっているのは仕方ない。それでも家の中からこちらを覗く視線を感じることから、恐怖を感じていても村人はまだこの村に残っていることは理解できる。

「まあ、事件をちゃんと解決してみんなに明るい村を取り戻してもらえれば、それが何よりですよ」

 教科書通りの答えを俺が返したことをアドリアもアイヴィーも少し意外そうな顔で見ている……どれだけ非常識な人間扱いなのだろう、と仲間の薄情さに歯噛みしつつもネデル村の様子を観察してみる。


 子供も外に出せていないのだろう、家の中から鳴き声が聞こえたり……一見怪物風のロスティラフを見て息を呑む声が聞こえる。ただこういった反応にはロスティラフは慣れたもので、たいして気にしていないように見えるし、ぱっと見も……いや、中身も美しいアドリアが一緒についているので問題ないだろう。

「なんか……今私の顔を見て失礼なことを考えましたね? クリフ?」

 疑いの目で俺を見るアドリアから慌てて目を逸らして……タンタへと質問をしてみる。


「ここはワインが名産だったな、仕込んであるワインは無事なんだろう?」

「はい、ただこの騒ぎが続くと今年分の仕込みはちょっと難しいかもしれませんね……」

 ロランの質問にタンタが悲しそうな顔で答える。

 道中でもタンタがワインの知識について結構話をしてくれていたのでわかるが、本当にこの村の産業はワインで賄われているのだろう。今年一年分の仕込みができなかった場合、村に与える影響はどのくらい大きいのだろうか。

「まずは村長に会ってください、詳しく状況をお話しします」




 村長は初老の男性で、名前をキルダと名乗った。彼の話によると怪物が現れる前に黒い雲が広がり、奇妙な鳴き声が聞こえるのだという。そして怪物の姿はあまりに巨大な鴉のような姿、黒い体をしていて奇妙なのは顔が人の顔に見えるのだという。

 ……巨大な人面鳥という魔物はこの世界では記録がない。いや正確にいうなら妖鳥ハーピーは存在しているのだが、妖鳥ハーピーは比較的小型で人間の背丈の半分程度の大きさだ。そして人を襲うものの、かなり臆病な性格をしており人里へと降りてくることは滅多にない。実は俺も実物の妖鳥ハーピーを目前で見たことはなく、遠くを飛んでいるのをちらっと目撃した程度なのだ。


妖鳥ハーピーではないというのは確定か」

「人を襲う巨大な鳥というと王鷲ロックがいますけど……ここ一〇〇年くらい目撃されていないはずですねえ」

 俺の疑問にアドリアが顎に指を当てながら、思い出すように口を開く。

 王鷲ロックは全長が一〇メートル程度の超巨大な鷲で、前世の千夜一夜物語アラビアンナイトでも書かれていた伝説の鳥……だがこの世界では実在している動物である。

 船などを襲うこともあり神の鳥とまで呼ばれて神格化されていることもある……神話では鳥神が生み出したとされているのだが、確かにアドリアの言葉通り一〇〇年くらい前に大陸で目撃されたが、街を襲った際に怪我を負ってそのまま姿を消しているのだと記録には書いてあった。


 その時、不気味な音が家の外から聞こえてきた。その音を聞くと村人たちが一斉に慌て始める。

「く、雲が広がる音です!」

 俺たちは慌てて家を飛び出し、空を見上げる。それまで青い空が広がっていたのに生き物のように黒い雲が空を覆い尽くしていく……そして程なく不気味な金切声のような咆哮が聞こえ始めた。

「皆さん危ないです! 家の中へ入ってください!」

 タンタの悲鳴で俺たちは家の中へと退避を始めるが……一度振り返った先に雲の隙間から巨大な黒い巨体と翼を羽ばたかせる……人の顔をした黒い鴉のような化け物の姿が見えた。


「あ、あれか? しかし動物図鑑などには載っていないぞ、あんな生き物……」

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